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読まずに死ねるか(2023)

春といえば、まつりだ。ほかに何があるというのだ。お花見。出会いと別れ。いやいや、そういうのは、いろんなことをちゃんとしている人たちのためだけにあるものなのではないでしょうか。そうでない人たちにとっては、お花見も出会いも別れも何にもありはしないのである。だがしかし、そんな春らしい何かが何もないというとてもかわいそうな人にだって、いやむしろそういう人たちのためにこそ、春のまつりはある。つまりは、何はなくともまつりなのだ。ナッシンバッタまつり、だ。

コロナ2019の世界的な蔓延の影響で、二〇年と二一年のまつりは残念ながら中止であった。だが、毎年恒例の「ぺぺ古本まつり」は昨年の春から復活をしている。以前は春と秋の年に二回のまつりが開催されていたと記憶しているが、(コロナ前の)ここしばらくは春季のみの年一回の開催で、少しばかりというか半分にばっさりと規模が縮小されていた。書店の売上が減り本離れといわれて久しい時代には、古本を買ってまで本を読もうとする奇特な人も激減しているに違いない。だから、それも致し方ないことなのかなと思っていたが、何をどう時勢を読み違えたのか先読みしたのかわからぬが、昨年は秋季のまつりも復活を遂げていたようなのだ。最近は、駅付近の様子も何やらプチ都会的に洗練された雰囲気が漂うようになってきていて、あまり近づかないにようにしているのだけど、そのせいもあってか不覚にもその久々の秋のまつりの開催にまったく気がつかなかったのである。まつり終了の数日後に、何か変な胸騒ぎがしたので日本の古本屋のサイトでまつり情報をチェックしてみたところ、もはや後のまつりであった。漫然と日々を過ごしてしまっていたことを猛省した。よって、今回のまつりは、ちょうど一年ぶりのまつりへの参加ということになった。

まつりの開催期間は、三月三〇日から四月一一日まで。今年は三月がとても暖かかったせいで、月末にはもう桜の花もあらかた散ってしまっていて、ほとんど葉桜の状態であった。気分的には、もはや春も盛りといったところであったが、暦の上では、まだ春分を過ぎたばかりで、本格的に春になるのはまだまだこれからという感じのはずである。期間中、中盤に冷たい雨が降るようなこともあったようだが、おおむね好天続きで、ちょうど春休み期間中ということもあって、駅前は常にかなりの人通りがありとても賑わっていた。街全体が観光地化していることもあって、まつり会場の脇を通る人の波もまったく途切れることがない。海外からの観光客が、ふらりとまつりの方へと流れてくることも今年は(久しぶりに)かなり多かったように感じる。彼らの目に、薄汚れた古い本に群がる現地の住民は、どのように映ったであろうか。ちょっと気になるところではある。
そして、春のまつりといえば強い風である。かつては、まつり会場に吹き込んでくる風に大量に花粉や砂埃が混ざり込んでいるのか、本を見ながらくしゃみ鼻水が止まらなくなったり、咳き込んだり、あちこち細い砂でじゃりじゃりしていたりと、ちょっと大変なことになったものであるが、今はそれほどでもない。これも駅前がプチ都会化しているせいであろうか。そのかわりに駅周辺に高い建造物が次第に増えてきて、ちょうど駅前の道路に沿って風の通り道ができているのだろう、より強い風がまつり会場に吹き込んでくるようになってきているようにも感じられる。その証拠に、四月七日は強風のためにまつりの開催が中止になったという。降雨などの悪天候で中止ということは、まああり得ることであるけれど、風で中止というのは、とても珍しいことなのではなかろうか。駅前の屋外の広場がまつり会場であるので、風避けになるようなものは何もないのが現状である。春の風に吹かれて目をしばたかせながら古本を選ぶのがまつりの醍醐味でもあったのだけれど、それが度を越すようなものになってきているのだとしたら、今後は強風への対策というものも重要になってくるのかもしれない。

