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27歳、鬱から逃れる

 長い時間、売れないモデルだった私は、仕事があるのに「不幸」だなんて信じられなかった。仕事があって多忙であること=幸せだと疑わない私なのに、冬から春にかけてゆるやかに、しかしどうしても「やりたい仕事」ができなくなった。

 転身後、ライターの仕事で生計を立てるようになって、「仕事」というのは、安定し始めると少なからず煩わしいもので、と冗談めかせる心と財布のゆとりが生まれた。それでも鬱という病気はゆっくりと忍び寄ってきて、「ヤバイ」と思ったときには身動きが取れなくなっていた。
 私がそうなったのは自分の弱いところやダメなところを人に見せるのが極端に苦手だからかもしれない。すべて覆い隠すか、全開にするか、私は極端な手段しか取れない。前者でいたとき、私はちいさく狂ってしまった。ダメになってしまった日々と経緯をここに綴ることで回復を図りたいけど、自分の心のうちを全開にするのはそれでちょっと狂っているのかもしれない。

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 パソコンにむかうのが苦しくて、何も打てない。それでも締め切りはやってくるから、怠惰な自分に嫌気がさす。真っ白なWordにぞっとする。もう今日は締め切りなのに、キーボードの上に置いた手は動かない。ぼんやりした頭で何時間もただディスプレイを見ていた。くるしい。胸が鈍く痛くて、息が苦しい。編集者からの連絡に震え、通信機器たちが音を立てるときは心臓が鋭く痛んだ。iPhoneが鳴らなくなった頃、じんわり涙が出てきて、それでもなぜかキーを叩けない。2ヶ月があっという間だった。

 「もう本当にいやだ消えたい」がひとり口癖になって、もう本当に嫌だ。一度体調を崩してから、パジャマか部屋着かわからなくなった服のままのそのそと外に出た。ぬるい風が頬を撫ぜて、ボサボサの髪に日が当たる。外はいつのまにか春だった。あたたかくてやわらかい空気が、いかに私が自分と時間を無駄にしたか思い知らせようとする。病院に行こう。このまますべてを滞らせたら消える前に社会的に死んでしまう。

 メンタルクリニックに続く階段を登って、ドアは開いたままだった。風がよく通る。一刻も早く診察室に入れてほしい。やりたくて始めた仕事が目の前にあるのに、なんでこんなに苦しいのか、どうしてこんなに動けないのか分からなくて、涙が滲んでこぼれた。

 私は鬱だそうだ。

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 コロナウィルスの影響で、どんどん外に出なくなって、人と話すことがなくなって、一度体調を崩したら、心の不調もぐんぐん加速した。非常事態宣言前に手配した引っ越しもあったから、とにかく薬を飲んで、体を動かせばできる引っ越し作業を黙々とした。私は外面がいいから、人と会うことで自然と自分の調子を上げていたみたい。取り繕わない生活というと聞こえはいいが、ぐわんぐわんと沈んでしまって戸惑った。

「今、こんなふうになった理由がわかりません」とクリニックでぽろぽろ泣いた。だって、望んで始めた仕事があって、生活ができて、向上心もある。多くはないけど友人もいて、デートする相手だっている。それって「しあわせ」なんじゃないんだろうか。私がモデルで居続けたいと苦しんだとき、手にしたかったものすべてなんじゃないんだろうか。

 変化というのはすべてストレスなんだそうだ。良い変化も悪い変化もストレスなのだ。お仕事をいただくたび、「やったー!がんばります!」で爆走していた期間を経て、「現状維持」という言葉が浮かんでから、少しずつ心に小石が溜まっていた気がする。

 幸せになるのはむずかしい。幸せで居続けるのはもっともっともっと難しい。私はあの時、なんで自分があんなに苦しかったのか今もわからないのだ。だから、わたしは私を新しく幸せにしていくしかない。

 まさに「コロナ鬱」的症状で、我ながら情けない。自分のダメなところを隠すように抱え込むのが一番人に迷惑がかかるということも、今回身を以て知った。謝罪行脚し、この仕事を精一杯またやるしかない。ご迷惑おかけした方々、改めて、大変申し訳ありませんでした。

 昔から生き急いでいると言われていた。夢をあきらめた25歳は、あっという間に27歳になった。尊敬する方々は27歳の頃にはもう、と焦る。このまま30歳にはなれない。ようやく具体的にやりたいことも見えてきた。やっぱり私はパン食い競争みたいな毎日の方が生きている感じがする。年内にブロマンス本刊行決めるぞ、と自分を追い込んで〆ます。

テレ東プラスさんで、ブロマンスを語るインタビュー記事掲載していただきました。物語だけがブロマンスじゃないぞ!

シュークリームはいつでも私に優しいので、おいしいシュークリームを買うお金にします。あなたもきっとシュークリームを買った方が幸せになれます。