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「思い出すから」嬉野さんの言葉の切れはし#341

孤独を感じて、寂しさに泣く時、ぼくらは、きっと思い出しているね。なくなったものを。
寂しいのは、あえて、思い出すからなのかもしれない。
ーー嬉野雅道

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うちの犬が死んだ時。
奥さんは、毎日泣き通しでした。
多分、ぼくが死んでもあんなに泣きはしないだろうと思うくらいね。
それくらい泣いてました。
なにしろ結婚する前から飼っていた犬だったし、
あの人が実家を出て、一人暮らしを始めて、いろいろあって。
寂しい時に側でずっとあの人を慰めてくれていた犬だったから、
あの人にとっては特別だった。
あれは、ちょうど「どうでしょう祭」の年でね。
ぼくは、祭り前の準備でわりと忙しかったのかもしれない。
八月の終わりの頃でした。
このまま家にいると、いなくなった犬のことが思い出されるばかりで、
あの人の身が持たない。
だからと思ってぼくは奥さんを旅に出しました。
うちの奥さんは、旅に出る時は、いつも一人だったから。
旅先で一人でいることを彼女は孤独とは思わない。
そして、旅先に犬の姿は無くてあたり前の風景だったから。
だから、いないからといっても、旅先で犬の姿を探し、
いなくなってしまった犬を思い出し、その不在に泣く事もない。
そうね。
いないことに孤独を感じて、寂しさに泣く時、
ぼくらは、きっと思い出しているね。なくなったものを。
寂しいのは、あえて、思い出すからなのかもしれない。
思い出すということは、そこに無いものを求めるということ。
無いものを求めるということは、二度と修復不可能な欠落を強く見つめてしまうということにつながってしまう。
その行為が、ぼくらを寂しい孤独の底に追い落とすのかもしれない。
そうね。
多分そうなんだね。
強く思い出すから、不在がますます際立つ。だから寂しいんだね。
思い出すことばかりをするから、強くその不在を感じ続けてしまうんだね。
だったら、思い出すことなく、何かに熱中できていれば、
そう心掛ければ、寂しさも、和らぐのかもしれない。
それは、ひとつの対処法としてね。
乗り越えるための対処法としてなら有効なのかもしれない。
まぁ、思いつきです(笑)。
ーー嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

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