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「できること」嬉野さんの言葉の切れはし#234

あんがいみんな、できることをすんなりやっていて、すでに誰かの助けになっていたりするのだ。
そのことに、少しは気づいてみるがいいのだ。
--嬉野雅道

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ある時、ふと思ったことがあるのです。
それは、自分が、他人の中で、何をやれているのか、ひょっとして、それを一番知らないのが、実は自分自身なのではないだろうか、ということです。
自分の出来ることは、人は、意外にすんなりとやってしまうものだから、やりとげた印象としてはきわめて薄い。
だから印象に残るのは、いつも自分が出来ない事ばかり。
「あんなことが出来ればなぁ」と昔から思い続けただけに、それが出来ない自分というものだけが、いつまでも印象に残ってしまうのです。
ですが、自分が出来ることは、いつもすんなりとやってしまうので、当人の印象には残らない。
常に印象に残してしまうのは、自分に出来ない事と、その自分に出来ない事をスンナリやりとげてしまう他人の存在ばかりでしょう。
こうして、誰もが、自分という人間が何をやれているのか、最後まで認識できず、
自分は何もやれぬ奴なのだと、うつむいてしまうことになるのかもしれない、と思う。
だが、あんがいみんな、できることをすんなりやっていて、すでに誰かの助けになっていたりするのだ。
そのことに、少しは気づいてみるがいいのだ、と。
そんなことを、この頃、よく思うのですよ奥さん。
--嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

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