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カーテンから漏れる光。朝の雑踏。

私が読みたいことを書けばいい。そんなに難しいことではない。

うそ。めちゃくちゃ難しい。そもそも読みたいことって、なに?

私はラベル貼りをされるのが嫌だ。するのも嫌だ。例えば資格・役職を声高らかに言うのも、言われるのも、それを見るのも、好きではない。
例えば、noteではクリエイターを名乗る人が多いけど、「〜をやってる人」というラベルも好きじゃない。

「あー、この人はそこで留まる人なのか……」なんて思ってしまう。
名乗るラベルは色んな歴史が詰まった総称で、人それぞれにイメージがあって、良くも悪くもその人を枠の中に押し込める。偏見が生まれるし、限界値も想像できてしまう。
そこに満足するならそれでいいと思う。自由じゃん?あくまで個人の感想だし。

何かを名乗れば同族が集まって群れができる。群れができても同じ志向の人間だ。やれることはたかが知れてる。同族嫌悪って言葉があるように、いずれは身内同士で小競り合いから揉め始め、解散していくのが目に見えてる。
だから、そういう群れが生まれたり、自分が属してしまってると思ったらそっと距離を置くことにしてる。
そこでやれることの限界が見えちゃうから。その先も見えてるから、ね。

ラベルが好きで色んな名乗り方をしてる人の嗜好がわからない。コレクター的な感じなのか。
名乗るのはスタート地点のはずなのに、みんなゴールだと思ってやしないか。
ライターもそう。そこが始まりだ。エッセイストもそう。そこで満足してやしないか?なーんて思ったり。

だから何も名乗らない。せいぜい言うなら会社名と従事してるプロダクト名くらいだな。
自分もどんな人間かわかってないのに、周りに勝手にラベリングされてたまるか。なーんてね。

たまたまヒトに生まれて、日本に生まれて、男に生まれ、何不自由なく、死ぬまでエンジョイしていい人生だ。

何かに満足できるまで、何かをエンジョイしてやればいい。
他人にラベリングされたり、感想を述べられたりしたところでなんなんだ。

そうは思わないかい?

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