水玉自伝~アーバンギャルド・クロニクル(第一章冒頭)
(4月27日刊行、アーバンギャルドによる初の自伝『水玉自伝~アーバンギャルド・クロニクル』より、「松永天馬」第一章冒頭部分を先行公開します。書籍では膨大な注釈が付くなど構成はやや異なりますので御了承下さい。続きは是非とも書籍で御覧ください)
今日は珍しく、自分について語ろうと思います。
こういう仕事をしていると数限りなくインタビューを受けてきているはずなんですが、意外に自分について語ったことは少ない気がします。時代について、社会について、音楽について、もしくは誰かについて語ると限りなく流暢になるのに、自分のことになるとだんまりを決めこむ。そういう卑怯な男なんですよ僕は。人の恋愛についてはやたらと口を出すのに、自分のことを聞かれると口ごもったりね。他人の誕生日会だとやたらと盛り上げるのに、自分の誕生日会は開かれるのも嫌だ……そういう偏屈な男の子っていませんか。そんな子が年甲斐もなくひねくれ続けると僕みたいな人間になります。
誕生日会は嫌だけど、それがバースデーライヴだとしたら? 喜んでステージに上がりますね。だってステージに上がっているうちは「演者」でいられるから。生身の人間より、ピエロのほうが気が楽ですよ。笑っても怒っても、たわいもない道化芝居だって割り切れる。恋愛もそうですね。告白なんかしたくもないけど、時代錯誤な優男を演じる気になればたやすくできる。感情を出すのが昔から苦手でね。歌や物語のなかにだけ、言いたいことを忍ばせるんです。
恥ずかしがり屋なのかな? 臆病なんですかね? 繊細? 実生活では涙なんてほぼ流さないのに、映画だとB級の駄作でもすぐに泣いてしまったりね。フィクションに触れる瞬間だけ、弱い自分と向き合えるのかもしれませんね。よく「歌でしか言えない」なんて言いますが、歌詞なんかを書くとき、言葉を研ぎ澄まし、擦り減らし、取捨選択して純化していくじゃないですか。そうして残った数文字に、自分が思ってもいなかった自分の真意が隠されていることもある。「友達は裏切ってった」って一行だけが残って、初めて自分の怒りや悲しみを発見したりしてね。
僕って普段から自分の事をあまり話さないというか、自分についての話もどこか他人行儀になってしまうんですよね。自己分析とは違うんですけど、自分のキャラクターや自分の作品も、どうしても客体化してしまうようなところがあって。いってしまえば、アーバンギャルドのコンセプト自体が、ある意味、僕の思想哲学を自分自身で語るのではなく「少女」という媒体もしくは「浜崎容子という歌い手」によって表現するという、すごく回りくどい作りになっているでしょう。それも僕自身のスタンスが関係しているかもしれません。だからアーバンギャルドは僕そのものというより、僕の作品だし、箱庭ですよね。彼女は……恐らくこのバンドは「女性」だから……僕の理想の恋人像かもしれないし、母か、娘か、あなたか……だけど少なくとも、僕自身ではないんです。そもそも「僕の」作品と言い切ったら言い切ったで他のメンバーから反論がきそうだけど(笑)誰のものだっていいんです。他のメンバーのものでも、リスナーのものでも。だって作品は、必ず自分の手を離れていくじゃないですか。っていうとやっぱり僕のものだったってことになりますが(笑)。
「アーバンギャルドの松永天馬と浜崎容子は渋谷系の伝統に倣って、監督と女優なんです」とも言ってきましたよね。僕が作った歌詞世界を、彼女が演じる。だけど監督のほうが優位に立っているとは限らない。女優が映画を食っちゃうことも多々ありますから。
アーバンギャルド的な少女世界、少女的な美意識はいつから持っていたか? 僕自身はいわゆるヘテロセクシャルではあると思うんですが、昔からガーリーな世界観を持っていたと思うんです。リカちゃんハウスってあるじゃないですか。あれの、サーティワンアイスクリームのおもちゃを自分から「欲しい」と言ってバースデープレゼントにもらったりして。ショッキングピンクの外装のやつですね。三歳上の姉がいるんですけども、姉と一緒にママゴトをしたり、ふざけて女装をさせられて、女言葉でしゃべったり。そういったところからの影響もあるのかなとは思います。保育園であてがわれた車のマークは何故か好きになれなかった。
一番古い記憶は、明確にあるんですよ。三歳になるかならないかぐらいの頃、保育園の教室ですね。「ケンタッキーフライドチキン」のことを、「センタッキー(洗濯機)フライドチキン」と呼んでいて、それを保育園の先生に訂正されても「いや、センタッキ」なんだと間違いを頑として認めずに、泣きながら押し切ろうとするっていう(笑)。その頃から言葉というものに対して、何かこだわりがあったのか……それが自分の一番最初の記憶でした。
