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「謙虚な集会所」嬉野さんの言葉の切れはし#336

アフリカのドゴン族の知恵にね。私は感心しました。はなっから自分も含めて人間を信用してないところが好いですね。
ーー嬉野雅道

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いつでしたか、うちの奥さんがアフリカにドゴン族を訪ねました時に彼の地より持ち帰りました話がありますよ。
奥さんは言いましたな。
「あたし、あの人たちの集会所ってとこに行ったのよ」
「おぉ」
「その部屋ね、広いんだけどさぁ、天井が、もんの凄く低いのよ」
「…?」
「腹ばいになってね、這って入って行くくらい低いのよ」
「…?」
「あぐらかいて座ってさぁ、頭が天井すれすれくらいなのよ。それくらいその部屋の天井低いのよ」
「なんでまた、そんなに不便な部屋なのさ?」
「喧嘩できないようにだっていうのよ」
「あぇ!」
わたしはね、それを聞いて感心しました。
ドゴンさんたちの発想に。
だって、なんか大事なこと決めるときにね、往々にして個人個人の利害がね、大きく対立するなんてことがあったりしますよ。
そんな時、血の気が多いと、瞬時にして、つかみ合いの喧嘩に雪崩れ込んだりすることがある。
「何を言ってるんだ、この木偶の坊は!」
いきなり立ち上がって相手に飛び掛ってつかみ合い殴りあいです。
「やめろ!やめろ!」と、止めに入る人、間に割って入る人。
場内は騒然。あっさり集会は中止でしょう。
そんなことになってしまうこともある。
いや、きっと過去にいくつもあったにちがいない、集会所でね。
「みんな!冷静になれ!」
そう叫んだところで、事態が収拾をみることはない。
ところが、単純に天井が低すぎたらね、
「何を言ってるんだこの木偶の坊は!」と、
絶叫しながら立ち上がることも出来ない。
拳を振り上げることもできない。
それどころか、喧嘩したい相手のとこまで行くのだってえらい難儀なことになる。
行ったところで抱き合うのがせいぜいだしね。
しかたないから、大人しく座って話合うしかない、ということになるというねぇ、これはドゴンさんの知恵ですね。
感心しました。
はなっから自分も含めて人間を信用してないところが好いですね。
「人間なんてそんなもんなんだから、これでいいでしょう」
「え?こんなに天井低くするの?」
「だって、これだったら喧嘩したくてもできませんもん」
「確かに、そうだな」
「そうですよ」
「じゃぁ、そうすっか」
「いいね、みんな」
「いいです」
みたいなね。
で、それ以来、気をつけないと、すぐ頭をぶつけそうになる、そんな窮屈な集会所に入って座るたびにね、ドゴンのみなさんは、なんで自分たちがこんなおかしな所に入って集会をしなけりゃいけないのかを肝に銘じつつね、根気良く、ただ言葉を連ねて、理を説いて、じっくり話し合ったのでありましょうね。
その姿がね、実に謙虚でいいなぁと感心したのでありました。
ーー嬉野雅道(水曜どうでしょう)

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