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フランキー・ナックルズを偲んで 二

70年代からクラブDJとしての活動を行い、ダンス音楽の世界の裏方としてその文化の屋台骨を支え、またひとりの音楽スタイルの先駆者として文化の発展に最大限に貢献する活躍をしたフランキー・ナックルズ。そうしたアンダーグラウンド・シーンを基盤とする地道な活動が実を結び、80年代後半からハウス・ミュージックは一躍注目を集め、その文化は大きく花開いて全世界的に広がってゆくことになった。その新しいダンス音楽のムーヴメントの大きな波は、やがて日本にも押し寄せてきた。フランキー・ナックルズは、80年代末からDJとして度々来日しディスコやクラブにおいてDJプレイを行っている。初めてフランキーが日本にやって来た頃、日本におけるナイトクラブの文化は、ようやく黎明期を迎え、大きな都市部の片隅から少しずつ広まり浸透してゆく過程にあった。そして、ロンドンでのアシッド・ハウスのブームやセカンド・サマー・オブ・ラヴの動きを契機に、世界同時進行で盛り上がりをみせる音楽文化/若者文化のひとつとして、広く話題となり認知されるものとなってゆくのである。そうした一般化の動きの裏にも、アンダーグラウンド・シーンから頭角を現しメジャーなオーヴァーグラウンドの音楽シーンでも活躍するようになっていたフランキーの存在は大きく関わっていたのである(91年、ヴァージンより本人名義のファースト・アルバム『Beyond The Mix』をリリースしている)。クラブ・シーンがありサウンド・システムからダンス音楽が鳴っているところであれば、表面的には見えていなくとも、そこには常にフランキー・ナックルズという人の存在が少なからず関わっているのだと考えてよい。
急速に少子高齢化が進む日本の社会において、絶対的な若者の数が減ってきているのにも関わらず、音楽界やクラブ・シーンを中心に風営法の法改正の動きが盛り上がっていることも、ここ十年ぐらいのクラブやダンスの文化の一般化にともなう広がりと深まりに、相当な勢いがあったということのひとつの結果なのではなかろうか。それは、これまでこの文化を日本の地において支え盛り上げてきた多くの人々のたゆまぬ努力の賜物であり、その礎を築いた偉大なる先人たちの功績があればこそのものでもある。ひとつの文化は、その流れの中で様々に枝分かれし、時代の動きの中でその時々で変容しあるものは淘汰をされながら、こつこつと積み重ねられてきた歴史というものを、その土台としている。そうした歴史という土台をもたない文化というものはない。
そして、この日本においてもクラブやダンスの文化の浸透と定着と成熟がひしひしと感じ取れるようになってきたそんな時期に、フランキー・ナックルズは、この世を去ってしまった。それは、あまりにも早すぎる突然の死であった。しかしながら、そこにはそれが2014年という時期であったということに、何か特別な意味を感じ取れるように思える部分もある。フランキーがいた時代とフランキー以降の時代という、とても大きなひとつの歴史の変わり目に世界はさしかかっているということなのではなかろうか。フランキーの死とは、実はそうした何かが大きく変わりつつあることを告知する、ひとつの大きなエポックとなる出来事であったのではあるまいか。フランキーがいた時代とフランキー以降の時代、何が大きく変わってゆくのであろうか。目に見えるものも目に見えないものも全てすくい取り、われわれはそこにあるもの/起きるものを今一度真剣に考えてみなくてはならない。そんな非常に特別な場所に、今われわれは立たされているのである。