昨年の春のまつりぶりのまつりということで、意気込んで十三日の開催期間中に四回ぐらいまつりに参加しようかと計画を練ってはみたものの、実際に行ったのは僅かに二回であった。冷静に考えてみて、そんなに頻繁にもりもりショップ・アラウンドできるほど懐があったかくなかったのである。よって、できるだけ節約・倹約をしなくてはならない。ので、可能な限り参加回数を少なくして、じっくり時間をかけて吟味して本選びをするスタイルで行くこととした。まず一回目は、ざざっとじっくり見て回ってみて、二回目は、一回目のフォロー・アップをしつつ、さらに細かくじっくりみて回るという作戦である。そこで、まつり開幕直後の二日目と最終日の前日にターゲットを絞った。この二回のディギングにすべてを賭けることにしたのである。そのおかげといっては何だが、中盤の雨の日や強風で中止になった日などには元々まつりに参加する予定がなかったということは、まあそれなりによかったのかもしれない。参加した二回は、両日ともによく晴れていて、特に何の支障もなくじっくり本を見て回ることができた。午後の日差しが照り付けている屋外では、もうすでに半袖でもよいくらいの気候であったが、じっくり本を見て回っていると、やはり吹き込んでくる風にさらされて、どうしても体が冷えてくる。よって、半袖一枚の上にもう一枚羽織る長袖はまだまだ必要であった。三月の終わりから四月の頭にかけての時期なのだから、そんな夏みたいな服装で過ごせてしまう方が、どう考えたっておかしい。しかし、そんなおかしな気候に着実になりつつあることもまた確かで、三月の終わりには桜の季節がほとんど過ぎ去ってしまっているのも、四月に今までにはなかったような強風が吹くのも、そういうおかしくなっている気候のおかしくなっている部分の一面であるのかもしれない。できれば、春のまつりには、すごく春らしい陽気の中で参加したいものではある。

今回のまつりでは、二回の参加で計十六冊を入手した。やはり本というのは、探せばいくらでも出てくるものなのだなあとつくづく思う。もし、読みたくなる本や欲しい本があまり見つからなくても、それはそれでよしとしようと(事前には)思って参加したものの、蓋を開けて見れば十六冊(も)である。ただし、実際に見て探さないと、それは出てこない。だが、探そう探そうと思って見ていれば、すぐにぽんと出てくるというものでもない。探しても探しても、出てこないものは出てこない。だが、出てくるものというのは、ちゃんと出てくるのだ。探して出てくるのでもなく、探さないようにしていて出てくるのでもない。こちらが探す以前から、すでに本はそこにあって、探し出す人を探しているのである。よって、その探し出す人を探している本を、こちらがタイミングよく探し出せるかどうかなのである。探していて思いがけず出てくるような本は、そこでちゃんとひとりでに出てきて見えてくるものであるし、そのタイミングがちょっとずれるだけで、探しても探してもその本は出てこないのだろう。まさに目に見えてこなくなるのである。そこにちゃんとあったとしても。まつり会場のすべてのテントを見て回って、ちょっと気になったあたりを再びチェックしに行った時などに、最初にその場所を見ていた時にはまったく見えていなかった本が、急に目にぽんと飛び込んできたりする。こういうことがあるので、やはりすべてのテントを一通り見て、そこで終わりにしてしまうのではなく根気よくじっくり見て回らなくてはならないのだ。手に入れるべき本を見過ごしてしまうことほど悔しいことはないから。探し出されることを待っている本がそこにある限り、こちらもそれにじっくりと付き合って簡単に全部見てしまったと思わずにしつこく見て回らなくてはならない。やはり本というのは、探せばいくらでも出てくるものなのだから。
たくさんの古本の中から運よく見つけ出せた十六冊は、平均すると一冊ほぼ四〇〇円といったところ。昨今の物価高騰の影響もあってか、古本の価格もずんずん上がってきているようにも感じるが、まだそこそこお手軽な値段で買える古本があるということは誠に喜ばしいことである。いつまでもいつまでも古本が数百円で買える美しい世界でありますように。そう祈らずにはいられない。秋の秋刀魚が今や高級魚となってしまったように、古本までもが庶民の生活から縁遠いものになってしまったとしたら。いや、古本自体の総冊数は大量になってゆくとしても、本というものを読む人が総体的に劇的に減少してゆき、売れる古本の冊数ががくんと少なくなって、ぐんぐんと古本の価格が上昇してゆくということのほうがあり得そうな未来であろうか。いずれにしても、現在の古本をめぐる状況は、かなり大きな曲がり角に差し掛かっていると言わざるをえないのかもしれない。そんな時代状況下で開催された春の古本まつりで入手したのは、以下の十六冊である。

