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日曜日の落語

2021年11月21日
落語立川流の家元にしてイリュージョニストでもあった立川談志がこの世を去ってから、ちょうど十年が経った。もうそんなにもなるのだ。あまり十年という実感はわかないが。そういわれてみれば、まあそうなのかなと思うくらいだ。しかし、東日本大震災のときには、きっかり十年の節目なのだなという感覚や感慨は、そこそこだがあった。まだ津波の映像とか震災直後の時期の映像などは、あまり好きこのんで見たいとは思わない。それでも、計画停電があった冬の夜の暗さや寒さに感じたひどくどんよりとした寄るべなさのようなものは、記憶の底にはっきりと染み込んでいて、今でもすぐに思い出すことができる。だが、それに比べると談志の落語は、まだ思い出すまでもないもののようにも感じるのである。
やはり立川談志と時間の感覚の相性というのは、どう考えてみてもよくはなさそうだ。そういったことは、こういう直線的な時間の流れの中において一区切りがついたといわれているようなときにこそ、目に見えてあらわれてくるものであるらしい。東日本大震災はもう歴史の一部となっているけれど、立川談志はまだ歴史にはなっていないということだろうか。それは現象としてまだ動き続けていてちっとも終わりをみていない。だから、まだ歴史にはなっていないのではないか。もしくは、それはもはや歴史以降のなにものかになっているということなのか。それはひとつの様々なヴァリアントをもつ物語としてそして記憶として何度も何度も反復されるのだろう。やっぱり、いつもいつもことあるごとに談志の落語を参照しているし、落語を見る基準にも聞く基準にも考える基準にも物事の価値の基準にも、ずっとどこかに立川談志がいることは間違いない。
立川談志が芸道の研鑽の末に到達した「落語とは人間の業の肯定である」という考え方は、これを完全に肯定するか否定するかということはさて置いて、ちょっとばかし落語を深く聞いてみようかとかこの噺はいったい何をいわんとしているのかということを考えてみようとしたときに、必ず誰もがくぐらなければならぬひとつの大きな門となっているのではなかろうか。この落語命題とともに立川談志とはひとつの事件となった。そして、それは終わることのない現象でもあるのである。落語と人間の業の肯定とは、もはや分かち難く結びつけられている。意図的に、それを無視しようとするようなことがない限りは。

最近は、どんどん世の中がつまらないものになってしまってきていて、そうなってくればくるほどに、あの談志が残した命題がいよいよ輝きを増してきているようにも感じられる。新しいものほど歪んでいるし、数字だっててんであてにならない。暗黒世界を自動制御で渡世する人間らしきものや人間もどきたち。地口も諧謔も通じないこんな世の中じゃ、ポイズン。あれもこれも人間の業なのだといったって、私以外私じゃないのが当たり前だったら、もはや肯定も否定もありゃしないじゃない。全部、他人ですよ。ラクゴってなんですか、それ。どこかよその国の言葉かなにかですか。わからないです。見たことも聞いたこともないです。昔、猟師が鉄砲で撃ったとかいう話は曽おばあちゃんからだいぶ前に聞いたことがあります。それぐらいです。
そんな世の中で日々生きづらさを味わっている人や世間とそりが合わないと感じている人は、どこか自分に似た部分や自分と共通する部分を、「切なくていじらしくてメチャクチャな」立川談志という存在の中に見つけることができるのではないか。だからこそ、なかなかそれを亡きものとしてぷっつりと切り離してしまうことができない。それは、いつまでも自分のことのように感じられる。立川談志の落語は、自分自身の業の肯定を肯定してくれるものともなる。
