ハウスが流れ着くところ
ハウス・ミュージックとは、いわゆるパーティ・ミュージックである。それも、とても上等で設えのよい類いのパーティ・ミュージックだといえる。ハウス・ミュージックは、70年代後半の然るべき時期に同性愛者たちの憩いの場であり楽園でもあるゲイ・ディスコ/ゲイ・クラブのダンスフロアで生まれた。そこでは、自らのセクシャリティを公にできず肩身の狭い思いをしながら日々の生活を生きているゲイ・ボーイや、女装愛好家などの性的に倒錯した変態として一般的な社会の生活からは疎外されてしまっているドラァグ・クイーンやゲイ・ダンサーたちが、本当の自分を解放し自分の中に抑圧されていたものを発散してダンスに没入する、猛烈なエネルギーが渦巻く極上のパーティが週末の夜ごとに繰り広げられていたのである。その爆発的に忘我の境地で踊りまくるためにあるダンスフロアには、最高の選曲でいつまでもダンサーたちに激しくステップを踏ませ肉体を躍動させ続けさせることのできる腕のよいDJが必要となる。そして、そうしたDJの存在やダンスフロアをきらびやかに照らし出すライティングや風船の飾り付けなどの日常から解き放たれ隔絶したダンスの空間を演出する要素もまた最高のパーティ(とパーティの文化)を構成する一部となっていった。最高のダンスフロアとダンサーとDJという三つの要素が揃った特別な場所は、そこが偏った常識や倫理によって虐げられ社会から追いやられた同性愛者たちにとって非常に特別な意味をもつがゆえに(一般的なヘテロ・セクシャル向けのディスコ・ミュージックとは異なる)新しいダンスのサウンドを希求するようにもなっていった。そして、そうした特別な存立の背景をもつダンスフロアからの需要と要請に応える形で創造されていったのが、究極のパーティ・ミュージックとしてのハウス・ミュージックであった。そのダンスのためだけに生み出されたサウンドには、血と肉と骨とDNAの部分にパーティがパーティであるための真髄が、たっぷりと盛り込まれている。
ダンスフロアにおいて究極のダンス・サウンドとして機能するために製造されたシンプルだが奥深いドラムとベースのサウンド。その特性を最大限に発揮するために、より鮮明で重い低音を鳴らすことのできる音響設備の整った場所をハウス・ミュージックは欲求するようになる。そして、その音質に拘る傾向は、経済的な力に引き摺られる方向性をももつことから、洗練された都会のパーティ・ミュージックやアッパークラスのクラブ・ミュージックという方向へと半ば本能的に向かってゆくような動きとしても表れてくるのであった。高品質のサウンドシステムを導入するためには、それなりの規模と資本力をもつナイトクラブが前提とされる部分もあったことは間違いない(ただし、それらの要素を形式と内容のどちらにどれだけ配分するかの割合によってナイトクラブの性質そのものも大きく変わってくることになる)。優れたダンス音楽としての機能性の高さからくる踊る楽しさや果てしなく持続する娯楽性が、そこで大きく突出して鳴り響くことで、ハウスのサウンドはパーティ単位やクラブ単位で話題となり、そこに(最先端の流行の噂を聞きつけた耳の早い)様々な人々が集まり始める。すると、(次第に)そこでは一段上の華やかなパーティが(ダンスフロアに集まる人々に合わせ、それに応える形で)開催されてゆくようになってゆく。そして、そうしたハウス・ミュージックがプレイされるパーティの格が上昇してゆくことで、都市の片隅の地下の薄暗い場所で誕生したハウスの文化というものが、華やかできらびやかな場所でも違和感なく受容され、その空間に大昔からあったかのように息衝くようにもなってくるのである(そこにおいて全く新しい様態のパーティ音楽として新しくきた人々に受容されたという客観的な事実に基づいて)。そこまでくると、それまでは全く気にも留めていなかったような人々もハウスのパーティに関心を示すようになるのである(たとえば、地下のハウスのパーティとは無縁であった、アップタウンのおしゃれなパーティ・ピープルたちが)。格段にパーティの華やかさが増してゆき、そこに集まる人々の属する階層も高いものになってゆくことは、ハウスの文化に付随して派生してきたパーティ・ビジネスのマーケットの拡大にもつながってゆくことになるだろう。それはハウス・ミュージックが多くの人々にダンス・ミュージックやパーティ・ミュージックとして楽しまれ、それが音楽文化やクラブ文化として幅広く(資本主義的経済原理の中で)浸透してゆく過程で芽生え活性化していった、新たな都市型娯楽ムーヴメントの発生と成長の流れであり構造的な動きであるともいえる。ただ、そうしたビジネス中心の流れや動きによって、それまでのアンダーグラウンドのハウス・パーティに足繁く通っていたような小汚くむさ苦しい子供たちや社会の周縁に棲む異形の人々にとっては、ハウスの文化というものが少しばかり敷居の高いものなってしまったとしても(「クラブのパーティって、全身ユニクロだと入れないんじゃない?」)、それらのアッパーな階層はそのことを一向に気にも留めることはないだろう。以前のアングラだった頃のスケールよりもその文化や市場の規模は何倍にも拡大し、それゆえに客層に合わせて入場料も多く徴収でき、少し高い価格設定でも飲み物などを販売することができてしまうパーティは、純粋にビジネスとしてもアンダーグラウンドであった時代とは次元の異なる成功が可能となるものとなっているのである。