他にも、五歳くらいの時だったか、遠足に行ったんです。勿論それは普通の遠足なんですけど、家に帰ってきてから、母親に「先生からアイスクリームを貰った」という、たわいもない嘘をついたんですね。おそらくは、単に遠足でアイスが食べたかったんでしょうね。だからそういう願望を口にしたんでしょうけど、母親はそれを普通に信じてしまって、先生にお礼を伝えたんです。そしたら当然、先生は否定するじゃないですか。その結果母親に「なんで嘘ついたの?」と怒られたのもよく覚えています。そんな風に、願望を虚言として語ってしまうところもあったのかな。これも今の創作に繋がっているかどうかはわかりませんが「詩人は嘘つきのはじまり」ですよね。
家族構成は、父、母、兄、姉です。父は東大法学部出身の国家公務員、いわゆるエリート官僚なんですけど、早川義夫さんのジャックスや南正人みたいな、日本のアンダーグラウンドなロックを聴いて画家を目指していたんですけれども、祖父に反対されていて、夢を諦めて官僚になった人で。普段真面目に仕事をしている反動か、酒を飲むとまあ暴れる(笑)。母は中学校の社会科の教師で、演劇部の顧問をしていました。別役実の芝居をつけたりしていましたね。若いときは黒テントにいたとかいなかったとか……やっぱりアングラですよね。性格はとにかく強気で、だから酒を飲んだ父親ととにかくぶつかるぶつかる(笑)。家のなかで、物は飛ぶし、タンスも倒れるし。兄も金属バットを持ち出すし、姉は泣きながら新聞紙を破る(笑)。公務員住宅に住んでたんですけど、ドシドシうるさいって隣人からはよく怒られてて、子供心にそれが恥ずかしかったし悲しかった……。そのいっぽうで、今も信じられないぐらい仲の良い夫婦なんですけどね。とにかくコミュニケーション? が激しくて。
五歳上の兄、三歳上の姉からは、音楽や映画、漫画などの影響を受けています。兄は筋肉少女帯を聴いていて、その影響で僕は小一くらいの頃からナゴム系バンドの曲をカセットテープで聴いていましたね。ガロも兄の本棚から盗み読んでいた。ヒットした「たま」も当然聴いてたし。そういえば叔父が「イカ天」にとあるバンドのドラマーとして出てたことがあるんです。小さい頃からそういった文化的な環境に囲まれていたというか。
学校ではすごく仕切り屋で、自己中心的な性格だったと思います。小学三年か四年の時に、新聞係だったんですけど、謎の使命感にかられ毎週のように自作の学級新聞を発行していて、レイアウトから文章から絵まで全部自分ひとりでやっていました。誰にも強制されていないのに小学生が夜十二時を回っても泣きながら徹夜で新聞を書いている。なんなんでしょうね(笑)。母親は当然僕の健康を気遣って「もう寝なさい」と言うじゃないですか。それに対して「いや、僕のプライドにかけてこれを完成させる」みたいなことを返すんです。するとある時母が怒って「そんなプライドは犬に食われてしまいなさい!」と一喝してね。なんだかその一言で気持ちが折れて、新聞の発行は五年生の三学期に途絶えてしまいました(笑)。
昔からクリエイティブなことに対して、生真面目にやらなきゃいけないという思い込みがずっとありましたね。自分が自分らしくあるために必要なことだったのかもしれない。クリエイティブって、基本的にせざるを得なくてやっている人が殆どだと思うんですね。それは、そうしないとご飯が食べていけないからだとか実際的な話ではなくて、それをしていくことでしか社会とコミットできない。それを吐き出さないと、自分の中に溜まって、性格が歪んだり犯罪者になってしまう人もいるかもしれない。クリエイティブを通して、何らかの形で社会とコミットするからこそ、なんとかまともでいられるような。僕自身も創作をすることで、なんとか自分が自分自身でいられるようにしたかったのかもしれない。創作を失ったら、ただのひねくれた小学生男子ですから。
そんな感じだから、クラスメイトとは創作、こと音楽に関しては話が合わないなと感じていましたね。だって小学生で筋少聴いている子なんていないですもん。高校生の時に椎名林檎が出てきた頃に、はじめて同世代とリアルタイムで話をできるようになったぐらい。だから基本的にクラスメイトとは、どこか距離を置いていたのかもしれない。とはいえ、孤独であったりとか、疎外されていたわけではなく、それなりに仲良くしていました。目立ちたがりではあったので「いきがってる」って不良に目をつけられてたり、いじめなんかは普通にありましたけど。
小さい頃からクリエイティブな活動をやっていくことについては、かなり本気で考えていました。ただ、ミュージシャンになったというのは、本当に結果論みたいなところがあって。小学生の頃の卒業文集とかあるじゃないですか。それを見ると、ピカソかシャガールみたいなカットを添えて「芸術家になりたい」って書いてあるんですよね。で、中高生ぐらいは「作家になりたい」と考えていたんですけど、それが結果的にはミュージシャンという形に収まった。でも、だからこそ、ミュージシャンらしくないミュージシャンになってしまった……神の悪戯ですよね。
