「ぶつかり合うこと」嬉野さんの言葉の切れはし#224
人間同士がぶつかり合うことが、人生だと思う。
ぶつかってどんな気持ちになるかはいろいろだけど、人と人が、ぶつかっているうちは、人はものを考えるんだよ。
--嬉野雅道
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出逢いこそ人生だから。
やな人に会うことも。
好い人に会うことも。
そして、誰がやな人で、誰が好い人か、
なにが嫌で、何が好いかも、
感じ方は、その人によってまるで違う。
それでも、人間同士がぶつかり合うことが、人生だと思う。
ぶつかってどんな気持ちになるかはいろいろだけど、
人と人が、ぶつかっているうちは、人はものを考えるんだよ。
いろんなことに遭遇して、ぶつかって、
自分の気持ちをかき回されて、
かき乱されて、
それでも、とにかくふうふう言いながら、
その凹んだ気持ちを乗り越えていく。
昨日も今日も、ぶつかることの繰り返しだったから。
明日もあさっても、ぶつかることの繰り返しだよ。
でも、ぼくらは、どこまでも、
ぶつかることを繰り返していくしかない。
ぶつかって、やなことがあったら、
また次もぶつかれるように、凹んだ気持ちは乗り越えて欲しいよ。
多分、ぼくらは、ぶつかることを忌避しては、いけないのだよ。
だってぼくらは、分子や原子の果てまでもさ、
ぶつかり合っているのだものね。
ぶつかることは、ぼくらが動き回っていることの証でもある。
ぶつかって、ぶつかって、
動き回る事が、ぼくら生き物の命題だと、
ぼくは、どこかで思うことがあるよ。
これはまぁ、ぼくが、自分に言っていることなのだよ。
気休めに過ぎないが、
慰めになるのなら好かったがと、思うな。
そしてまた、明日からも、ぶつかってほしい。
--嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)