逆に、ああいうタイプの人間を心底毛嫌いする人もいる。肌感覚としては、そういう人々は年々増加している。哀しいことに。地口も諧謔も何をいっているのか意味がわからないし、それを理解しようとすることもできない人々。だから、そういった自分にとって、わけのわからない理解不能な戯けたことを言ったり考えている人間は、自分たちの社会にとってはどこまでいっても無用のものだろうと簡単に決めつける。そして、落語なんてものは古臭い笑い話を馬鹿の一つ覚えのように繰り返しているだけで、時代の最先端をゆく自分たちにとってはこれっぽっちも必要のないものだと認識するのである。
だがしかし、だからこそ、そんな世の中に伝統芸能そして古典芸能としての落語をめちゃくちゃに踏み潰されてたまるかという気分にもなる。かつて立川談志は、このまま漫然と過ごしていては、いつか落語は伝統芸能や古典芸能として鑑賞される対象でしかなくなり、現在の能楽堂に押し込められている能と同じ道をたどることになるだろうと真剣に危惧していた。そういう思いがあったからこそ、現代という時代の中においても落語が生きた芸能であり続けるためにフルに頭を使い出来る限り手を尽くし、文句なしに面白い噺家であろうとして家元となり退路を断ちもがきあがき通したのだろう。ただただ愛する落語の輝ける未来のためだけに。
しかしながら、寄席文化の華やかなりし頃の人々と、現代のわたしたちではそれほどまでに大きく違ってしまっているものなのだろうか。たったの百年かそこらで、そんなにも容易く人間はつまらない生物の方向へと進化してしまえるものなのだろうか。そういったしばらく前の人間と今の人間との連続性が見えづらくなってしまっているところに、もしかすると一番の問題があるのかもしれない。歴史の最先端にいると思い込んだ現代人が自分たちのことだけを特別視する一方で、伝統芸能や古典芸能を前時代の区割りにまとめて押しやってしまい、自分たちの足元の大地を自分たち自身の手で弛んだ不良なるものにしてしまう。
だが、落語などというものは、本来はどこの誰にだって一発でばしっと刺さるようにできているのである。ゆえに、伝統芸能や古典芸能として生き残ってきたのである。そんな一般庶民向けの落とし話・滑稽噺を寄席芸能として完成させたいわゆる落語というものを、最も純粋に最も高いレヴェルの研ぎ澄まされたスタイルで実践していたのが立川談志であった。落語とは伝統芸能であり古典芸能であり反時代的エンターテインメントでもある。それゆえに、それはいつだって生きた血の通った芸でなくてはならない。
インスタントな笑いがもてはやされ主流となっていった。そんなテレビ全盛の時代に能と同じ運命を辿りつつあった落語の息を吹き返らせた立川談志の功績は大である。談志が画策した「笑点」がなかったら、今頃は落語なんて完全に廃れてしまっていたかもしれない。着物で正座して喋っているだけでは若者は飛びつかない。「笑点」は噺家の競合の世界をそのままエンターテインメント化することに成功した。そして、テレビ史上に残る長寿お笑い番組になった(寄席芸能としての落語の文化をテレビ向けエンターテインメントとしてのインスタントな娯楽に変換したのもまた「笑点」であったのだが)。
そんなすごいことをする人だったから、立川志らくも爆笑問題の太田光も重度の談志になりたい病に罹っている。だが、この病は、自分の中の談志と談志の中に発見できる自分を結びつけて、なんとかして談志と自分を同一化したいというかなわぬ願望が思いとしてあらわれ出たものにほかならない。患者たちは、どこか少しでも共通するところがあるというだけで嬉しいのである。そういう意味では、談志が降りてくるのも談志の中に自分を見つけるのも、そう症状としては大差はない。憧れの存在を近くに感じられていれば、それでいいのだから。
そんな談志オタクであるわれわれが、ちょうど没後十年となるこの日に、あらためて談志の落語にぶちのめされた。そして、まだまだ憧れの人は遠い存在であることを再確認する日にもなったのである。降りてきた談志も、談志の中に見つけた自分も、ほんのちっぽけな欠片や微塵ほどのものでしかなかったのではないか。立川談志とは、大宇宙であり、言い尽くせぬものであり、イリュージョンなのである。降りてきたものも見つけたものも、本当に談志の核心部分にかすっているものなのか実は定かではない。だから、それがいったい何なのかを確かてみるために、何度も何度も不在にして在る談志に問い、答えを自分の手で探し出してゆかなくてはならない。そして、その答えはまた問いになり、再び問いかけて答えを探索し、その答えからまた新たな問いが生じてくる。そんなことを繰り返しているうちに、きっとすぐに没後二十年という日がやってきてしまうのであろう。