音楽遍歴は、さっきも言ったように兄の影響で、筋肉少女帯から始まっています。『月光蟲』を聴いて、当時テレビで流れていた他のヒット曲と比べて明らかに異質なものだと子供心に感じていて。「なんだこの世界は」と、恐々しつつもどんどんのめり込んでいきました。そこから九十年代から八十年代へ遡るような形で、テクノポップを聴き始めます。ヒカシューであるとか。P-MODEL、プラスチックス、更に七十年代まで遡って、はっぴいえんどやムーンライダーズ。ムーンライダーズはね、当時のNHKの洗脳のせいですね(笑)。NHKで放送されていた「ソリトン SIDE-B」、「ソリトン」という番組で、YMOやムーンライダーズの人脈のアーティストをどんどん出すんですよね。当時のサブカルチャー教養番組(笑)。そこにどっぷりハマって、完全に道を踏み外したわけですよね(笑)。
同世代の人と話をすると、やっぱり当時のサブカルチャーは、だいぶ地方と東京で格差が格差があったと聞きます。インターネットっていうものによって情報は均質化されましたけども、当時はネットは今ほど普及してませんし、SNSもブログも無かったですから。なんだかんだ僕は東京育ちで、中野の中古レコード屋とかに行くと、ヒカシュー『うわさの人類』ゲルニカ『改造への躍動』なんかがポンって出てくるし、渋谷のタワレコに行くと、インディーズのCDがたくさんあるんですけども、地方にはそういうものも無いから、情報格差はだいぶあったのかな。
それに当時のサブカルは今と比べて「情報の有無」がすごく格差やヒエラルキーを作っていたような気はします。だからこそ、自分は優位に立ちたくて、よりマニアックな映画や音楽、文化を知っているべきだという考えを無意識に持っていたのかもしれませんね。中学生の時に暴力温泉芸者を聴いて、つげ義春を読んで、時計じかけのオレンジを観て「こんなのはクラスの誰も知らない」的な優越感みたいな。しかしながら、情報に囲まれている故に、そこからはみ出していけないような、もどかしさみたいなものも同時に感じていました。
90年代後半に思春期を過ごした事も、自分に大きな影響を与えていると思います。フィクションとリアルが交差するような事件がたくさん起こりましたよね。95年、小学校六年生の時に阪神大震災が起きて、その後にオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きて。97年には酒鬼薔薇聖斗事件もあった。僕は彼と同い年なんですけど……。そういった凶悪な事件が起こるその一方では援助交際のブームがあったり『新世紀エヴァンゲリオン』が流行ったりとかしていたじゃないですか。
僕らってリアルとそうじゃないものの狭間ですごく苦しんでる世代なんですよね。リアルでないものの代表格はネットであったり、PHS、携帯電話っていうものだと思うんですけれども。僕の下の世代になってくると、もう本当にそのへんは割り切ってひとつのツールとして使えるようになる。今はネットが身体的にリアルかそうじゃないかなんて議論、誰もしてないですよね。ネット恋愛も結婚も普通だし、ネット上でプライバシーを晒す危険性について議論する人なんて何処にもいないけど、当時はその生き方が果たしてリアルなのか、という問いが世の中にはびこっていた。
たしかネオ麦茶も同い年だったはず。「キレる14歳」だか「キレる17歳」の世代なんですね。世代論で語るのも大雑把になってしまうので、僕の個人的な体験の話になってしまうんですけど、僕は九十年代の終わりに宮台真司の『終わりなき日常を生きろ』を読んで衝撃を受け、色々あって童貞を喪失した(笑)。この本はオウム信者を取材しながら、フィクションの世界に生きてリアルと齟齬をきたしてしまった人々に警鐘を鳴らしつつ、当時のギャル……まだコギャルと言われていたのかな……の、エンコーしつつブランド物で武装するしたたかな生き方が肯定的に書かれているわけですよね。当時の宮台の一連の本は、若者を鼓舞し啓発し「頭でっかちになるな、体験せよ」と喝破する、勇気の書に思えた。だからね、自分の好きなものに囲まれたベッドルームから出て、喪失……いや、捨てにいったんです(笑)。荒れ地に、ゴルゴダの丘に。まともな手順も踏まないままね。
(聞き手/構成:藤谷千明)
水玉自伝~アーバンギャルド・クロニクル~
著者:松永天馬 浜崎容子 おおくぼけい
藤谷千明
出版社:ロフトブックス
●通常版 ¥2500(+税)
4月27日一般発売
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ロフトブックス
※4/19イベントにて先行発売
●初回限定BOX ¥10000(+税)
限定グッズ同梱(内容未定)
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アーバンギャルド
https://www.urbangarde.net