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「竜の卵」 ロバート L.フォワード

ロバートLフォワード著「竜の卵」を読みました。

ネタバレを含みます。


このような書評のようなものを書いてみるのは、私にとって初めての試みですから、何を書いてよいのやらというのが現状の率直な感想ではあるのですが、思い浮かんだことを徒然なるままに書き起こしてみようと思います。体裁は二の次ということで。


あらすじ

ある科学者が宇宙探査機から送られてきた信号に周期的なわずかな掠れを発見します。それは、地球から比較的近い位置にあって、地球へ徐々に近づいてくるパルサー(自転軸と磁界軸がずれていて、時点によって周期的に電磁波を発する中性子星)なのでした。

数十年後、有人探査船がその星”竜の卵”に到達し、地表の調査を始めると、その星の原住知的生物であるチーラの存在が明らかに。

しかも、チーラは高重力下で発生したため人間のような分子ではなく、原子単位で構成され、つまり距離が近く反応速度が非常に速いので、”生きる”時間が人間の百万倍の速度なのでした。

人間とチーラはその時間速度の差の下、交流を続けるのですが、ただでさえ早く活動するチーラたちが人間の知識の導入によりさらに加速し、すぐさま人間の技術水準を追い越してしまいます。

今や銀河の住民となったチーラたちは人間に幾つかの贈り物を渡し、二つの種族はそれぞれの道を歩み始めるのでした。


本の特徴

これまで読んだものの中でも随一の”ハード”SFだったのだろうと思う。著者がマジ科学者っていうのもあり、あとがきというか本の後ろに、作中の世界で出版された科学論文?というような感じで科学的な設定資料集が補遺として乗せられているのは初めての経験だったんじゃないかな。

正直な話、中性子性というものが何なのか知らなかったし(まあ、今でも良く分からないのですけれども)、なんとなく太陽が凝縮したものであるという程度の認識だったので、その星に地殻があるということからすでに驚きでした。

なんとなく、自分の想像上のチーラはプラナリアみたいな感じで地面の上を這っている茶色っぽいものというものでしたが、実際の設定上は発光しているんですよね。なかなか、自分の想像力の限度というものに阻まれた読書体験だったのではないでしょうか。

そもそも、チーラという中性子性上で発生した生物の形状を空想することすら私の脳みそには至難の業でした。というかほとんど不可能だったように思えます。その点でも、あとがきの絵や図を伴う設定資料は読者にとって非常にありがたいものであることは、読者が非常に熟練した科学的発想や希代の想像力を持つような人でなければ、間違いのないものでしょうね。

設定

中性子性で発生する生物ということで、あらゆることについて、星の強力な重力と磁力に翻弄されるチーラたちには驚かされました。いや、むしろ私の想像力の範疇を大きく超えたので逆に驚きは薄かったようにも思えます。
それよりも、人間文明的なというか、私の想像力でもついていけたという点で非常に驚かされたのが、やはり重力バリアでしょう。重力バリアと言っても所謂光の膜で重力から身を守るようなものではなく、小惑星を凝縮することで作成した人口超重量天体を六つ、探査船の周りで回転させることで探査船周辺の重力均衡を生み出すというものです。

重力ってSFじゃ良く言及されることだけど、目には見えないし、規模がデカすぎるのでうやむやにされがちなものであるような気がします。せいぜい、月や火星の重力が小さかったり、遠心力とか自由落下とか。

竜の卵の中で何が想像を難しくさせたかと言えば、それは重力が日常的な移動距離のうちに変化してしまうということでした。月や火星、宇宙ステーションの重力が地球上と違うのは分かるし、実際体験してもそれほどは混乱しないものだと思います。

なぜなら、それらは、ある状態からある状態への転移が離散的というか、その重力が及ぶ範囲というのが人間の体と比べてとても大きいし、宇宙船に乗って移動したりするからです。少し窓の方に顔を近づけてみる、するとは何は3Gの引力が働き痛くなっちゃうとか、想像がむずいですよ、体験してみてーけれども。


感想

序盤は、正直なところ我慢が必要でした。SFというよりも天文学分析という感じで、まだココロオドル物ではありません。どこかのレビューに「中性子性上の生物と交流するらしいが、序盤が科学的にハードすぎてついていけず、交流の前に脱落してしまった」という書き込みもあったが、そういうこともあるだろうという感じはあった。私のような門外漢というかただのSF好きの読者にとってしてみれば、異星人との交流と比べたら、パルサーの発見はそこまで刺激的なものではないから。

ところで、なぜ人類は竜の卵に有人の探査船を送ったのだろうか。地球から最も近い太陽系外の天体ということでそうしたのかもしれないが、無人でよくない?という気はする。重力とか大変だし。地球から近いとは言っても宇宙規模で比較的近いということであってめちゃくちゃ遠い。片道二年くらいかかる航路を有人船を送って、しかも重力バリアのための工作作業船も送っている。そこまでする価値を中性子星見出したのだろうか?どこかにその理由は書いてあったっけ?

竜の卵っていう名前を付けるセンスは良いものがあった。地球から見て竜座のしっぽ付近にあったからである。しかし、チーラたちも人間との交流以前から、自分の足元に広がる大地を”卵”と言ってなかったかナ?自分たちを生み出したという点でそう名付けたのかも分からないが、小説的に混乱を避けるため、呼称を似せただけなのかもしれない。

この小説で最も科学的でない部分は、やはりチーラの言動が人間と似ているということだろう。中性子星という地球とは全く似ていない環境で発生したのにもかかわらず人間に似ている。人間をアメーバ状にしてその星に放したような感じだ。

そうはいっても、異星の知的生命が人間と似ていない場合の方が圧倒的に少ないとは思うのだけれども。真の意味で、人間とは異なる生命と出会う話はスタスワフ・レムのソラリスくらいしか見たことが無いかも。異星人を人間とは異なったものにした瞬間に人間ドラマとか交流とかというエンタメ要素が載せられなくなって、小説としてつまらないものになってしまうということなのかもしれない。ハードなファーストコンタクト系のSFを絶賛探しております。ソラリスみたいなやつね。確かに、訳が分からな過ぎて読んでる途中寝たことあるけど。

チーラが人間と別れるとき、チーラの方が早く進歩するけど宇宙の真理には限度があるからいずれ人間もチーラに追いつくだろうということを言っていた。宇宙の真理に限界はあるのだろうか。宇宙の真理に限界があったとすると、宇宙はすでに、宇宙の真理に達した進歩速度の速い知的存在であふれかえっているのではないかという気もするのだが。

ここで、今思いついた異星人がまだ見つかっていないことへの仮説。異星人はいるが、地球へ到達するほどの水準に達するときには既知の宇宙が非常に凡庸なものとなっており興味を失っている。そして、さらなる次元へ..…


最後に

こうして、今日も時間を無為に消費してしまったわけですが、この時間のうちにチーラたちはどこまで行ってしまうのでしょうね。時間感覚が異なるのですから、チーラたちは私の百万倍の速度で時間を無為に過ごしているはずなのですがね。だとしても、時間速度の差というものは時間の大切さというものを感じる一助になっているのような気がします。


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