古くからその偉大さと貢献度の大きさを知る人々(のみ)にその死を悼まれたフランキー・ナックルズ。80年代にシカゴという街で同じ時代を生きたオバマ夫妻からの哀悼の手紙など、一部ではその死を強く惜しむ追悼ムードは確かに存在していた。だが、全世界的に見れば、その思いが広く人々に共有されることはなかったのではなかろうか。その世界レヴェルでの文化的な偉大さと釣り合うほどには、その死に対する追悼の意の表明の大きさは、全く足元にも及ばないものであったといえる。また、その死に際しても、フランキーが関わった文化の起源やその音楽のルーツについては特に深く振り返られることはなかった。ネット・メディアの追悼記事には、そこそこ詳しく書き綴られているものもあったが、ほとんどは逝去の情報とハウス・ミュージックのプロデューサーでグラミー賞受賞者であるというトピックだけの非常に薄っぺらで表面的なフレーズが並ぶものとなっていた。その(それにとって非常に重要な要素であるはずの)起源でありルーツの部分が、ひとりの人間の死という出来事を介してもそこまで回顧されることがないということが、その文化がすでにとても広範囲に渡って(よい意味でも悪い意味でも)一般化していることを証明しているともいえるのであろう(ある意味では、敢えてあらためて指摘するまでもなく、もうすでに一般的な常識となっているということであるのかもしれない)。そしてまた、その起源やルーツから生じ長じてきた文化が広く一般化したということは、それが地下に追いやられて社会から隔絶されていたころの匂いとは、もはや全く無縁なものになっていることを、そのこと自体が示してもいる。その起源やルーツの根幹をなしていた地下のゲイ・ディスコ的な要素は、それが一般化してゆく中で、多様な様式やスタイルが混淆を繰り返しているうちに、徐々に色抜きや匂い抜きされてゆくことになるのだ。アンダーグラウンドのゲイ・ディスコ的な要素とはかけ離れた、より一般受けするメイン・ストリーム的な流れや流派が勢いよく生じてくることで、そうしたものが起源やルーツとなる部分(であったとして)も無化されて急激に薄められてゆくのは必然でもある。ダンス・ミュージックやハウス・ミュージックから黒人の匂いもゲイ・ピープルの匂いもしなくなってきたとき、それはどこかで原点にあったものとは全く別物となってしまったということを意味しているのではなかろうか(そうした別物になるからこそ一部のマニアだけでなく広く一般受けするのだともいえる)。そして、そうした別のものとフランキーその人を結びつけることの方が、起源やルーツにとっては大変に失礼であるように思えてきてしまうのである。だが、それでもフランキーは、それとこれを一緒にするなといったようなことは絶対に口にはしないであろうが。
時代とともに進化して発展してゆくダンス・ミュージックは、ウェアハウスのフランキー・ナックルズを忘却し、シカゴに発生したハウス・ミュージックの歴史をも忘却しようとしているかのようである。音楽のシーンにおいては、風向きの変化によって起源やルーツがあちらこちらへ移り変わることがある。フランキーのDJや音楽から影響を受けたものがまずあり、その影響を受けたものからさらに影響を受けたものが次々と派生してゆく。そして、そのルーツや起源からの影響のリレーの中で、何かしら斬新なことや斬新そうな香りがすることをやってのけたものが、その大本からの影響の最下流の地点で新たな起源やルーツとなってゆくのである。起源やルーツは、順繰りに先送りにされる側面ももつ。そして、そうした順繰りや先送りの中から、ある瞬間に完全に突出した革新性をもつものなどが現れたりもする。それが、シカゴのウェアハウスという歴史的な地点にいたDJのフランキー・ナックルズでもあったのだ。
ハウス・ミュージックがどこからきたのかもフランキー・ナックルズというDJのことも知らないダンス・ミュージックは、常に新しく刺激的なものであり続けることができる。そしてまた、そうした新しい様式やスタイルによるダンス音楽の刺激的な尖鋭性を貪欲に追求し、それを飽くことなく具現化させていったものが、ディスコやファンク、エレクトロという種々の音楽スタイルから突然変異的に進化を遂げて、かつてハウス・ミュージックとなって出現したのだった。歴史は、同じように反復を繰り返し続けているだけなのかもしれない。