ぶちのめされ陶然としているオタクたちに向かって「どうだ参ったか、ざまあ見やがれ」と吐き捨てるようにわめいて大袈裟に哄笑する談志の姿が目に浮かぶようである。そんなにもあの反逆児はこの世の中に迎合せず誰もそばに近づくことさえ許さぬ存在であり続けたいのであろうか。ひとりとして足元にも及びもつかないことを自分自身が最もよく自覚していながら。さずがは談志、死してなお十年よくぞまだ談志のままでいた、といったところか。そんな立川談志という噺家の深い深い業もまた肯定されなくてはならない。ほかでもない、談志が愛した落語によって。

東京MX「立川談志没後10年 復活!言いたい放だい2021」は、立川志らくと神田伯山が司会進行役を務めた十回目の命日に放送された二時間の特別番組。この番組の中で、立川談志の「芝浜」がノーカットで丸々五十分ほど流された。これは2005年にMXのスタジオにて収録されたものである。座敷噺の高座風にセッティングされたスタジオの静けさの中に、在りし日の談志がいかにも調子悪そうに現れる。昨今のコロナ感染症のパンデミックの時代においては、もはや当たり前にものにもなってきている無観客落語だが、この当時はまだこうしたしつらえは非常にスペシャル感のあるものではなかっただろうか。
今では見馴れたものであるはずの落語の無観客収録だが、このスタジオにはそれだけでは済まされないようなちょっと異様な空気が漂っているように感じられる。立川談志の「芝浜」というだけで、その場の空気感が大きく変わってしまっているということもあるだろう。それはもういつからか何か特別なものになってしまっていたのである。演る方も聞く方も決して普通のままではいられない。そんな尋常ではない空気感の中で談志が活き活きとした言葉で削り出して眼前に浮かび上がってくる「芝浜」という噺が、その空間すべてを隅々まで満たしてゆく。その味わいを演る方も聞く方も楽しむのが談志の「芝浜」なのである。
そういう普通ではないものをちょっと普段とは異なるスタジオという空間の中で演ることに意味があるのだと、談志は考えていたのかもしれない。これまでにも様々なことを試してきてはいたが、まだまだこの噺から絞り出せるものがあると最後まで確信していたようだから。今まで通りの方法では絞り出せなかった何かを追い求めて、収録スタジオでの実験的な落語を演出する形式に思い至ったということなのではないか。まあ、それをMXで演ってしまえば、しっかりと映像として残しておくこともできるし一石二鳥だという心算があったのかもしれないが。
この2005年のMX版「芝浜」は、全編を一度既成の噺の型から解放して解体し、土台すら取っ払ってしまったところに自由にアドリブで話して口演していったものであるという。古典落語とエクスペンタリズムを激突させていきなりアドリブでアウトプットしてしまうという、非常に談志らしいチャレンジである。人生、成り行きであるから、失敗しても成功しても何らかの学びはある。
正面と左右からそれぞれ一台ずつ合計三台のカメラ位置、決して明るすぎない行燈の灯り程度の照明、冬の夜の寒々しい青から春の朝の温かな橙へとゆっくりと変化してゆく背景の障子にあたるライト、すべてにおいて計算され尽くしている舞台。談志は左右に頭を振って、時折ぴたっとカメラ目線で語る。これが絶妙なタイミングで切り替わるカメラの方にぱっと顔を向けて正面から話しかけるように演出されている。そのため、もはやこれは説得力がどうのこうのというよりも、こちらの内面に向かって直接語りかけてくるような感じがして、思わずぞわぞわさせられる。あそこまで徹底して演出が行き届いていると、なんだかもう噺の展開や盛り上がりに合わせて番組のディレクターがうっすらと情緒的なBGMでも流しだすのではないかと思って、ちょっとひやひやしたりもしたが。
