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「親の心子知らず」嬉野さんの言葉の切れはし#238

親が子に、子が親に求めてしまうのは、もともとそこに無い「こうなって欲しい」という欲なのかも知れぬと思えば、相手のままで良しとする心も、時には必要なのかもしれない。
--嬉野雅道

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その年頃を生きている世代の考えというものは、その年頃になってみないと分からないものだというのは本当で、長い間、生きていれば、いろんな変化を経験するのです。
だから親の心を子は知らぬはずで、それを知れというのもまた、無理な話ということでね。
親としても、知らなかった昔にはもう戻れないのですからね、分かっていればいるだけに小言にもなろうというわけで、それでも親の思い通りに子が育つはずもなく、子も一人で大きくなった気になるわけで。
でも、そんな凸凹のぶつかり合いの中からしか、複雑な人間性は育ち得ないということもまた、おそらく真実で、そう思えば、親の知らないところでこそ子は育っていくのだと思います。
人間というものは、なるようになっていくしかないのだと思えば、信じるしかないのだということになるのでしょうね。
親が子に小言を言ったり、子が親に文句を言ったりするのは、相手にそうであって欲しいという、お互いがお互いに求める欲がその根にあるからなのでしょうか。
でも、求めてしまうのは、もともとそこに無いものだからなのかも知れぬと思えば、相手のままで良しとする心も、時には必要なのかもしれないわけでありますね。
--嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

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