そこにあるのが明らかに過去のものから引用してきた何らかの要素であったとしてもダンス・ミュージックは、もはやそれがどこから来ているのかをしらない。その引用は、引用の引用であったり引用の引用のそのまた引用であったりもする。そうなると引用というものが、すでにその出典となる原点を全くしらない(明らかにできない)ということも非常に多いのである。ダンス・ミュージックで心地よく踊るための軽やかさを保つためには、それがその裏に注釈だらけの多くの引用をもっていて踊るたびにいちいちそれを一旦受け止めなくてはならないというのでは、先天的な重厚感をまといすぎてしまうことにもなるだろう。よって、そうした難点は、極力避けられるようになる。ハウス・ミュージックが、かつてのディスコ音楽の蘇りでありながら、そこから華美な装飾など余分なあらゆるものを削ぎ落としてゆき、ほぼ骨組みだけであるビートとベースラインにまで回帰したサウンドの革命的革新性の下に、自らのルーツや起源を忘却して/無化して、(新しい世代ための)新しい音楽文化として世界に伝播し(受容され)ていったように。
ダンス・ミュージックは、全ての過去を忘却しながら幸福なる未来へ向けて、ただひたすらに突き進んでゆく。回るレコードの上を、それがロックド・グルーヴでない限り、レコード針は常に移動して(先へ先へと/後ろへ後ろへと)動き続ける。レコード針は、レコードの上を一度動き始めたら二度と同じ溝を通ることはない。歴史によって築かれた起源やルーツから伸びてきている新しい溝の上を走り続けるのみなのである。意図的にレコード針をレコードの上から一旦持ち上げて、かつて通った溝の上に戻すような操作をしない限りは。そうしたダンス音楽と文化の歴史の行く末を、フランキー・ナックルズは、きっと静かに見守り続けるのであろう(DJプレイ中にターンテーブルの上の回るレコードとレコード針を注視していたロフトのデイヴィッド・マンキューゾのように)。クラブDJらしく(かつてウェアハウスがアンダーグラウンド・ダンス・クラブであった時代そのままに)全く目立たぬ場所から、静かにその目をじっと凝らして。

追記

ハウス・ミュージックの死について思いを巡らせる。どうやら、すでにハウスは死んでしまったと思われているようである。以前、ある人がハウスは自分で自分の首を絞めたというようなことを言っていたことを思い出す。ハウスの死因は窒息死である。おそらく、ハウスは大きく動き続ける時代の変遷の中で、判断を誤り間違った方向に進んでしまったということなのであろう。もしくは、かつては時代を先頭に立ってそれを動かしていたハウスの歩みが遅く鈍くなってしまったがために、時代の変遷から取り残されてしまったということであろうか。いずれにせよ、ハウス・ミュージックは時代の流れの中のどこかの時点でアウト・オブ・デイトなものとなり、その死に直面することとなってしまったようだ。そして、そのように考えているのは、ハウスとは何であるかを少なからず知る人たちだけでしかないようでもある。ハウスを知らない人やもう興味のない人にとっては、そんなことはもうどうでもいい問題なのである。
今はもう過ぎ去ってしまった時代には、ブラック・ダンス・ミュージックとしてのハウスがあり、ゲイ・コミュニティ・ミュージックとしてのハウスがあり、都市の下層生活者のためのハウスがあり、何ももたぬものたちのためのハウスがあった。そして、それは、最もエクストリームに突き詰められた様式としてのミニマル・ダンス・ミュージックの最新形にして最終形態でもあった。ダンス音楽の進化の突端において、それまでの発展の歴史の中でごちゃごちゃと付け足されてきた要素を一気にストリップ・ダウンし、その根源や起源の形式にまで退化することで進化を果たしたのが、ハウス・ミュージックであった。肉体を揺らして躍動させるダンスをするために打ち鳴らされる四つ打ちビートだけという地点にまで音楽の歴史と音楽の道具化へと向かう構築の過程を遡った、かつての未開の大地に自らの脚だけで立ち上がった原始人が森の奥で発見した(純粋な躍動と労働の)リズムそのものが、そびえ立つサウンドシステムから巨大な音で鳴らされた。そんな古くて新しいダンス音楽としてのハウス・ミュージックのプロトタイプが、シカゴという街の地下のダンスフロアに発生し、そこから新しい時代のダンス・サウンドとして発展してゆくこととなったのである。
