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お面屋

 お面屋



 流行は世界の危機に屈しない。

 新型コロナウイルスの名前を聞かなくなって久しいが、また新たなウイルスが発生した。東京都江東区にあるアートギャラリー「Mask  Tokyo」では、お面作家蒲田要平が新しいアートマスクの制作に向かっていた。今回制作中の作品は右半分が幻想的な桜花、左半分がゴリラの顔という挑戦的なテーマで、蒲田も構成段階から鼻息が荒くなっていた。普段はニュースを見ることは殆どない蒲田だが、週に一度楽しみに聞いている小説家のラジオを聞くために、5年前から使っているスマートフォンのラジオアプリを開くと、その音声が流れてきた。

「中華人民共和国の福建州にて、新型のウイルスが発生しました。かなり、強烈な感染力を持っており、マスクをしても、手洗いうがいをしてもほとんど意味がないとのことです。どのよう対策を取ったとしても、その場にいる全員が感染してし舞うとのことです。中国福建省では、まず外出をしないこと、感染者は病院とホテルに3週間隔離の対策をとっていますが 、医師や看護師も感染をしてしまい、現地はかなり混乱しています。日本や各国にウイルスが上陸するのは時間の問題でしょう。」

 蒲田が楽しみにしていた小説家の声は聞こえてこなかった。しかし、ニュースに興味のない蒲田でも、流石にこの話題には耳を凝らした。

「ウイルス感染者の症状は、39度から40度の高熱と、手足のしびれ、過度な倦怠感です。症状を少しでも感じた方は、ひとまずお近くの医療機関へご連絡ください。また、政府の対策と方針が打ち出されるのを待ちましょう。」

 机の上に乗ったお面は、左半分のゴリラの部分だけ色がついていた。

 新型コロナうウイルスが流行したXX年前、蒲田はまだ子供だった。学校や周囲の大人たちがとても大変そうだったのを覚えている。蒲田は子供の頃から自分の世界に入り込むのが好きな少年だった。いつも自分の描いた奇妙な絵を眺めたり、粘土で奇怪な城のようなものを作ったりしていた。学校に行かない日が多いと、図工が少なくて寂しかったが、蒲田は家で起きている時間はずっとアート活動をしていた。親は離婚しており、兄弟はおらず、母親に女手一つで育てられた。母親は蒲田が子供の頃からスーパーで働いていた。蒲田が感染状況により学校が無いときも、仕事に出ていた。蒲田は家で一人絵を書き続けた。描いた絵ははすぐに捨てた。それが蒲田少年のやり方だった。何かを取っておくよりも、作り続けることが好きなのだ。女手一つで育てる母は責任を感じ、一人にさせた分作った作品や絵などを褒めてげたいと思っていたが、いつもそれらはぐちゃぐちゃになってゴミ箱に入っていた。これだけ変わった性格でもいじめられず生きてこれたのは、コロナウイルスのおかげもあるのかもしれないと思うこともあったが、本人は周囲の環境は気にしていないようだった。

 蒲田は18歳になると、美大に入学した。美大では様々なインスピレーションを受け、創作活動はさらに意欲的なものになった。蒲田が最も惹かれたのは、民族仮面というものだった。世界各国の民族が想像力に身を任せ独創的な様々な仮面を生み出していた。また、時代も場所も違えど仮面という共通の題材があるということにも興味をそそられた。蒲田も時代と場所が違うこの日本の東京で、地面から感じる感覚を仮面として表現したくなった。蒲田によると人相学で表情から性格が分かるように仮面から土地や時代の性格が分かるというのだ。

 蒲田の卒業制作「東京下町の民族仮面」は、巷でちょっとした噂になった。歌舞伎役者に似た表情に江戸の風が吹いたような髪の毛を流した、見る人がつい幾回もまばたきを忘れてしまう程の、美しい魅惑的な仮面だった。それを目に止めた財閥の社長がそれを500万円で購入した。学生の作品に付いた値段としては破格だった。当時、その社長は蒲田にこう言った。