大都会における都市生活者の日常の生活のサウンドトラックとしても聴取されるようになり、音楽としての洗練へと向かってゆくハウスは、社会の辺境や世界の辺境からは、ものすごい勢いで遠離ってゆくようにもなる。再開発され新たに時代の最先端に組み込まれてゆく地域とは切り離されて、経済的な繁栄からは置き去りにされたままにされる社会の地平から陥没してしまったゲットーのような場所は、それが通りをほんの何本か隔てた数ブロックの距離でしかない位置にあるものであったとしても、その見た目以上に遠くかけ離れたものとなってしまうのである。
ハウスは洗練された都会派のクラブ音楽となってゆくことで、何かハウスにとってとても大切で重要なものをハウスの内部や周辺に派生するものから知らず知らずのうちに排除してしまうことになってしまっていたのではなかろうか。小汚い服装の子供たちや辺境の地域に追いやられたダンサーたちは、それまでの閾の存在しないようなものであったものから一段上のものへとなってゆこうとするハウスの文化から、ものの見事に見向きもされなくなり流れや動きの中から弾き出されてしまうことになっていたのではなかろうか。彼らが再びダンスフロアに足を踏み入れるためには、どこまでも貪欲に(自分を排除し敵視する)社会や世界の中で傷つき汗みどろになってそこまで這い上がってゆくしか手はないのであろうか。
辺境の地やゲットーのダンスフロアで鳴っている音楽は、新しい何かにリアレンジされた、そのひとつ前の新しい何かをベースにして仕立て上げられたものであることが多い。アップタウンのオシャレなパーティでプレイされているキラキラしたハウスのヒット曲が、そのまま辺境の地の埃っぽく狭いダンスフロアで古いスピーカーから割れた音で鳴ることは可能であろうか。そのハイ・ソサエティなイメージのサウンドと歌は、そこでのシャンパンが似合う豪勢なパーティとは縁遠いところにあるダンスフロアに、都会風の形式のままでフィットすることが果たして出来るのであろうか。
洗練というものとはほど遠い非都会的なダンスフロアで、デイヴィッド・モラレスやアルマンド・ヴァン・ヘルデンによる大味なトライバルビートのトラック(ザ・ボスの“Congo”、サークル・チルドレンの“Zulu”、そして“Witch Doctor”、等々)(もしくは、そのビートをサンプリングしたトラック)が、思いきりピッチを上げた状態で乱雑にプレイされる。そこでは、遠いニューヨークやロンドンの街で作り出されたダンス・トラックが、土着のアフリカン・ビートやトラディショナルなダンス・ミュージックと急接近し、そこで新たな音と音の融合がなされ、その地ならではのダンス・サウンドの創生が促されてゆく。そうした場で独自の融合と進化を遂げた突然変異的なサウンドが、南アフリカのクワイトやシャンガーン・エレクトロ、アンゴラのクドゥロ、象牙海岸のクーペ・デカレなどの新種のダンス音楽へと発展していった。
そのような新種もまた、洗練されて都会化されたクラブ音楽とは対極にあるものと位置づけられることで、その対極にある(自らのルーツである)ものに反発し、それを排斥しようとする方向へ向けて動いてゆくことになるのだろうか。サウンドの進歩、進化、そして洗練は、それを受容することが可能なものを限定することへと向かうものでしかないのだろうか。もしくは、それはそれを受容する場所を限定する方向へと向かうことになってゆくのか。
しかし、アンダーグラウンドや辺境の地におけるパーティ・ミュージックとしてだけではなく、メインストリームにおいても受け入れられることこそが現代では(商業的な)成功(のより顕著な対外的証明)であり、そこでならはより大きな見返りを得ることも可能となる。よって、すべての企画やムーヴメントは、宿命的にそこ(センター、中心、中央)を目指すことになるといってもよい。時間と場所を定めて開催されるパーティとは、純粋なる慈善事業などではないし、純粋贈与としてのポトラッチにもなりえない。
いつまでもアンダーグランドなまま/辺境のままに留まって、パーティの盛り上がりに水をさすような儲かる儲からないという話とは無縁の状態ではいられないものであろうか。その新しいダンス音楽が、誰もがダンスして楽しくなれる高い娯楽性を備えたパーティと強く結びついているものであればあるほどに、それが時間の経過とともにビジネス的にも文化的にも大きな広がりをもってくることは、決して避けられぬことであるのかもしれない。情報技術が目覚ましいほどに発達している現代においては、何ものも(その楽しさや娯楽性に比例して)ごく一部だけの秘密のままにしてくことはできないのである。