国境や国籍や宗教の壁を越えて人々が混ざり合い地球上の隅々にまで行き来するグローバル化が急速に進行し、マルチ・レイシャルな社会がどこにおいても当たり前なものとなり、あらゆるものが境界を越えてミックスされる多様性の時代が到来しつつある。そうした時代にこそ、高らかにハウス・ミュージックは宥和と融合の象徴として鳴るべきであったのではなかろうか。しかし、そこにはもう大いなる未来への理想やユートピアの景色を歌っていた、かつてのハウスはないのである。輝ける未来の日々に辿り着く前に息切れて失速し、ハウス以降の新しい刺激的なサウンドの底にそれは埋もれていってしまった。原初のハウスはそのハウスの流れを継承してゆくものたちに道を譲ったのであろうか。その流れが絶えることなくずっと続いているということは、ハウスは死んではいないし、時代の流れの中から本当は消えてはいないということなのであろうか。それとも、新しい勢力に道を譲った古いものは世代交代の完了とともに役割を終えて死んでしまい時代の流れの中から消えてしまうということになるのか。ハウスという種の子孫は、その進化の過程で新たに環境に適応してゆくために先祖とは異なる性質をもつようになっていったようである。新たな時代に対応し、そこで生き抜き生存してゆくために、原初のハウスらしさはかなぐり捨てられ、その新世代の性質の中からは実はすっぱりと消し去られてしまっているのではなかろうか。
ハウスの流れを継いだものは、正しくハウスを継承し、それを正しく発展させている、といえるであろうか。今もハウスと名のつく音楽はある。そして、ハウス的な音の骨格や一部にハウス的な見かけや匂いをもっている音楽もある。だが、それだけでは決して十分とはいえないのが、ハウスという特別な起源やルーツをもつ音楽が蔵する本来的な形態というものであるのかもしれない。
ひとつの音楽のジャンルというものは、時代の移り変わりとともに時代を経れば経るほどに一般的な凡庸さと凡俗さへと均されてゆく傾向にある。ロックンロールとして誕生したロック・ミュージックは、周縁やアンダーグラウンドからメジャーなマーケットへとその市場規模を拡大させながら流通の範囲を広げてゆくにつれて、それが起源からもっていたはずのエクストリームなブラック・ジャズやブラック・フォーク、リズム&ブルースなどの要素が次第に薄められてゆくことになった。シカゴ・ハウスやデトロイト・テクノのようなエレクトロニックなダンス音楽もまた、時代が進むとともにサウンドの感覚や感触は、かなり均整のとれた滑らかなものに均されていった。狭い地下のクラブの薄暗いダンスフロアで、力強く打ち鳴らされる粗野なビートへの心酔者を数多く生み出した尖った過激なサウンドは、巨大なフェスティバルで大勢のクラウドの両手を挙げさせることを第一の目的にした簡明にしてエンターテインメント性の高い、誰もが無条件に楽しめる単純な高揚感を演出するサウンドへと改良されてゆくようになる。そうした巨大なクラウドにおいて大半を占める(平均的な市民としての)白人的なパーティの感覚がそこでは優先され、それが起源からもっていた黒人的な肉体性や享楽性のエッセンスのみを自らに都合よく抽出して(自らにとって都合よく解釈し)、それを自らの感覚の近くに引き寄せて、黒い異物を取り除きつつ改変して自らの愉楽の中に取り込んでゆくのである(周縁の世界で発生したロック・サウンドが中央に移植されて一般性をもつロック・ミュージックという音楽となっていったように、都市部の周縁でひっそり行われていたハウスやテクノのパーティは巨大な野外のロックフェス(郊外に設えられる中央)に引きずり出され、そこに移植されて都合よく改変されて消費構造の内部に取り込まれてしまうのである)。そして、国籍や言語や人種の壁を越えて、平等に誰にでも簡単に、垣根や枠を意識することや生来の壁を乗り越える小難しさを一切排して、何も考えずに楽しめるパーティ・ミュージック的な側面を一層強くしてゆくのである。時代が移り変わり時代を経れば経るほどに、そうした改良や改変は休みなく巧妙に繰り返されてゆくことになる。音楽に、パーティに、ダンスフロアに、尖った突出している部分がなくなることで、それは却って誰にでもアクセスしやすいものとなってゆくのである。
