見出し画像

節分 2021

節分の日(二月二日)の「ジェーン・スー 生活は踊る」において、豆まきの風習についてのあれこれが話題になっていた。年齢と同じ数の豆を紙に包み、それを身体の悪い部分にあてて擦りつけ、その紙の包みを家の外の丁字路や四つ辻に置いて帰ってくるという怪しい儀式を行っている家庭があること、またそれに類した行事を行なっている地域や地方があることなどが紹介されていた。また、辻にこっそりと豆を置いたら、家まで一度も振り返ってはいけないという特別のルールもあるという。これは、恵方巻は最後までひとことも喋らずに黙って食べきるルールに近いものがあるような気もする。いずれの習わしも日本古来の神話や伝承などと関係が深く、各地の民間の年越し儀礼などとも結びついているようで非常に興味深い。
こうした節分についてのあれこれを聞いていて、「まれびと」について思索した折口信夫が、どこかでそんなこと書いていたなあなんて考えていたりした。外からやってくる鬼を追い払う節分の風習というのは、やはりどこか春の訪れとともに山からやってくる「まれびと」の匂いがする。節分の風習については、「鬼を追い払う夜」でいくつか触れられている。ここに年齢の数と同じだけの豆で身体を撫でることが書かれている。これには自分の身体についた(一年の)災いを落として、それを豆に移す意味があるという。自分の年齢と同じ数の豆が、自分の身代わり〈分身〉となって全ての災いを引き受けてくれるということなのだろう。それを新しい春を迎える立春の前の日の夜(節分)に、家の外の四つ辻に置いて捨ててくるのである。災いに取り憑かれた古い年の自分を捨てて、新たに芽吹く春の訪れとともに始まる新しい年の新しい自分に生まれ変わるための一種の儀式でもあるのだろう。
家に帰るまで振り返ってはいけないルールは、おそらく神話に登場するイザナギとイザナミの黄泉の国でのエピソードから様々な形で派生したもののひとつであろう。辻まで穢れを捨てにゆき家まで戻ってくる擬似的な死と生まれ変わりと再生の儀式である。そのためそれが貫徹されるまでは災いにまみれた古い自分を振り返ってはならず、その禁がちょっとでもやぶられた際には節分の儀式は無事には完結しない。前年の災いも穢れも一緒に家に戻ってきてしまうことになる。
古来より道と道が交わる辻は、一種の聖域(アジール)だと考えられていた。世俗の道理の及ばぬ、何者にも侵されることなき場所である。封建時代にヤクザな武士が夜な夜な街を徘徊し腕試し・試し斬りにと闇夜に紛れて辻斬りをおこなったというのも、わざわざ辻という場所を選んでおこなわれていたものなのである。辻は世俗世界とは切り離された場所であり、そこで何が起きても罪には問われないといわれていた。物臭太郎は、清水寺の門前の辻を通りかかった女房を連れ去って(今風にいえば、誘拐・拉致である)自分の嫁にしようとする(辻取)ところから話が始まる御伽話である。こうした辻取の風習というのは、おそらくかなり古くからあったものなのであろう。
人や車や馬や牛が往来する四つ辻は、よそ見して歩いていて何かにぶつかって怪我するといけないので、注意深く安全を確認して歩くようにさせるための古くからの言い伝えが数多あったのかもしれない。発祥はもっと古いものなのかもしれないが、信号機も横断歩道もなかった時代には、辻という場所は人知を越えたコトが可能となる聖域として意識的に特別視されていたのである(意識的に特別視して注意して通過することで、事故や怪我、様々な交通トラブルを回避する)。
また、出産時に母体から流れ出る胎盤や血液、切り取られた臍の緒などは、古代より穢れを帯びたものと見なされていて、出産後すぐに生命あるものたちからは遠ざけられ、辻に埋められていたという(穢れたものは、辻を通過する多くの通行人の足下で踏みつけられることで浄めを受けるということか)。この慣習などは、一年の災いと穢れを擦りつけた豆を四つ辻に置いて帰ってくる節分の風習とかなり近いものがあると思われる。
