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「好い心持」嬉野さんの言葉の切れはし#259

今の社会にタイムマシンで江戸っ子を呼んできても、「宵越しの銭は持たねぇ」なんてなセリフは言えないような気がするわけです。
そんな呑気を保証してくれる社会ではないですからね。
やっぱり人柄は、社会が作るんでしょうな。
--嬉野雅道

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単なる嬉野というバカの思いつきですが、江戸の人が金で買っていたのは時間だったような気がしてくるのです。
「あぁ好い心持だ」という、ゆったりと流れる幸福感に包まれた時間。そんな時間を過ごすために江戸っ子は、金を使っていたのではないでしょうか。
それも激しく気分が好いではなくて、ほんのちょいと気分が好い程度。そしてそのほんのりとした幸福感の中で時を過ごすことを無上の喜びとしていたのではないでしょうか。
そこが時間を売って金を稼いでいる感の強い、我々現代人と大きく違うところのような気が不意にしたわけです。思い付きです。お笑いください。
いったい江戸時代というのは、どんな社会だったのだろうというのがこの頃気になります。
どう考えても、今の社会にタイムマシンで江戸っ子を呼んできても、「宵越しの銭は持たねぇ」なんてなセリフは言えないような気がするわけです。
そんな呑気を保証してくれる社会ではないですからね。
やっぱり人柄は、社会が作るんでしょうな。
じゃぁその社会というものは、一体、誰が作ってるんでしょうか。
そのあたりが、ぼくにはよく分からないのです。
まぁ江戸時代も、そんなにのんきなばかりの社会ではなかったとは思いますが、それでも、悲惨をそれほど悲惨と受け取らずに済んだ社会ではあったような気がするのであります。
--嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

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