全地球上に網の目状に張り巡らされたネットワークを通じて何もかもが並列につながるインターネット時代には、真っ黒なものが黒いままでいたのでは、あらゆるものがケイオティックに入り混じる時代の趨勢にのることは難しくなってくるのかもしれない。そのため、アフリカン・アメリカンやラティーノ、カリビアンなどの有色人種、同性愛者、社会から除け者にされているマイノリティや弱者の拠り所となり、社会からこぼれ落ちてしまった多様な人々を包摂してきた、ハウス・ミュージックの根幹であり芯をなしている部分の、一でありながら多でもあるという本質を隠匿する(暗渠化する)力が、それそのものが洗練や発展へと向かう動きの内部から湧き出てくることにもなる。もはや、相当にグローバリズムが進行してしまっている時代においては、殊更にエキセントリックである必要はなくなってくるものなのだ。どこからも誰からもアクセスしやすくするために、少数者向けに特殊な性質をもち、ある一面だけを特化させ、画一化や均一化を是とする市場において突出する必要は(求められ)なくなってくるのである。あらゆるものがグローバル化された時代の平均的なリスナーが、(過度な能力や技能を必要とせずに)容易にアクセスすることが可能な、大多数の声の大きい層(ラウド・マジョリティ)が包含されうる普通の人々のため(だけ)だけに制作された、平等で平均的な娯楽となるべきものに、あらゆる音楽は成り果ててゆくのだろう。そこにあるのが高度に発達した民主主義的な思想や概念であればあるほどに、娯楽は大多数のものが何も考えずに楽しめるものであればあるほどよいとされる傾向をもつはずだ。ただの娯楽のための音楽ではない重要な側面ももっているハウス・ミュージックは、そこで本質的な部分を失わずに生きながらえていられるであろうか。いや、そういう音楽であるからこそ、本当のハウスらしいハウスは、時代の流れの中から消えてゆかざるを得なかったのである。
ダブステップ以降のハウスやEDM以降のハウスは、ハウスでありながらハウスではない。しかしながら、ダブステップ以降のハウスやEDM以降のハウスがあるところでは、そうしたハウスでありながらハウスではないハウスもまた、(ただ何となく)一様に昔ながらのハウス・ミュージックということにされている。根源を忘却することで、ハウスはハウスでなくなってゆく。だが、時代がそうしたハウス(らしきもの)を求め(続け)ているのだから仕方がない部分も確かにあるのだろう。そこにはハウスという名前とサウンドの感覚的なハウスっぽさだけは、まるでハウスの墓標のように突っ立って残ってはいる。ただし、そこにあるハウスっぽさは非常に感覚的なものであるだけに非常に薄っぺらい。ただのジャンルの名前として残った、ハウス的なビード感のあるダンス・サウンドとしてのハウスが、そこではとても空虚かつ空疎に鳴り続けることになる。
しかしながら、本来であれば始源からの正統なるハウス・ミュージックの本質に秘められているものが、自ずから露となってくることで、その本質の部分を思い出さなくてはならない時期というのが遅かれ早かれ訪れることになるのではなかろうか。世界は本物のハウスらしいハウスを忘却の彼方から引き戻してそろそろ思い出すべき頃であるのかもしれない。本物を思い出すと踊れなくなってしまうような平均的に均されてしまった頭と身体をもつものも、もしかすると少なくはないのかも知れないが。ハウス・ミュージックとは、その起源より極めて反時代的な音楽であったということが思い出されるべきである。70年代後半からの世界的なディスコ・ブームが終焉し、ダンス・ミュージックが社会の周縁の地下のダンスフロアに潜り込んでいった80年代初頭に時代の流れとは関係なく発生し、ダンスのための音楽を現代的なエレクトロニックでテクノロジカルなサウンドに進化させつつ、プリミティヴなビートとグルーヴにフォーカスすることで古代世界や太古の昔の舞踏や舞闘の音楽へとサウンドのテクスチャーを退化させてもいった。それが、時間や空間や記憶や本能的な思考を進むも戻るも自在に動かしてしまうことを可能にするハウスという音楽であったのだ。その本質を思い出し、それをしっかりと見て正しく認識し理解をすることで、人間は再び本当の人間本来的なダンスを踊れるようになるのではなかろうか。