かっちりと演出されていて、ほぼすべて段取り通りであり、要所要所でカメラ目線もばっちり決まり、見た目にはアドリブ性はちっとも感じさせない。いずれにしても、どっぷりと噺に集中して聞いているとMXが用意した演出の妙などは、ほとんど気にもならなくなってくるのもまた確かなのであるが。あらためて思い知らされるのだが、談志の「芝浜」はほとんど笑うところのない落語なのである。あのよく知られたサゲのひとことを聞くために、ただそれだけのために噺を聞くという類いの、かなり類い稀なる落語だといえよう。
元々は三題噺であり、幕末から明治時代にかけて活躍した三遊亭圓朝が即興で作った作品といわれる。最初の頃は、もっとシンプルなストーリーで、サゲのひとことでそらもっともだとどっとうける形式のみがあったのではないか。その後、江戸の長屋の年の瀬のドラマを主軸とした人情噺として、魚屋夫婦の気持ちや感情の葛藤を盛り込んだ演出がいろいろと付け足されて、何人もの噺家たちによって高座でブラッシュアップされ、現在のような大ネタへと進化を遂げてきた。時間をかけてじっくりと作り込まれてきた人情噺だけあり、一幕の物語としての完成度は極めて高い。しかし、その分だけ噺の滑稽さは二の次であるようなところは往々にしてある。
所々にくすりとさせるくすぐりを挟む噺家は多いが、談志の「芝浜」は、ほぼ全編じっと我慢して固唾を呑んで見守るしかない落語となっている。いや、談志もくすりとさせるくすぐりは入れる。だが、それを素直にくすりと笑ってしまっていいのかさえもがわからなくなってしまうほどに噺に集中してのめり込ませてしまうのが、談志の「芝浜」なのである。しまいには、様々な感情が胸中に入り混じることになり、あのサゲのひとことを聞いても、まともに受け止めていいのかというところすらわからなくなってくる。そういった、ある種ちょっと変な人情噺を楽しむちょっとおかしな人たちが談志オタクなのである。
もしかすると、あのラストの年越しの場面ですらも、まだ夢の中なのではないかと思えたりもする。奥さんにすすめられて空きっ腹に酒を飲んでベロベロに酔っ払って寝ていると、またぞろ「お前さん、そろそろ起きて河岸へいっておくれよ」と起こされて、最初から全部みなループしてしまう。また、あそこで型通りに酒を飲まずにやめておいたとしても、暮れに借金取りに追い立てられることのない夢のような生活が続いてゆくことになる。それもまた夢のような生活であるのだから、ある種の夢であることに変わりはない。こうなるともう人情噺なのか幾重にも折り重なった夢の中で現実を見失ってしまうSF落語なのか、ちょっとよくわからなくなってくる。
立川談志の「芝浜」は、ほぼ夫婦の会話のみによって構成されている。ト書きや地の文を語って情景や背景を描写するパートは、極限まで削られていてほぼない。よって、あれこれいちいちわかりづらいところを説明するようなサーヴィス精神も一切ない。「芝浜」を現在ある形の「芝浜」へと完成させた三代目桂三木助などは、ドラマの舞台の情景を細かに語って描き出すことで、江戸の情緒をありありと今に甦らせる演出をしている。談志の場合は、会話の端々に顔を出す季節感や状況に応じた空気感や雰囲気によって江戸の情緒をむんずと手繰り寄せてくるのである。
きっと、これはおそらく立川談志も相当に全てを傾けて話しているからなのだろうだが、聞く方もそれなりに気力と体力を注ぎ込んで、それをしっかりと仔細漏らさぬように受け止めなくてはならないという心持ちにもなってくる。ある意味、これは真剣勝負の場である。当時、TBSで放送されていたラジオ番組「談志の遺言」の投稿コーナーに「俺とお前の笑点」というものがあったが、その俺とお前の間にある笑いの点こそがこの真剣勝負の場そのものということなのだろう。そういう意味において、談志の「芝浜」は少しばかり閾が高いものなのかもしれない。たぶん、当の談志はそんなの百も承知で演っているのだろうし、こちらだって当然そのつもりでどんな変化球でも捕球するつもりで構えてはいる。ただ、実際ところは捕逸も多いのだろうから、もはや閾がどうのこうのというレヴェルの話でもない。