どんなに小額のコストしか必要としなかったものであっても、その労働作業によってサウンドが制作されたのであれば、そのコスト分を回収するために、そのサウンドは市場に向けてリリースされる運命にある。そして、それがもしも小さなローカルの枠を越えてヒットを記録すれば、そのヒットの規模に見合うだけの、それなりの報酬を制作者は対価として求めることもできるようになるだろう。さらに、そうしたヒットの道筋をより大きな形へと押し進めて(拡大再生産)、その巷の注目を集めているセンセーショナルな新しいサウンドは、より洗練されたヒットを狙いやすいサウンドへと(改良を施されて)向かってゆくことになる。
ここまでくると、それはもはや辺境やアンダーグラウンドやゲットー向け(だけ)の音楽ではなくなっている。かつてのハウス・ミュージックが、いつの間にか元々のものとはちょっと違う(毛色の)ものに上から下までごっそりと挿げ替えられて、地下のクラブで遊ぶ小汚いなりの子供たちやゲイ・ピープルのものだけではなくなってしまったように。
ミュージック・ボックスでDJを務めていたロン・ハーディは、シカゴのダンサーやキッズたちで溢れかえるダンスフロアが熱く沸騰し、自分の気分もノリノリになってくると、どんどんプレイするレコードのピッチを速めてゆき、どんな曲も超高速で鳴り響き矢継ぎ早にミックスされてプレイしていったといわれる。それが、ロン・ハーディの独特の方法であり、ほかのDJたちとはひと味違う特別なプレイ・スタイルであった。パーティの高揚感と(薬物による)興奮でハイになったロン・ハーディがプレイすることで、やや時代遅れなものになりつつあった70年代的なパーティの様式美が追求されたディスコ音楽も、一転して荒々しくワイルドなサウンドに変化したのである。高速のピッチでプレイすることでロン・ハーディは、もはや聴き飽きるほどに耳に馴染んでいた古いサウンドのディスコの楽曲を、それまでには誰も聴いたことがなかったような刺激的な音楽に再生/蘇生させてみせたのである。
そのDJプレイに多大なる影響と刺激を受けて、ファンキーでナスティなシカゴ・ハウスの流れが発生した。それは、ワイルドなロン・ハーディのDJプレイをひとつの形式にまで高め(ハウス作品として)精錬させていったものでもあった。しかし、その様式の美がシカゴ南部のダウンタウンの(日常において感じ取られる生の)感覚と接触してゆく中で、さらにエログロ度を上昇させた下劣で下世話なサウンドをも(副産物として)生み出していったのである。
精錬されたサウンドが、洗練とは程遠いサウンドを生み、洗練からは程遠いサウンドが、精錬されたサウンドを生み出してゆく(新種として戻ってきたものは、内部から逸脱しているがゆえに、旧種の内部の齟齬や断裂をえぐり出し、再びその齟齬や断裂の内部から突き抜けるような勢いで投げ返される。そして、またしてもその内部から異物としての逸脱素が弾き出され、外部の辺境において新種へと精錬されて戻ってくるのだろう)。音楽の形式やスタイルの流れとは、再生と蘇生の繰り返しの中で、洗練と洗練からほど遠いものという二極化をしてゆく動きをみせるもののようである。だが、その洗練と非洗練へと向かう動きの根幹において突然変異的な変容を促す融合があるとき、そこに音楽的な飛躍的発展はある。そして、洗練と非洗練が対角にあるものを排除/排斥しようとする動きも、そうした飛躍的な発展を導く契機ともなる。音楽の進化は、その動態の極限において飛躍的に加速する。エクストリームなまでの辺境における非洗練化や都市における洗練化への動きをまるで超越視したかのような猥雑さのグチョグチョの奥底から、全く新しいものが生み出されることも極めて多いのはそのためである。
では、今のEDMとディスコ/ハウスの関係性はどのように捉えられるであろうか。そこにダンス音楽としての系譜的なつながりを認め、影響らしきものを聴くことはできる。しかしながら、それは非常に表面的なものであり、そこに創造的な発展が生み出される可能性は非常に低いように思われる。キラキラしたダンス音楽のセンター・ステージに対応する辺境としてのアフリカのダンスフロアやロン・ハーディのDJプレイのような、どこかに完全に振り切れてしまうような動きは、そこにはほとんど見られないのであろう。どんなに巨大化したパーティが、ギミックたっぷりの電子音で満たされ太いベースラインで揺さぶられワイルドな盛り上がりをみせようとも、そこでは進化のスピードは一向に速まることはない(群衆の足の動きは飛躍するにはとても遅く動く)。ハウス・ミュージックやディスコやガラージは、もう一度、(ポスト)現代のダンス音楽によって再発見され(蘇生され/救済され)なくてはならないようである。(15年)(16年・17年)(Rearrenge version of 「ハウスがキラキラしているのは誰のせい?」)
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