反時代的なダンスフロアを、このグローバリズムが吹き荒れる時代において、成立させることは可能であろうか(※)。グローバリズムの時代にあっても局地的な反時代性は、いくらでも存立が可能であろう。広く薄く地球を覆い尽くしているグローバリズムとは、非常に粗い網の目のようなものでもある。ただし、それは逆に特定の範囲をターゲットとし絞り込もうとする際には、その部分だけをいくらでも細かい網の目にしてゆくこともできるのである。そうしたふたつの被い込みと囲い込みからなる極端な捕捉の形から、どのように脱げ出すことが可能となるのであろうか。吹き荒れるグローバリズムの猛威を前にして、ダンスフロアはどこまでエキセントリックなものであり続けられるであろうか。10ルクス以上の明るさのダンスフロアで、反時代性をもち続けることは不可能であろうか。そんな淡い反時代的な理想や希望もろとも、時代に渦をまくグローバリズムの嵐を前に、ハウス・ミュージックは簡単に吹き飛ばされてしまうのであろうか。そして、遥か遠い昔に終わったもの、死んでしまったもの、消えたものにされてしまうのだ。その本質の部分を、全く見ようとも知ろうともしなかった人々がパーティすることによって。多くの人々にとって、そんな古臭い起源や小難しい音楽文化の背景のことを知ったりしようとすることは、とてつもなく面倒で考えるだけで気が重くなることでしかないのだろう。底抜けにポップで軽妙にみんなとともに「ウェーイ」となれないものは、全く見ようとも知ろうともしないことが、この時代の真っ当なスタイルや流儀となりつつある。だから、何となく面倒臭いと感じられるものは、ただただ「それな」の一言であっさり片付けてしまうことにするのである。
ハウス・ミュージックは、再びロフトやギャラリーやウェアハウスやミュージック・ボックスのような、社会で普通に生活する人々には知られることもなく、見つけられることもなく、気づかれることもない、地下のひっそりとした場所にある薄暗いダンスフロアに戻ってゆこうとしているのかもしれない。そこは最も豊潤なる来るべき文化の大輪の花の萌芽が育まれる場所でもある。新しい文化は、普通の人々の寄せ集めである集団的な大衆が陣取る明るい場所では、決して生み出されることはない。それは、すでに、これまでのロック・ミュージックやハウス・ミュージックの歴史によって証明されていることである。

(※)「反時代的なダンスフロアを、このグローバリズムが吹き荒れる時代において、成立させることは可能であろうか」
かつてダンスフロアは、都市生活者の(あぶれものたちのための)シェルターとしての役割をもつものとしてもそこにあった。社会から疎外されそこから追われて平均的な市民生活からこぼれ落ちてしまった都市難民を(も)受け入れるのが、誰も来るものを拒むことのない(歓待の)ダンスフロアであった。だが、そうしたダンスフロアが誰も彼も受け入れて規模の大きなものになり雑多さの層に厚みが増し(結果的に)ソーシャライズされてゆくことで、そこはシェルターとしての機能を薄めてゆくことになっていったのではなかろうか。シェルターを必要とする階層が社会の周縁の暗がりで集団を作り出すと、あざとくそれをあぶり出して排除し、平均的な市民の群れから区別して(色を付けて)できるだけ遠くへ弾き出すのが、社会というものである。ダンスフロアが、かつてのようなオルタナティヴなソーシャルを再び作り出すことは可能であろうか。様々な人がそこで共存でき、精神と魂の深いところで共感し融合できる場としてのダンスフロア。