杉浦日向子「合葬」(ちくま文庫)
杉浦日向子「ニッポニア・ニッポン」(ちくま文庫)
杉浦日向子「二つ枕」(ちくま文庫)
杉浦日向子「東のエデン」(ちくま文庫)
興津要「江戸川柳散策」(時事通信社)
興津要「探訪江戸川柳」(時事通信社)
興津要「江戸娯楽誌」(作品社)
桂文楽「話術芸談 あばらかべっそん」(青蛙房)
安藤鶴夫「寄席紳士録」(旺文社文庫)
安藤鶴夫「座談集 うき世に人情の雨が降る」(論創社)
宮川曼魚「江戸売笑記」(青蛙房)
山口正二「聞書き七代目橘家圓蔵」(青蛙房)
正岡容「随筆寄席囃子」(古賀書店)
小島貞二編「落語三百年 雪 江戸の巻」(毎日新聞社)
小島貞二編「落語三百年 月 明治・大正の巻」(毎日新聞社)
小島貞二編「落語三百年 花 昭和の巻」(毎日新聞社)

杉浦日向子の漫画は、文庫版が四冊セットで六〇〇円であった。一回目にまつりに行った時に、もうそろそろ引き上げようかなと思っているところで、ぱっとそれが目に入った。セットの中には、すでに文庫や単行本で持っているものもあったのだが、この値段ならまあよいかと、なぜかのその時はすんなりとそう思えてしまったのである。最近ちょうど「風流江戸雀」(ちょうどこの四月についにこれも文庫版がでたようである)あたりを読み返していた(昨年のまつりで買った「川柳から見た上野と浅草」に関連して「風流江戸雀」を読み返した流れで、今年は興津要の江戸川柳本にまで手がでたという流れがある)こともあって、やはり杉浦日向子はこまめに読み返すべきであるという確信を得てしまっていたというところも、そこに少なからず影響していたであろうか。やはり、わたしたちの世代にとって杉浦日向子の存在というのは、とても大きなものであったのだ。普段は漫画なんてちっとも読まない、パンクやニューウェイヴやノイズ・オルタナティヴなどを聴いているティーンエイジャーが、杉浦日向子の単行本はいくつか買って読んでいたぐらいであったのだから。杉浦日向子の描く江戸は、東京のかつての姿でありそのルーツであるとともに、軽薄なノリの現代の東京の対極にあるオルタナティヴであり、今はもうないもう一つの東京の姿そのものであった。そういう意味で、杉浦日向子をパンクやニューウェイヴなどと同じような感覚で読んでいたのかもしれない(実際に「YASUJI東京」などでは八〇年代の東京に生きる若者の視点や感覚と今はなき江戸東京の街の風景や景色が時代を越えて重なり合うような瞬間が趣深く描き出されていた)。そして、今や時代は令和である。だが、まだまだ杉浦日向子の漫画は、江戸の風俗や生活や文化が現代と地続きであるという感覚を追確認し再確認するための重要なツールとして機能をする。本をひらけば、そのページのどのコマにも、生きた江戸が描かれている。古典落語に登場する人々が実際に生活していた江戸の街の空気をそこに感じ取ることができる。落語立川流家元立川談志の言葉を借りれば、それは江戸の風だろうか。杉浦日向子の漫画は、まさにその江戸の風を感じさせるものなのである。

安藤鶴夫の「寄席紳士録」は、著者の死後に再出版された旺文社文庫版の初版。あまり見かけることがないので、増刷されていない可能性もある。先に文庫化された角川文庫版にあった江國滋による解説はここには収められていない。角川で文庫化された際に追加された桂三木助について書いた第XIII話は入っている。しかし、何と言っても旺文社文庫版のよいところは、由原木七郎による表紙カヴァーのイラストである。見台をおき高座で安藤鶴夫が義太夫節でも語っているような場面を描いているのだが、これが実際に著者が高座で「寄席紳士録」をひとつひとつ語り聞かせてくれているところのようにも見えて、非常に味わい深い。本の表紙に自分の姿を載せるなどということは、絶対に「やなこったィ」などといって認めることはなかったであろうから、これはやはり没後の再出版だからこそ実現したあんつる表紙の文庫本だといえるだろうか。小野田勇による解説というか、在りし日のあんつるを偲ぶ一文もすばらしい。一五〇円。定価は、二八〇円。