「君がアート作品を作り続けられることを望むよ。その世界を維持するのは、私の仕事かもしれないがね。」

 蒲田はその時就職のことを考えていなかったが、その言葉を聞いて仮面を作り続けることに決めた。卒業後半年間はその美大でアシスタントのアルバイトをしたのだが、教えることに才能はなかったようで、蒸れて不快なマスクを取るように辞めていった。その後は警備のアルバイトをすることにした。ほとんど頭を使わなくて済むので、次の制作物の計画を練るのに最適な仕事だと思った。制作した仮面はたまにどこかの金持ちが買っていった。まとまったお金が入ると、仮面制作を継続することができた。出展したギャラリーで出会った女性と付き合うこともあったが、あくまでもアートが大切な蒲田とは長続きすることはなかった。現在は東京都江東区の下町の一角に自分のアートギャラリーを構えている。蒲田は三十六歳になっていた。





「新型ウイルスのニュースは流石に聞いた?今回のは相当やばそうね。皮膚感染だってね。健康な皮膚は大丈夫だけど、ちょっとでも傷があったら感染だって。全身を覆うスーツの着用を推奨だって。もう、世の中無茶苦茶ね。スパイダーマンじゃないんだから。さっきテレビで見たんだけど、外の空気を浄化して内側に入れる換気機能付き全身スーツっていうのが開発されたらしいわよ。もう、笑っちゃうわ。テレビのアナウンサーもコメンテーターも全員着てたわ。買う人は補助金が出るんだって、2万円のところ5千円で買えるらしいわ。とりあえず、在庫がなくなってしまう前に買おうかしら、もうすでに注文殺到してそうだけど。もう、ウイルスって本当に厄介ね。要平、元気にしてる?たまには一緒にご飯でも食べましょうよ。」

 母親からは週に一回ほど電話がかかってくる。普段はどの俳優が不祥事を起こしたとか、スーパーで新しい若いスタッフが言うこと聞かなくて大変だとか他愛もない話が多いのだが、今回はウイルスの話で持ちきりだった。世界が大パニックを起こしている。

「ああ、俺は別にいつも通りだよ。ウイルスね、たまたまラジオ聞いてたら流れてきたから知ってるよ。コロナウイルスってやつが昔あったけど、それよりも感染力が強いらしいね。母さん、かからないでね。もう高齢者間近なんだから。何か、必要なものとかあったら俺買って届けるから。」

「ありがとう。要平の仕事には特に支障なさそうね。今、観光業界とか飲食業界が倒産のオンパレードだって。」

「スーパーは大丈夫なの?」

「んー、よくわからないわ。でも確実にお客さんは減ってるわね。」

 ウイルスが身体の粘膜に触れることは絶対に防がなければならないとのことだった。また、健康な皮膚であればよいのだが、少しでも傷があると、浮遊したウイルスがそこから入り込む。以前のコロナウイルスと同じように、世界中の国の総力戦でワクチン開発が行われた。新型ウイルスの終息の目処は立っていないが、世界各国の国民はそれぞれの工夫で身体を覆うためのスーツなどを作っていた。

 コロナウイルスのときに多様なマスクが流行ったように、様々なスーツが販売された。シンプルな透明のスーツ、換気機能の高いスーツ、そのスーツを着れば、その上から服を着なくてもよいようなおしゃれなものまで。


 顔を含む全身をスーツで覆うのはかなり手間がかかるので、数ヶ月経つと下着の上にそのままスーツを着て過ごす人がほとんどになった。また、顔を覆ってしまう人も(もちろん内側からは見えるような素材で)かなりの数がいたため、人の判別が難しくなっていた。透明な素材を使う人は顔が見えるのだが、色がついていると見えなかった。条例などで顔は見えるものを着用するようにと指示を出す市区町村もいくつかあったが、それはほとんど意味はなかった。特に若年層は顔を隠すことが多く、学校などはかなり苦労しているようだった。。顔面のおでこあたりに名前の書いたシールを貼っても、目の悪い先生は後ろに座る生徒の名前が分からないといったことがあるらしいと、母親が電話で教えてくれた。


 街は世紀末のように人がガランといなくなった。24時間換気システムが搭載されている建物への用事以外、外出する人はほとんどいなくなった。家に換気システムがない人は、家の中でも全身スーツを着ることはひとつ常識となった。

 警備会社で支給された安物のスーツを来た蒲田はアートギャラリーの二階で、ディストピア文学の歴史について語る小説家のラジオを聴いていた。





 ウイルスが蔓延すると、移動する人はかなり少なくなた。しかし、それでも念のために警備員は配置され、蒲田のアルバイトは蒲田の思うより必要とされた。ただ街の人は例年の十分の一にもなっているので、警備室の小部屋で今後作りたいお面の構想ははかどっていた。