さらに「鬼を追い払う夜」には、江戸後期の肥前平戸藩藩主であった松浦静山(「妻は、くノ一」)が、摂津三田藩の藩主であった九鬼隆国に「あっ、そうだ。あれだよ、あれ。お前んちってさあ、節分のときに家にくる鬼を座敷にあげて饗応してるんだって?そんな話をどっかで聞いたことあるんだけどさあ、あれって本当なの?」と尋ねた際の話が書かれている。
「「いき」の構造」の九鬼周造は、丹波綾部藩の家老を代々務める九鬼家の養子となった後の男爵、九鬼隆一の四男。三田藩と綾部藩の九鬼家は同族であり、元々は紀伊熊野の海賊として名をなし、織田信長や豊臣秀吉の下で紀伊の水軍として多くの武功をあげた。松浦静山の松浦家もかつては松浦党とよばれた名のある海賊・水軍であったことから、九鬼水軍の血を引く九鬼隆国に親近感を覚え、気軽に声をかけて質問してみたのではなかろうか。
ヨーロッパに留学していた九鬼周造が、漢字というものを理解しない西洋の人々に対して自分の名前が意味するところを説明する際に、九鬼とは「ナイン・デヴィルズ」であると述べたという逸話があったように思う。これを聞いた人々は、たいそうけったいな名前をもつ日本人がいるものだと思ったことであろう。
九つの悪魔とは、「進撃の巨人」でいうとユミル・フリッツが生み出した九つの巨人のようなものであろうか。そもそも始祖ユミルは悪魔との契約によって巨人の力を手に入れたという。とすると、この契約もやはり真夜中の十字路で悪魔との契約を交わして卓抜した音楽的才能を手に入れたブルース・シンガーのロバート・ジョンソンのそれと同じように、世俗を離れた穢れと浄めの両面を併せもつ聖域(不可侵なるアジール)である辻において交わされたものなのではなかろうか。伝承の絵図によると、この契約の際に始祖ユミルはひとつのリンゴを差し出している。このリンゴは袋に包んだ豆のように自らの分身ということなのか、その赤い色が民族の穢れた血を象徴していて悪魔との契約が宿命の歴史の節を分かつ清目となったということなのであろうか。始祖ユミルと契約を交わした大地の悪魔とは、まさしく聖域に立つ「まれびと」にして鬼であったのだろう。
松浦静山に節分の夜に九鬼家ではどんなことをしているのか尋ねられた九鬼隆国は、鬼が座敷に上がり込むなんていうのはただの噂話に過ぎませんと返答する。これを聞いて、静山はちょっぴりつまらなそうな顔をしていたのであろう、すると隆国は付け加えてまるで秘密を打ち明けるかのようにこういった。九鬼家では、節分の豆を投げながら必ず「鬼は内、福は内、富は内」と唱えると。すべて内側に取り込んでしまうのである。なにものも追い払わない。「まれびと」は鬼であるとともに神でもある。よって、取り込んでしまっても、なにも悪いことばかりだとは限らない。それに家の内側にいるのが、そもそもの話がナイン・デヴィルズなのだから、それを追い払ってしまっては家族がばらばらになってしまって家が崩壊してしまいかねない。それゆえに九鬼家では鬼も福も富も来るものは拒まずに取り込んでしまうということになったようだ。しかし、こうした九鬼家における節分の習わしが鬼を歓待する掟にかなっているとは思われない。神であろうが鬼であろうが「まれびと」は来るとともにお帰りいただかなくてはならない客なのである。長居されては困るのだ。特別な日ばかりでは、人々は普段の日常の生活を営めなくなってしまう。よって、実際には松浦静山が気にしていたように、やってきた鬼を座敷に通して膳を用意し主人(あるじ)が相手をしながら「小石を水に入れて吸い物」としたものでも構わないのでゆっくりと食事を楽しんでもらい、名残りを惜しんで見送りをして常世の国へとお帰りいただくのが、正しい鬼の扱い方であったのではないだろうか。こうして節分の儀式が終わり、立春とともに新しい年が迎えられ、清目られた人々の新しい生活が始まる。

「歓待の行為は詩的なものでしかありえない」(デリダ)

(2021.02)


ここから先は

0字

¥ 100

お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートはひとまず生きるため(資料用の本代及び古本代を含む)に使わせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。