正岡容の「随筆寄席囃子」は、昭和四二年に古賀書店より限定八〇〇部で再出版されたもの。これを発見できたことは、今回のまつりの大きな収穫であった。昭和一九年に龍安居より出版されたオリジナル版の豪華増補復刻版であり、平成一九年には河出書房新社から文庫の復刻版が出ている。そんな限定の函入り「寄席囃子」なのだが、文庫版や電子版や岩波書店からの「完本 正岡容寄席随筆」でも読めるためなのか、かなりお手頃な八〇〇円という価格で入手することができた。おそらくオリジナルの形をかなり忠実になぞりながら非常に丁寧に製本されている限定版は、やはり何ともいえない風格のようなものをそこはかとなく漂わせてはいる。今から五十六年も前の段階での正岡容の偉業に対する愛と誠意と真心のこめられた復刻限定豪華本なのだから、そこはまあずしりとくる重みがある気がするし、そんじょそこらの古本とはちょっとばかしわけがちがうようにも思える。だがしかし、それでも古本の棚に並んでいるときには、そういう風格や重みのようなものは、ちっとも伝わってこない。そこが、この本のとても厄介なところだと思う。昭和一九年の本の復刻だからか、棚に並んていても周囲より一回り小さくて、函入りだがきゅっと締まったスマートな雰囲気で、完全に多くの古本の中にひっそりと埋もれてしまうのである。そして、函の背の文字が、昭和一九年のオリジナル版に明治二年生まれの川柳作家・川柳久良伎(阪井久良伎)が書いた題字を、そのまま使用しているので、あまりにも達筆すぎるのと古い漢字をくずした書体であるがために、これがもうわたしのような浅学なものには「随筆寄席囃子」とはすんなり読めないものとなっているのである。しかも、函の前面と本の表紙には「随筆寄席囃子」と書かれている脇に肝心要の正岡容の名はなく(函の背には、上手すぎてなかなか判読できない字ではあるが「正岡容著」とある)、よく見るとしたためた題字に対する川柳久良伎の署名が入れてあるようで、これがかえってというかさらに事態をわかりにくくしてくれている。そして、本を開くと、いきなり吉井勇による「寄席囃子」序歌があり、扉や目次を順々に見てゆき、ようやくこれが正岡容の「随筆寄席囃子」なのだという確信がもてるようになる。それだけでもう、やっぱり「随筆寄席囃子」というのは、何だかよくわからないがすごいのだなあという気分になってくる。まさに、それこそが人を寄せつけぬような風格であり重みなのではないかと、わかったようなわからないようなことを思いながら、再び本を函におさめて購入のために積み重ねて持っている本の山の上に「随筆寄席囃子」をおもむろにのせたのだった。
八代目桂文楽の「話術芸談 あばらかべっそん」は、昭和三二年に青蛙房から出版された初版本(奥付の数字は、一〇六九)。時に文楽は齢六十五、これまでの波瀾万丈の(噺家)人生のあれやこれやを一冊にまとめて書き残しておこうと思い立った。のだろうけど、実際には文楽本人は筆をとってはいない。これが、この本の跋文つまりあとがきをしたためている正岡容が聞き書きをして、それを文楽の自叙伝であるかのように構成した一冊であることは、今やもうよく知られていることである。ここでも序歌を寄せているのは、抜群の信頼感を寄せられている吉井勇。この歌がまた趣があって、とてもよいのだ。八〇〇円。
山口正二の「聞書き七代目橘家圓蔵」で聞き書きされている七代目橘家圓蔵という噺家は、「あばらかべっそん」の八代目桂文楽の弟子。しかし、弟子とはいっても、何度も何度も破門されては許され、廃業してはまた戻るという、まさに波瀾万丈の噺家人生を送った人。古今亭志ん生も一時期噺家を辞めて講釈師(講談師)になり、またその後ふらっと噺家に復帰するという紆余曲折の経歴をもっていたが、橘家圓蔵は二回ほど噺家を辞めていて、その二回とも幇間(男芸者・太鼓持ち)になっている。そして、三度目の正直の噺家人生で、ようやく真打となった。この時すでに最初の入門から二〇年以上の年月が流れていた。だが、これだけ波乱に満ち満ちた噺家人生でありながら、今はちょっと影が薄くなってしまっているのは実に哀しい。だが、そういううたかたの儚さのような部分もまた何というか幇間的であって七代目橘家圓蔵らしい。七代目の死後に、八代目橘家圓蔵となった弟子の五代目月の家圓鏡のイメージが図抜けて派手で華やかであったせいもあるのだろうけれど。しかしながら、昭和五六年に青蛙房より出版されたこの本、実は一〇〇〇円で今回買った古本の中では一番高価であった。つまり、古本価格では正岡容や師匠の桂文楽よりも上だったことになる。そんな奇妙な逆転現象が、春のまつりではひっそりと起きていたのである。