(仮面から音楽が聞こえるなんてどうだろう。視覚から聴覚に働きかけられてしまうような、トリックアートができるんだからそんなこともできるんじゃないかな、音楽を連想させる、例えばトランペットや音符が顔と一体となっているとか、音、

音、

鳴き声、

口の形、

音、足音、

自然の音、

水、

やはり楽器がいいか、トランペットと一体化した顔、口から耳へ、曲はどうしようか、クラッシック、ロック、ポップス、ジャズ、曲調は、優しい方がいいかな、視覚から聴覚へ、音楽家は、ロックスター、音楽を奏でそうな人、意外な人、顔から連想されないほうがいいか、太った人、太い、細い、おもしろい、やってみよう、とにかく明日オーケストラ、明後日は有名じゃなくてもいいからバンドのライブに、、)

 玄関を開け、自分が全身スーツを着ていることに気づき、ウイルスの影響で劇場などの娯楽産業はあえなく営業されていないことを思い出した。仕方がないので動画配信やラジオでありとあらゆる音楽を漁ることにした。パソコンを開くと見慣れない名前から一件メールが届いていた。


___


件名_はじめまして【お仕事の依頼】


本文_浦田要平 様


はじめまして。

株式会社Gスーツの那賀と申します。

突然のご連絡失礼いたします。



蒲田様の仮面の作品をインターネット上でいくつか拝見させていただき、大変感銘を受けました。

素人の感想で恐縮ですが、自然と一体化したような、既存の概念にとらわれないような、斬新な作品の数々は、国内でも類を見ない優れたものと存じます。


自己紹介が遅れましたが、私はGスーツの企画開発部にて、お客様に寄り添いつつ、またトレンドの魁となるような画期的なスーツ、または洋服を考案させて頂いております。

弊社の商品を紹介した資料を、いくつかご参考までに添付させて頂いております。


御存知の通り新型ウイルスの影響で国民の60%以上が全身スーツを着る時代になりました。

そこで是非、浦田様の斬新な創作力と弊社で力を合わせ、新時代の全身スーツの開発をしませんか、というご提案で今回はご連絡を差し上げております。



報酬金については、売上の15%を蒲田様にお渡しできればと考えておりますが、もしお話だけでもしていただけるようであれば、日程を調整し、ビデオ会議をさせていただけませんでしょうか。

本当は対面でお会いしたいところですが、こういった世の中ですので、ご理解頂けましたら幸いです。



突然のご連絡で恐縮ですが、前向きにご検討のほど、よろしくお願いいたします。



株式会社Gスーツ

企画開発部 那賀由伸


(資料)20XX年度商品紹介資料_pDF


___



 このようなメールはたまに来るのだが、蒲田は基本的に断っていた。しかし、今の全身スーツの売れ行きは街を見れば一目瞭然で、15%の報酬は今までしてきた仕事と比べて格段に高かった。

 蒲田は今の生活スタイルに不満はなかったが、欲を言えば仮面一本で働くことを望んでいた。まとまったお金が入ることは商売柄少ないので、売上があるときも、売上がない月のことを考えて念のためアルバイトは継続した。

 今回のGスーツの企画は、ウイルスの蔓延時のみの仕事だろう。だから、ずっとは続かないだろうし、これを利用して自分の作品を世の中に広めていくために、ちょうどよいものに思えた。この那賀という男がどのような話を持ちかけてくるのか分からないが、一度話だけしてみることにした。



 数日後にビデオ会議が行われたのだが、蒲田の持っている古いパソコンやスマートフォンでは通信の確認で日が暮れそうになったため、結局対面で話し合うことになった。

 那賀はGスーツ社製の全身スーツを着てギャラリーに現れた。ビジネス向きの、黒の格調高いスーツだった。顔面部は半透明で若干眼力が強く見える仕様になっているようだ。蒲田が警備会社から支給された全身スーツとは大違いだった。那賀は壁にかかる300個ほどのお面ざっくりと観察し、一つも触ることなく雑談を始めた。

