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四十八文字の話『キ』 北関東人が出会った「奈良吉野町」より①

私は今から20年前位、旅が「マイブーム」で、伊豆など関東近辺は勿論、東北地方、名古屋、伊勢、熊野、そしてお決まりの京都、奈良等に暇を見つけては出掛けておりました。

今回お話させて頂くのは「奈良」に旅行に行った時の話です。

ですが旅行の目的は表題に記した「吉野町」ではなく、定番の奈良の「大仏様」でした。
一度中学校の修学旅行で見た記憶が有りますが、皆さんも覚えが有る通り、その年齢の頃は「有難み」や「信心」など殆んど持ち合わせていませんでしたので、只々「大きいな~」という印象しかありません。それで今からちょうど19年前の旅行は、大仏様が開眼して1250年の節目の年でもあり、良い機会でしたので、奈良へ向かいました。

9月の連休を利用し、奈良公園に到着して早速、そこいらにウロウロしている神使 ( ホントかな~😁 ) と言われる「鹿」達には目もくれず、ただただ大仏様へと向かいました。

⚪大仏様


「う~む、やっぱりデカイナ~。今から1250年の昔によく造ったものだ」。

いや~、若い頃に見た時とはやはり受け止める気持ちが違います。大仏様の開眼当時に流行っていた感染症 ( 天然痘 ) を追い払うため、奈良時代に『聖武天皇』の発願で造られました。
( 何の因縁でしょうか? それから1269年後の現在、感染症のコロナが蔓延してます。大仏様、早くコロナ禍を収束して下さい。)

因みに来年2022年は、奈良大仏開眼1270周年❗の節目。また行こうかな~😁 )

大仏様を拝見したので今回の旅の目的を果たし、それからは奈良公園周辺や奈良市内を散策、そしてその日に泊まるのホテルに到着し、翌日に帰る予定でした。
ですがホテルの部屋で休んでいると、ある考え浮かんできました。

「3連休だからあと1日余裕があるな。せっかく来たのだから明日またどこかに観光し、もう一泊しようか」と。


で、明日どこへ行こうかなとガイドブックを見ていると、奈良南部にある「吉野」が目に留まりました。
歴史教科書では南北朝時代、南朝の本拠地としてよく出てくる場所です。桜の名所としても有名ですが今の季節は秋。「どうしようかな?」と思いましたが、他に思い付く場所はなかったので「吉野」に行く事にしました。

でも今から思えばこのちょっとした予定変更が中々面白い体験❗をする事になりました。


⚪吉野へ

翌日、奈良から近鉄吉野線で約2時間程で吉野に到着。

チェックインの時間までまだ時間があるので早速散策。
往時は南朝の本拠地でしょうからさぞや賑やかだったでしょうが、今はただ木が生い茂り、長閑な場所でした。

毎年桜の季節では多くの人で賑わいますが、今は夏休みが終わってこれから10月の行楽シーズンが始まる、ちょうどシーズンオフの時期。人っ子一人もいません。森の中を歩いているのは私ただ一人です。

途中の土産物屋で気さくにお兄さんが声を掛けてくたので、荷物を預かってもらい、更に奥へ進みました。するとガイドブックにも出ている大きな寺の境内に出ました。
この寺には宝物館がありましたので早速入場します。
その寺については余り予備知識がなかったので特に期待はしていなかったのですが、その展示物の内容たるや驚くような品々が展示されておりました。

○南朝天皇『後醍醐天皇』がお作りなられた木製の仏像。
○「太平記」の話にも出てくる「楠木正行 ( くすのきまさつら ) 」が戦に向かう前、自らの辞世の歌を矢じりで彫った「扉」、……等々。

🌸これらの展示物、東京や京都の国立博物館に飾られていても何ら不思議なことはありません。

が、今回のエッセイの目的はこのお寺ではないので、またの機会にお話します。
その後、段々暗くなってきましたので、先程荷物を預かってくれたお土産屋で買い物をして、本日の旅館へ向かいました。

大変大きく立派な和風旅館。
ですがここでも客は私一人。
従業員の方は私一人のために働いて頂いている様な気がして😁、何やら申し訳なく思うほどです。

私が部屋担当の中居さんと話をしていた時、私が宇都宮市から来たと知ると「え❗、宇都宮❔。実は私はお隣の茨城、水戸出身なのよ」と、何やら大変楽しい会話をしました。
その時は、水戸からこんな山奥へ働きにくる人がいるんだな~、としか思いませんでした。
が、でもこの中居さんの出身地との関わり合いが次の日の面白い出来事と繋がっているとは思いませんでした。

(  続く )


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