パラダイス・ガラージやシェルターにあった、ダンスフロアのそうした部分はもはや完全に失われてしまっているのかもしれない。そして、ダンスの場は、劇的なまでに社会の縮図のような様相を呈している。その中には、当たり前のように暴力やハラスメントがあり、そこから意識的/無意識的に排除されてしまう小集団が(再)形成されることになる。結局のところ、ダンスフロアとは、反時代的にして反ソーシャル的な性質をもたなくては、もはや本当のダンスフロア足り得ないということなのではなかろうか。はたして、そこにあるダンスフロアは、本当に本物のダンスフロアであるのか。その周囲や界隈にいるダンサーたちのダンスやステップを今一度逐一観察してみる必要がある。どうだろう。全員が同じ方向を向いて同じように体を動かし同じ音に全く同じ反応を示してはいないだろうか。

最近の、ただガチャガチャうるさいだけのEDMや薄っぺらで平べったく味気ないギミックに満ちたダンス・ミュージック、粗暴な言葉を吐くことだけに酔っているかのようなラップ・ミュージックを聴いていると、思わず「やれやれ」と思ってしまう。これは実に年寄りじみた新しいものに対する反応である。だが、実際に年をとってしまっているのだから、それも致し方ないところなのであろう。
60年代のフォーク・ロックやサイケデリック・ロックの少々生温い焼き直しに大真面目に取り組んでいる、全く新しくもないのにニュー・ウェイヴと称されていた音楽が、かつてあった。そして、そんなものを聴いて大喜びしている子供たちの、何も音楽について知らないことを恥ずかし気もなく露呈させている、見識も知識も浅い振る舞いを見て、実際に60年代や70年代の本物のサイケな音楽をリアルタイムで聴いてきた大人たちは内心で「やれやれ」と思っていたはずである。音楽のスタイルとしては全く革新的ではない古いディスコ音楽やファンク曲をメリハリのないビートにのせて焼き直ししただけのハウス・ミュージックを聴いて、アシッドだジャズだと大喜びしている子供たちを見て、大人たちは内心で「やれやれ」と思っていたのではなかろうか。そうしたことの繰り返しは、ただただ時代が巡っているということでしかないのであろうか。ただし、ニュー・ウェイヴもハウス・ミュージックも、古い時代のものからある種の(価値観や感覚の面において)断絶をしていたから、そう簡単には打たれても引っ込まない強度をもっていたのかもしれない。どこからか外野から聞こえてくる「やれやれ」という声に、無邪気に喜んで遊び回る子供たちは決して耳を傾けることはなかった。おそらく、今の音楽を取り巻いている状況というのも、そういった感じと大して変わらぬものなのであろう。
では、ハウス・ミュージックもまた、時代の流れの中での断絶を乗り越えて、いつまでも生き残ってゆくことが可能なのであろうか。ニュー・ウェイヴは、いつまでもニュー・ウェイヴのままであり、ディスコは、いつまでもディスコのままである。そんな今現在のニュー・ウェイヴやディスコを見ることで、そこからまた少し違ったハウス・ミュージックの未来を考えることも可能なのではなかろうか。ニュー・ウェイヴやディスコは、何度かのリヴァイヴァルの波を乗り越えて、今もまだそのうねりは完全な引き潮とはなっていない。ただし、この先あの頃のクラシック・ハウスのヒット曲が懐メロ化してゆく怖れは多分にある。ユーロビートのリック・アシュトリーやデッド・オア・アライヴのヒット曲が、とても懐かしい響きをもつように。だが、そうした伝統文化化してゆく流れとは違う道もどこかにあるはずなのである。懐かしい感情をかき立てる要素以上に、今も変わらずに今という瞬間において必要とされるはずの部分が、ハウスの中にはあるように思われる。ハウスは何を歌っていただろうか。ハウスは、過去を歌い現在を歌い未来を歌っていたのではなかったか。今の社会の動向にも適応・応用できる(反時代的な)歌が、そこにはあったのではなかろうか。




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