即興性を重視した自由な調子の落語とは、硬直した古典落語を一度バラして風通しをよくして隅々まで現代の空気にさらすようなものとなる。古典を勝手に噺家が好き勝手に改変してしまうのではなく、元の素材をそのまま使ってまた新たに組み立て直した古典落語を演るということ。その際にはアドリブで元の素材に少し風味を付け足したり、端折ったり削ったり、様々なエフェクトを用いて効果を試してみることもあるだろう。ポカやスカもあればクリーン・ヒットもあるはず。その偶然性を楽しむための即興でもある。いわば、これは立川談志による古典落語のライヴ・リミックスである。一度きっちりと持ちネタにしてしまった古典の形を、一旦全部ばらばらに壊してしまって、また新たに最初から建て直してゆく作業。それを即興でやってみせるのだから、その緊迫感たるやすさまじいものがある
中盤、ちょっと噺がごちゃごちゃになりかけるところがある。いや、どう考えても確実にがちゃがちゃになっていて、どうにも筋が通らない状態のまま噺が進行している。どこに噺の本線があるのかが見えず、混沌を混沌のまま混沌として語り進めてしまえる豪腕ぶりに、立川談志の芸人としてのすさまじさを見せつけられる場面ともなっていた。魚屋の勝五郎と奥さんだけがいる二人だけの世界で、どこまでが夢になっているのかがさっぱりよくわからない。本当の現実と嘘をついて捏造した現実があって、事実を隠蔽した奥さんも騙される勝五郎に対してそれを隠し通さねばならないという行きがかり上、誰もその噺の中で設定されている夢と現実の境界線をはっきりとは明らかにしないのである。そこに平成を生きる談志がひょっこり出てきて説明することもない。うやむやでもやもやとしたまま噺は進んでゆく。
もしかすると、談志が意図的に噺の中の夢と現実の境界をそれとなくぼやかしながら通常の筋とは変えてきているのではないか、などと思いながら噺を聞いていたりもするので、それがはっきりとしてくるまでは、頭の中でこれはどういうことかとあれはどうなのかこれはどうなのかといくつかの設定のパターンをぐるぐると考え込んでしまい、なかなか噺に集中できなくて困ってしまう時間がしばらく続いた。結局は、いつも通りの「芝浜」のままであったようなのだが。
談志の落語の場合には、何か意図をもって噺を別ヴァージョンにしてきているのではないかと、あえて聞くものに考えさせるようなところがあったりするので、どうしても噺の中にちょっとした違和が感じられただけで、これはもしやとあれこれ考えるのが大好きな本当に物好きな聞き手をたくさん生み出してしまうことにもなった。それだけに「芝浜」の特別版ということであれば、相当に構えて聞くものばかりであったとしても何ら不思議ではない。まあ、そんな談志オタク連中をいつだって軽く凌駕してゆくのが天下の家元たる立川談志でもあったわけだが。
そういう意味で、この「芝浜」という落語には、噺家の噺家としての実力はもとよりその人間性や人間力の部分までが透けて見えてしまうようなところがあり、もはや落語を越えた落語といえるなにかなのではないかと思えたりもする。噺そのものが人間の情のリトマス試験紙のようになっているということだろうか。実際のところ、噺家にとっては、どちらかというと面白い噺というよりは怖い話であるのかもしれない。底の浅い噺家は、底の浅さをありありと見せてしまうことになる。よって、そう簡単に誰もが手を出せるような噺ではない。そんな「芝浜」という落語と、ほぼ人生を賭けて格闘し続けたのが立川談志でもあった。
