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なにかが変わる弟子屈暮らし vol.19

東京都出身神奈川育ち一度も地方に住んだことがないのに、好きなだけで阿寒摩周国立公園の町 弟子屈町(てしかがちょう)に住んでみた感想や実体験を綴ります。

冬から春へ。

雪が降るのがぱたりと止むと、みるみる気温が上昇し、10℃を越える日が続いた。
すこし前まであたり一面が真っ白だったのに。アスファルトが乾いて車は走りやすくなり、じわりじわりと畑や牧草地の地面が見えてきた。
ほとんど雪のなくなった路肩で、冬毛のエゾユキウサギが道路を渡るタイミングを伺っていた。真っ白なうさぎのシルエット。遠くからでもよく見える。無事に道路を渡り、かろうじて残雪のある森の中へ消えていった。

北風が強く吹いた翌朝、屈斜路湖の喉元に行くとやはり壊れた氷が流れている。
これも暖かい日が続いていたからだろうか、さほど氷の割れる音はせず、ただ風に流されるまま川を泳いでいるようだった。
そうして、冬は過ぎて行く。

ゆく河の流れは絶えずして


丸山へ登ってみた

今思うとこのタイミングで登っておいて本当に良かったなぁと思う。
月初め、職場のメンバーで日頃お世話になっている丸山へ登ってみることになった。
丸山は笹が多く、特に登山道としては整備されていないのだが、雪が積もると登ることができるようになる。雪がある方が行動範囲が広がるフィールドは結構多い。

山頂に鹿のうんちがいっぱい。こんな吹きさらしなのに寝床なのか。

コースタイムはほんの15分くらいだが、かなりの急登。山頂は鹿の糞が大量にあった。丸山は川側の麓に第一・第二クッシャロシペというアイヌの史跡であるチャシが残されている他、縄文時代の遺跡である丸山遺跡がある。川があるところには文明があるというが、周囲に比べ100mほど小高い丘になっている丸山はまさに長きに渡って人が生活してきた痕跡を残す場所なのだと思う。山頂から、寄り添うようにある屈斜路湖とコタンと釧路川が確認できた。

弟子屈町議会に行ってみた

休みの日にちょうど議会が行われていたので行ってみることにした。
一般質問は、星空を守ることと観光、「光害」の対策について、酪農家の支援について、川湯温泉の入湯税について等だった。
こどもみたいな感想だが、町長が全部の質問に答えていたのが、凄いなぁと思った。
思っていた以上に程よい緊張感がある。
とはいえ、議場を二階から傍聴するような感じで、途中退席もできるような環境だ。私は13時から休憩までの1時間半ほど一般質問を傍聴した。

本当は少しでも議会のイメージがわくように写真を載せたかったのだが、報道機関以外の撮影は禁止されていたのでイラスト。

ほほえむ福寿草

みんながこぞって福寿草のお花の写真をあげるので、裏山でどこか咲いてないだろうかと足元を観察していた。樹々の薄茶、残雪の白、そこから顔を出すクマ笹の燻んだ緑。まだ色彩の少ない雪解けの森に小さな黄色を見つける。

ひとりでにっこりしているような

弟子屈の作家、更科源蔵の「熊牛原野」では"雪の早く消える崖ぶちや、大木の根元から福寿草の笑い声がにぎやかに聞こえてくる"とあった。

春一番に咲く、福寿草。
「まず咲く」が転訛し「まんさく」とも呼ばれ、この辺りでは春を教えてくれる花だ。
ある日から鳥の鳴き声もがらりと変わってメンバーが変わったのだと気付かされる。白鳥もだんだんと少なくなり、大きな顔のアオサギがこちらに向かって飛んでくる。アオサギは関東でも通年見られる馴染みのある鳥だが、ここでは一番早く来る夏鳥の一つだ。
今年は春が少し早く来ていて、2年前に面接にきた4月の景色を思い出す。
夢のようだと思っていたが、確かに現実で。
きっと毎年春が来る度に同じことを思うのだろう。
大きすぎる何かに包まれていると言ったらいいのか。目の前で起こっている自然の営みや季節の移ろいをただ眺め、その物語を想像することしかできない。

ここでの生活が、私は大好きだ。

ノリウツギの天然ドライフラワーや良い香りを放つトドマツの葉を拾う。
なんでもない、儚い時間。
春の色彩は暖かく
浦山 夏帆
1993年生まれ 東京都出身
横浜市立東高校、日本宝飾クラフト学院卒。
宝飾業界8年目で、ずっと住んでみたかった北海道弟子屈町に住まいを移す。地域おこし協力隊として地域観光のプロモーションに携わった後、現在は宿泊施設のスタッフとして奔走中。夢は森の中にアトリエを持つこと。ときどき指輪を作ります。デザインとライティングは勉強中。鉄道とか山歩きも好き。

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