話すこと離すこと放すこと

今日はお友達とお茶をした。


すごく久しぶりに話したのだが彼女と話すと宇宙的な価値観の波動が流れ込んできてたくさんインスパイアされる。


話すと自分の声を耳でもう一度聞くので確認になり、それについてもう一度考えたり説明したりするので腑に落ちる。


話しながら自分で頭の中を整理している。


わたしの周囲の女性は言葉からだけではなく、拾う情報量が多いらしい。顔色や態度、言葉のトーン、空気感、それからエネルギー的、霊的にも。だから自分でも拾った情報が整理されていないことが多いのだ。

(これは生物学的に女性でなおかつ、ジェンダーが女性的で、エネルギー的に受容的で出すよりも受け取る動きが得意な人という意味での「女性」ですが。女性のジェンダーロールを守っている人が多い日本人女性には当てはまりやすいと考えるのであえて「女性」とくくります。例外は当然ですがあります。)


またいわゆる世間一般の男性と話していて思うのは

(ここで「違う人もいる、男女差別じゃないか」と言ってくる人もいるのだが、日本では多くは男性なんだよ、そしてそれをわざわざコメントで伝えてくる人も男性なんだよね。もしくは男性エネルギーの強い人。

「ああ、あなたはそうなんだね」と放置することがなぜできないんだろう。なぜ、わたしにわざわざ言ってきて考えを変えさせよう、教えようとしてくるのだろう。といつも疑問に思う。

また違うという自分の意見を言いたいだけだとしても自分のところで書けばいいのに、コメントしてきて"自分は違う"ということを"わたし"に"なぜ"分かってもらおうとしてくるのかすごく疑問です。

そもそも理解できることなら勝手にわかるし分かるも分からないもこちらの自由で勝手だし、聞いてないのに押し付けてこられても迷惑だし。

夫でもない男の言い訳をわかって欲しいと言われても・・・・・奥さんじゃないんですみません、断ります。)


これ、思い通りにさせたい幼児性と承認欲求なのにそこに自覚ないのね。


そういうエネルギーを押し付けられて不愉快だという言葉にしないまでも態度とエネルギーで出している情報を読めないのだろう。

で、わたしの周りの女性達はこれを読めるのでやらないのだ。


昭和の時代は女性は無駄なおしゃべりばかりしているから頭が悪いと男性に下に見られることも多かったのだが

口にすることで自分の状態や感情に気づくことも多く自分への意識的な気づきをしたい人には有効なプロセスのように思う。

上の承認欲求とかまさにそう。人の話を聞くことで学ぶことが出来る。

話さないからそこに意識が向いていなくて気づかない。自分の感情にさえ無自覚な人が多い。外にダダ漏れてるのに。


ただ、話す相手のチョイスが大事かな。


多大に感情的な反応をする人や、いい悪いのジャッジをしてマウンティングしてくる人だと、自分を知るどころではなく

相手の感情のフォローが必要になったり、承認欲求に付き合わされることになりかねない。


ある程度、距離を置いて物を考えたり、見たりできる人でないと難しいかも。


女性の多くは感情的に寄り添うし、それを是とした文化なので、ヘタをすると感情が膨れ上がることにもなりかねない。

また「うんうん」聞いてあげることで承認欲求を満たしてあげちゃうので、相手は喜んでしまい

こちらの時間を奪っていることで精神的に負担がかかっていることや自分では気が付かずに感情のケアを自分で行わずに人を利用し続けることを助長しかねない。

スナックやキャバクラで気持ちよく説教しているおじさん。相手は仕事でやっていて嫌われていることに気づいてない。なんなら好かれていると勘違いさえする。

だから需要があるんだと思う。俗に言う「おねえちゃんがいるお店」は。

昔、スナックで働いていた時にこちらが若い娘だと説教してくるおじさんが結構居たので、今、これを言ってその鬱憤を晴らしているかもしれません。(笑)それくらい鬱陶しかったのよ、説教おじさん。


それくらい「うんうん、そうだね、わかるよ」といわれることのメンタルに与える力の強さ。肯定してもらうって癒されるし自信になる。


相手に合わせて優しいのも繊細なのも考えものだ。ダメンズメーカーな女性はこれをやってダメ男に好かれてしまうのよ。

空気読んで何でもやってあげると、相手は喜ぶし、必要とされるけれど、相手の気づきを奪い、甘やかして「感情のケアを自分でする」という大人として当然のことを代わりにやってあげることで人としてダメにしていく。


そう考えると、良い人、悪い人もこちら側のコンディションで変わるということだ。


理性的な人で救われることも、感情的な人で救われることも、人を気にしない人によって救われることもある。逆の場合もあるけれど。

感情的に寄り添ってもらえないことで不愉快になりながらも気づくことがある。

寄り添ってもらえることで感情的に潰れそうな時を救ってもらえることもある。


相手が期待通りには何も出来ない勝手気ままな赤ちゃんだったとしても愛するゆえに周りの大人が勝手に変わっていく。赤ちゃんのパワーよ。


長く昭和の価値観の中で協調性や忖度することを良いこととして訓練されてきたのだが最近、それも違うと考えている。


気を利かすこと、空気を読むこと、合わせること、いつもニコニコしていること、みんなのために動くこと、嘘をつかないこと、正直なこと、明るいこと、優しいこと、真面目なこと、働き者なこと。


不愉快な思い、がっかりする思いが起きたとしても

自分に正直にありのまま、無理のない姿で人と話すことが1番自分にとっても相手にとっても刺激になり学びになると思った。



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