2005年版の「芝浜」もいくつものドラマを乗り越えてようやくのことでサゲまでたどり着いてみると、もうなんかものすごいものを見せつけられてしまったなという感慨しか湧いてこなくなる。全体を振り返ってみれば、面白い落語である。噺として面白いというよりも、試みとして面白いというか、人情噺でこの張り詰めた緊迫感の持続に向き合わされるというのはやはりただごとではない。なかなかここまで落語道の追求に振り切れてしまえる噺家というのもそうはいないのであろう。そこはやはり立川談志のやることだから周囲の理解も評価も必ず後からついてくるということなのかもしれないが。
ただし、これを落語の入門編にするのは、あまり選択としてはおすすめできない。初心者には、ちょっと難解で複雑すぎるだろう。ふんわりと落語の雰囲気を楽しむだけであったら、ふんわりと落語の雰囲気を楽しむための落語もある。たぶん、これはそれではない。ある程度はノーマルな形式の「芝浜」の内容を知っていないと、目一杯楽しめないであろうし、なんの説明も予備知識もなくいきなり談志の「芝浜」の世界に放り込まれても戸惑うだけであろう。それに、万が一これがノーマルな落語だと思ってしまうようなことがあったりすると、普通に寄席などでやっている落語はありゃ何だいアマチュアかいという話にもなりかねない。それも困ったものなので、やはりもっと本当に下らない滑稽噺などから入門してもらった方が話は早いだろう。伝統的な寄席演芸とスタジオ収録の落語は、またちょっと違うものでもある。この「芝浜」は、まあ表向きにはアホな談志マニアたちを喜ばせるために演った余興のようなものと考えてもらった方がよいのかもしれない。深く考え始めると「芝浜」は本当に底無し沼であるから十分に気をつけて。

「演芸図鑑12分の芝浜。実は下町ダニーローズの演劇公演のオープニングに7分の芝浜をやった経験あり。絵画で言うところの印象派の芝浜。キュビズムの芝浜をやりたい。今度のMXテレビの21日放映言いたいほうだい2021での談志の芝浜がまさにキュビズム。」(立川志らく)

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師匠談志の命日の前週の日曜日、NHK「立川志らくの演芸図鑑」で志らくが「芝浜」をやった。終盤の打ち明けの場面を重点的に演る構成。緻密に描き出したいところだけを取り出して、繊細に細密にぎゅっとコンパクトにまとめている。三十分番組の中で演るのだから持ち時間が短くなる(約十分)のは仕方がないことなのだろうが、そうなるともう登場人物の感情の動きは早いし大きいしで猫の目のようにころころと変わってゆくので、どうにもせわしない印象を受ける。
歳末どきの江戸情緒なんてものはさらっと片付けて、人物の感情面を志らくが上手に演じるものだからそれぞれの思いがはっきり手に取るようにわかってしまってやや鼻白む。やはり夫婦という親しき間柄にあっても嘘をついたり隠し事をしたりという噺なので、あまり内に秘めている感情が表に出てしまってわかり過ぎるような演じ方をしてもいけないのであろう。また、大家が話したことを大家らしい口調で演じすぎるのもまあわかりやすいことはわかりやすいのだがどうなのだろうか。このあたりが「芝浜」の本当に難しいところである。逆に、相手の表情や仕草から何を考えているのかがすべて見えてしまっていて、全部わかっていて飲み込んだうえでわざと騙され合っている仲睦まじい夫婦を演じるという噺の設定にすることも可能なのだろうが、それを演るとなると相当な技量が必要とされてくることであろう。
談志の「芝浜」は、感情の揺れや迷いや行ったり来たりを、焦ったいくらいに微細にそして複雑かつ細かに深く広く描写してゆく。それゆえに聞いている方も何か(語り手に/登場人物に)隠し事をされているのではないかという気分にもなってくる。不安で不安定な感情を、噺の中の人物と共有しているような気持ちになる。噺を聞いている人間が噺の中の場面を江戸の人間として一緒に生きているような気分になる。とても不思議である。
