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「泣いて、泣いて」嬉野さんの言葉の切れはし#343

どうしたって処理できない複雑な想いを抱えて、人は生きていかねばならないんですよ。
けど、その複雑な想いを処理する能力を人は持っている。
それが泣くという行為。
そして人は、泣いている他人の境遇に共感する能力も持っている。
泣いて、泣いて。
ーー嬉野雅道

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人は、なぜ泣くのか。
それは多分。
胸の中に降り積もる想いの全てが、必ずしも伝達可能なものばかりではないから。
言葉や文章で伝達するには、それらはあまりにも複雑にすぎるから。
だからぼくらの胸の中には、行き場を無くした複雑な感情が、後から後から、幾つも幾つも山のように降り積もっていくのです。
心が弱っている時、
人は、訳も分からず涙が出ることがあります。
それは、その人の胸の中に、複雑な情緒が積もり、
いっぱいいっぱいになっている証拠です。
だから、ほんの些細な衝動に突き動かされても溢れてしまう。
だけど、その時の涙。それは表現だから、
人が持つ、何者かに与えられた表現行為なのだから、
そんな時は素直に、ただ泣けば好い。
そうして、胸の奥にたまった複雑なものを、どんどん表に出せば好い。
「泣いたら、少し、気持ちがスッキリした」
そんな言葉が出るのは、そうしたことが胸の中であったからだと思います。
人間は複雑なのですよ。
ぼくらは、そんな伝達不可能なほど複雑なものを抱えながら、
生きているのだと思います。
だから、どうしたって、辛い想いをするのですよね。
だから、他人には、出来る範囲で優しくしてあげるのが一番です。
だって、私だって優しくしていただきたいわけですから。
誰だってそうなのです。
傷ついたり、困り果てたり、疲れきったりした時にはね。
そんな時に、誰かが優しく手を差し伸べてくれるんだったら、
また立ち上がれる。
そしてまた、安心して生きていけるわけですからね。
どうしたって処理できない想いという複雑なものを抱えて、
人は生きていかねばならないんですよ。
けど、その複雑な想いを処理する能力を人は持っている。
それが泣くという行為。
そして人は、泣いている他人の境遇に共感する能力も持っている。
泣いて、泣いて。
そして誰かが、そのことに共感さえしてくれれば、
不思議に人は、複雑で苦しい想いをその時、処理できる。
それが、この地球で生きて行くための掛け替えのない術として、
きっと太古の昔、誰かが人に与えてくれた力なのではないかなぁと、
ぼくは、思うわけです。
いや、もちろんたんなる思いつきです(笑)。
与太話のたぐいです。どうぞ、お笑いください。
そしてお聞き流しを。
ーー嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

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