「落語三百年」を編集した小島貞二は、正岡容の薫陶を受けた作家兼相撲記者兼演芸評論家。終戦後、東京大空襲で焼け出された正岡容が、川柳久良伎(阪井久良伎)の紹介で住居を構えた千葉県市川市に、小島貞二も南方での捕虜生活から帰国した後に居を構えた。当時は、落語研究会の今村信雄なども戦火を逃れて東京から市川に疎開をしていたはずである。また、昭和三二年頃からは晩年の永井荷風も市川で暮らしている。そんなホットスポット化していた市川に小島貞二は、五〇年以上も住み続けた。昭和四一年に出版された「落語三百年」は、江戸、明治・大正、昭和のそれぞれの時代の落語速記録(落語の速記といえば、次郎と信雄の今村父子である)から選りすぐった噺を三冊にまとめたコンピレーション本。特に内容的に何か目当てのものがあって買ったということはなく、三冊セットで二〇〇円という超破格値であったので、ついつい出した手が引っ込まなくなってしまった。そして、やはり何よりも最も惹かれたのが、その帯なのである。正しくは、帯に書かれていた、ある言葉である。三冊セットということで、ぐるっと輪ゴムでまとめられていて、あまり中味をぱらぱらと見ることはできなかったのだが、ぱっと目に入ってきた、その帯の言葉に、思い切り突き動かされてしまった。「あたしらも実は、こういう本の出るのを待っていたんですよ。お客さんばかりじゃない、落語の商売人にもためになる。(略)あたしァみんなにスイセンしてますよ」という、なんともセールストークらしいセールストークがばしっと帯に載せられているのだ。これが、古今亭志ん生による「推薦のことば」なのである。本当に、実際に志ん生が、こんなことを言ったり書いたりしたのだろうか。かなり眉唾物のような気もする。のだが、それでも非常にそれっぽく実際に志ん生が言ったり書いたりした風な文句にちゃんとなっているところが、なんともおかしい。そして、この「推薦のことば」を頭の中で志ん生の声とあの喋りの調子で再生してみると、さらにおかしみが増す。とにかく、この帯にはやられた。本物の古今亭志ん生なのか偽物の古今亭志ん生なのかよくわからぬが、まんまと帯買いさせられてしまったわけである。


ここからは、余談である。

正直な話、次のまつりに参加できるかどうかは、まだわからない。それぐらいに、今かなりぎりぎりのところにいる。次が秋のまつりなのか、春のまつりなのか、まだわからないが、そのときにはもうまつりで古本を漁ったりしていられるような状態ではなくなっているかもしれない。それぐらいにもう余裕がない。ふところ具合がとてもさびしい。だからもう、まつりに参加するなんていうことは、これが最後だったのかもしれないとも思っている。とても悲しいことだが。
あまりにも社会性に乏しく、ひとりで読んだり(詠んだり)書いたりすることぐらいしかできない。まあ、ある意味では、社会にとっては本当に必要のない人間である。書くものだって、本当につまらないものばかりだ。詠むものだって、きっとそうだろう。ここで発表したり投稿したりしても、特にこれといって大きな反響があるわけではない。そういう意味では、やることなすことてんでだめな、本当にある意味ではなんていう前置きなどまったくいらないくらいに本当に必要のない人間だということなのである。残念ながら。恥ずかしながら、こうしたことを自分では、とても残念なことだと思っている。とても悲しいことだが。
こんな大変な時代なのに、わたしのようなものが、こんなことを言うのは、大変におこがましいことだとは十二分に心得てはいるつもりなのですが、できることなら有料で公開している記事を購入していただいたり、活動のサポートをしていただけると、とてもありがたいです。つまらないものを書いたり、へんなものを詠んだりしているものではあるのですが、ちょろっとでもお助けしていただいたり活動をサポートしてしていただければ、ちょっとは普通の人たち並みに嬉しい気分にひたれたりもするのではないかと思われます。いや、正直な話、大喜びします。誠に分不相応なことではありますけれど。そして、何か誰かに支えられていると思えば、書き続けたり詠み続けたりすることに対しても自信がもてるようにもなるでしょう。そういう無駄な憐憫のようなものは、真面目にちゃんと生きている方々にとっては、実にはた迷惑なことであるのかもしれませんが。
そのような、みなさまからのあたたかいサポートを受けて、できることなら次のまつりに参加をすることができたら嬉しいななんて非常におこがましくも思っております。そのときはまた「読まずに死ねるか」を書いて、あれこれレポートしますので。なにとぞよろしくお願いいたします。読まずには死ねないのです。読まないうちは死ぬわけにはいかぬのです。社会的に不必要な人間の戯言だと思われるかもしれませんが、恥やら何やら一切合切をしのびましてこうしてお願いをしております。なにとぞよろしくお願いもうしあげます。



お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートはひとまず生きるため(資料用の本代及び古本代を含む)に使わせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。