「先程はすみませんね、ビデオ会議。でも実際にここに来れて、お面も見れたし、結果的に良かったです。」

「いえ、僕のパソコンもスマホも古いのが悪いんです。わざわざ来てもらってしまってすみません。」

「いえいえ、いやーでもお面すごいっすね。一個作るのにどれくらいかかるんですか?」

「えー、大体1週間くらいですかね。こだわると1年位のものもあります。」

「すごいっすね。アーティストさんですね。やっぱり。値段でいうと、どれくらいかかるんですか。」

「んー、まちまちですね。あんまり考えてないので、すみません。」

「なるほどっすねえ。まあ、アーティストさんですもんね。」

蒲田は妙な営業トークにはどうしてもむずむずしてしまったため、本題に入った。

「それで今回の話は受けようと思っているのですが、具体的にはどんな感じでやればいいですか?」

「え!ありがとうございます!話が早くて助かります!そうですね、一応こちらに流れをまとめて置きました。」

一緒に資料を確認し、1時間ほどで那賀は会社へ帰っていった。壁にかかるお面たちは、那賀を見てどう思っただろうか。


 蒲田要平プロデュースの新型ウイルス対応スーツは全部で三種類発売された。1つ目はビジネスマン向けの好印仮面スーツ「G-Wolf」。2つ目は婦人向けの健康美仮面スーツ「G-Andalusian」。3つ目は、中性志向の仮面で若者に向けの「G-Natural」。企画会議で蒲田はほとんど黙っていた。Gスーツ社からの要望は紳士、婦人、高校生でも使える若者向けのデザインだった。会議中に何もアイデアが思い浮かばなかったが、「一度イメージを描いてみていいですか?」と言い、ノートに簡単なマスクのイメージを3つ描いた。それが採用になった。普段、地の底からのアイデアの源泉が湧き上がるのを待つことの多い蒲田にとって、その絵はイメージづくりのための下書きのつもりだった。「ああ!すごい!こういうのを求めてました!」と言われたので、それでやってもらうことにした。仮面の工場は群馬県にあるとのことだった。そこまで足を一応足を運んでほしいと言われた。報酬金のこともあるので行くことにした。

 自分の名前が世の中に広がる可能性があることを考えると、もう少しデザインを凝るべきだったと反省をしていた。蒲田の下書きがサンプル品として示された。ここが最後のチャンスだった。

「これ、マスクのサンプル、自分で作ってもいいですか?」

「ああ、是非お願いします。やっぱり天才の原本は天才に作ってもらわなきゃ。」

全面黒のスーツを来た工場長が言った。


 蒲田の作ったサンプルは、非常に巧緻なものになってしまった

「蒲田さん、こりゃ大量生産難しいかもな。うちのスタッフはアーティストじゃないのでね。」

「このスーツ何着作るんですか?」

「今のところ、三種類合わせて10万着くらいかなあ。このクオリティを維持するなら、蒲田さんこの工場にずっといてもらわないと。」

「なるほど。そうなんですね。じゃあ、できる限りいるようにします。」

「この仕事以外は大丈夫なんですか?」工場長は言う。

「警備員の仕事なので、全然大丈夫です。」

「へぇ、天才さんも苦労してるんですねぇ。」

 それから殆どの時間をGスーツの工場で過ごした。いてくれるならということで、Gスーツ社の社宅を一時的に借してももらうことができた。慣れない複数人での仕事で、蒲田は散ったイチョウのように毎日クタクタになった。






 蒲田要平プロデュースのスーツは、全国的に話題になるほどにはならなかった。しかし、蒲田の懐にはかなりまとまったお金が入ってきた。

 3ヶ月ほど過ごした群馬県の工場を後にし、蒲田は電車に乗り込んだ。今回の仕事は引き受けるべきだったか、引き受けないべきだったか分からなかった。Gスーツ社のお陰で、蒲田の他のお面の販売も促進されている。スーツは確かに受注分は売れ、街で1週間に一回ほど見る流行具合だと母親が言っていた。好きな人は好き、といった具合だろうか。また同じような仕事をもらったときは慎重になるべきだと考えるようになった。換気のために開かれた電車の窓から、田舎から郊外へのグラデーションの匂いが漂っていた。

 新型ウイルスは世界各国が総力を集めて開発したワクチンや全身スーツの功績も有り、徐々に収束に向かっているようだった。

 蒲田は群馬県から自分のアトリエに戻ってきた。壁にかかる仮面が蒲田を出迎えた。「お疲れ様」と言われた気がした。



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