時折、志らくがカメラ目線で語るのは談志のスタイルを継承していることを雄弁に物語っている。また、財布を拾った一件が夢ではなかったことを告げられて奥さんに掴みかかる勝五郎は、在りし日の談志の動作そのままである。これまで間近で具に見続けてきた談志の「芝浜」の形のあれこれを素材として盛り込みながらも、志らくの「芝浜」が生み出されてゆく過程のプロローグのようなものをわれわれはここで見せられているのだろうか。そんな気分にもさせられた。
志らくは「演芸図鑑」で演った短い「芝浜」は印象派で、「言いたい放だい2021」で放送される談志の「芝浜」はキュビズムだとツイートしていた。まあ、噺を伝承の通りに写実的に口演する様式をはみ出して、印象派に流れ出した落語を、どこまで旧来の形を破って解き放てているかの違いなのであろう。ただし、キュビズムまでいってしまうと、もう後戻りできない境地ではある。志らくはキュビズムに対して大きな憧れを抱いているようだが、いまだ駆け出しの印象派にとどまっているといった印象である。若い頃はもっと今にも高座で自分の左耳を切り落としてしまいそうなちょっと危うい雰囲気があったのだが、いつの間にかとても丸く座りのよい落語家になってしまったように見える。
まだ志らくが若手でとがった刃物のようだったころに、談志の落語は新幹線でそのほかの落語家は駕籠だというようなことを著書に書いて物議を醸したことがあった。弟子の目から見ても、それくらいに談志は飛び抜けていて、他の追随を許さぬほどに突っ走っていたということなのであろう。そういう意味では、晩年の病と老化と闘いながら噺家としての生き様のすべてを曝け出すようにこじれていた談志もいいが、もっと圧倒的なスピードで駆け回り断トツで先頭をぶっちぎっていたころの談志の落語を聞きたい気分になってくる人もいるのではなかろうか。その時代を実際に知らない若い世代などは特に。
この日、TBSの「ラジオ寄席」では立川談志特集が放送されていた。七十年代の「狸賽」と八十年代の「五貫裁き」の二席を聞くことができた。昭和五十年前後、秋田の酒・美酒爛漫の提供だけに東北の地方都市の公会堂のような会場で公開録音された落語である。談志はまだ四十代で、ちょうどしち面倒臭い落語協会から飛び出して家元になろうかという時期にあたるか。まさに噺家としても脂がのっていて全身に自信が満ちていた時期の高座だろう。新幹線のようにすっ飛ばして走っていて、のろのろしたほかの落語家に追い抜かれるなんてことは天地がひっくり返ってもあるとは思っていなかったはずだ。ここでは、やんわりと余裕をぶっこきながらも切れ味抜群の噺を聞かせて一般の落語好きたちを唸らせにかかっている。冒頭はもうわざとらしいくらいに静かにゆったりとした入りで、そこから自然に緩やかに噺へと流れ込み、展開の盛り上がりとともに口吻にも熱がこもり、激しい動きのある最高到達点に昇りつめたところでばしっと噺を落とし切る。お見事である。

もうすでにあの頃の立川談志を知らない世代というのは、この世界に数多く存在している。そもそも談志の落語に接したことのない若い世代というのも多いのだろう。そうした若者たちは、見るからに完全に規格外の人物である談志をどう思うのだろうか。早口だし言葉(江戸ことば)のクセが強すぎて、何を言っているのか分からないだろうか。声が悪すぎて、何を喋っているのか分からないだろうか。いずれにしても、ちょっととっつきにくいところはあるのかもしれない。立川談志が精魂込めて磨き上げた生きた落語は、現在の談志を知らない世代にも刺さるだろうか。座布団に座ってじっくり喋っている人間の話などわざわざ聞いてはいられないとアクティヴな若者たちは拒絶するだろうか。もはや落語なんてものを分かろうと思うことすらないのだろうか。テレビで気軽に見れる巷に氾濫する漫才やコントだけで十分に笑えるから満腹なのだろうか。そして、なんのおもしろみもない薄っぺらな落語のわからない大人になっていってしまうのであろうか。このつまらない世の中を、もっともっとつまらなくしてゆく人間になって、はいそれまでよなのだろうか。もしくは、どこかで談志を発見したりするようなこともあるのだろうか。第二種接近遭遇ぐらいまではいくだろうか。
没後十年の一区切りということでなのか、11月21日には様々な談志関連のテレビ番組やラジオ番組が放送されて、談志の落語や立川談志という人間にあらためてスポットライトが当たった。また、この区切りの日を前後して関連する書籍などもいつくか出版されている。このタイミングで若い世代にもいくらかは立川談志を知ってしまった人がいたのではなかろうか。今はどこを探しても見当たらないような才気溢れる噺家にしてすさまじい大人物が、このどうしようもない国にいて、もがき苦しみながらも自分の人生を自分の生きたいように生き切ったという紛れもない事実を、ミレニアル世代やZ世代の若者にも是非知ってもらって、良くも悪くも未来への希望の光としてもらいたい、ところである。
しかし、「言いたい放だい2021」の中で志らくと伯山が談志の講釈解釈にはノスタルジーの要素が強い、というようなことを言っていて、ちょっと気になった。談志はよく講釈の真似事をすることがあり、頭の中に入っている講釈の台詞を滔々とそれっぽく語ってみせたりしていた。だか、その談志の講釈というのが、熱気に満ちていた昭和の講談界に対するノスタルジーが非常に強いものではなかったかというのだ。よって、その談志が間近で見て触れた時代以降の講談と談志がノスタルジーを全開にして語る講釈のフレーズには、ちょっとテイストの違いみたいなものがある、と伯山はいう。これは、立川談志の影響を強く受けている立川志らくなどのタイプの落語は、何十年か先の未来においては昭和や平成の落語の匂いを強く感じさせるノスタルジーに満ちたスタイルなどといわれてしまうようになるのかもしれない、ということをいってもいるのだろうか。それとも談志的な落語のスタイルは、いつまでもノスタルジーを感じさせないまま生きた落語であり続けるのであろうか。
だがしかし、談志の落語というのもまた桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭圓生、林家正蔵、桂三木助、柳家小さんなどの昭和の大名人たちの落語へのノスタルジーをあちらこちらに多分に匂わせてもいるものではなかったか。それでもそれを生きた落語にしていたのは、イリュージョンのなせる技だったのであろうか。はたまた、そこに脱構築した江戸の風が吹いたのだろうか。時代が明治になり首都東京が誕生し、もうすでに百五十年以上が経っている。はたして、江戸の風はいつまで吹き続けることができるのだろうか。立川談志に尋ねてみたい。答えは、きっと「そんなもん知るか、バカヤロー」だろうけれど。

終わりに。林家ペーばりにものすごい余談になるのだが、立川談志と亡くなった祖母がちょっと似ているのである。特に晩年のというか二一世紀に入ってからの談志はかなり似てきたと思う。MXの「芝浜」のときなどは、髪型や白髪の具合までそっくりだ。どちらかというと立川談志という人は老化してゆくとともにどんどんおばさん化していったようなところがある。言い方を変えれば、中性化していったというか、性別を越えてしまったというか。どちらにしろ、噺家というのは高座に上がれば口演の中で男にもなれば女にもなり老人にもなれば子供にもなるものなのだから、長年それに従事していれば、それぞれの境界がひとりの人間の中で曖昧になってゆくということもあるのだろう。少なくとも立川談志は見るからにおじいさんっぽい雰囲気の老人にはならなかった。どこか女性的なところがあって、亡き祖母の面影がそこにありありと浮かんで見えたのだ。ゆえに、「芝浜」を見ていても、なんともいえない複雑な感情が湧いてくる。談志の噺よりも表情にばかり目がいってしまうのである。今の感じ似てたなあとかそうそうこの感じがそっくりなんだとか思いながら。しまいには、もしかすると立川談志は自分の祖母なのではないか、そんな風にも思えてきてしまったりもる。夢の中の祖母、夢になった四十二両、夢と現実の境目が曖昧になる「芝浜」の談志。何がうそでなにがほんとの暮れの夢。

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