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才能は生まれつきのものなのか?

「天才は存在しない」と思うに至った経緯をここに記しておきます。

動画で写真講座を受講。
彼岸花が写し出される。自分には難しい被写体だな。とか思いながら、note では彼岸花についてどのような記事が書かれているか気になって、検索。

綺麗な彼岸花の写真がたくさんある。

新着記事の中に、「才能がほしい」と言っている人がいる。内容は彼岸花とは関係ないが、クリエイターネームが彼岸花だからヒットしたらしい。

才能?

そういえば、才能ってなんだろう?

辞書を引く。
生まれつきの能力、みたいに書いてあった。

自分は、天才は生まれつきのものを意味するが、才能に生まれつきという意味は含まないと思っていた。しかし、辞書に「生まれつきの」と書いてあった。

ちょっとした違和感。


余談だが、先日書いた記事で「感性」について触れた。昔は、感性という語には「生まれつき」のという意味が含まれていた気がする。話題というものは普通ではないから話題になるのであり、感性についていうとそれが並外れているからこそ話題にされるのだろう。そして、その時に、凡人には到底真似のできないことという意味の、「生まれつき」という語をもって修飾することが、メディアの常套手段だったのではないか。つまり、「生まれつきの感性」とは、興味をそそるためのフレーズだったと。
現在は、感性は磨くことができる、つまり生まれつきのものとは限らないと考える人が多い気がする。
才能が、辞書に書いてあるとおり生まれつきであるならば、後からどうすることもできない。しかし、感性は磨いて伸ばすことができるということだ。


Web で「生まれつきの才能」に関する興味深い記事を発見。

幸せな人生を歩むために必要なものは自信だそうだ。

では、どうやって自信を身につけるか。

10000時間以上練習する。

どこかで聞いたような、、、

「音楽の素質」とある。
ネタの元になった書籍にどう書いてあるか知らないが、ダイヤモンドオンラインのこの記事を書いた人は、生まれつきの才能がなくても沢山練習すればすごい人になれるが、生まれつきの性質、つまり素質が伴っていないと無理と言っているようだ。

素質とは?

生まれつき持っている性質。

結局、生まれつきではないか?

生まれつきの何か + 10000時間以上の練習 = 天才

ということだな。

しかし、生まれつきの才能というのもおかしな表現だな。
生まれつきの生まれつき持っている性質、ってなる。

才能は生まれつきのものであるならば、「生まれつきの」という修飾語は必要ない。重言と言っても良いかもしれない。

だから、自分は、才能=生まれつき、とは思わないのである。

問題の記事は、自社で出版した書籍の宣伝だったようだ。

もう1つ見つけた。

まあ、幼児教育については、よく言われていることだと思う。この説には納得。

しかし、最後の最後に、おかしなことを言っていた。

赤ちゃんの頃はみんな天才なのですから、そのまま大人になることができればすべての人が天才になれるのです。

幻冬舎 GOLD ONLINE
脳の重さから見る「6歳までの環境」が、「超重要」である理由
大坪 信之2020.2.19

赤ちゃんの頃に持っている才能って、何ミリグラム?
重さで計れるものじゃないだろうけど。

「そのまま大人になる」には違和感あり。

問題は、持っているものを伸ばせるかどうかだと思う。何か良いものを持って生まれて来たとしても、そのまま大人になってしまったのでは、才能は伸びない。揚げ足を取るようだが、人は皆、そのまま大人になることはできない。

この幻冬舎の記事は、幼児教育関連の宣伝が目的で書かれたものと感じた。そのために主張が偏っている気がする。


自分は、鍛えれば脳は成長する派。なぜなら、幼児教育からやりなおすことはできないわけで、幼児教育で全て決まってしまうと言われたら何の希望もないわけである。しかし、鍛えればなんらかの向上が見込めるということならば、希望を失わずに生きていけるというものだ。

何年か前に、加藤氏の講義を聞いた。まんまと洗脳された。講義は面白かった。
その時に、買わされた壺が、いや著書が、買う買わないは自由だったと思うが、確かこの↓本だった。


脳の配線は、大人になってからも変わる。配線そのものが変わるかは知らないが、通り道が変わる。
未開発の領域を使うことで能力を高めることが可能だと信じる。


別の話に移る。
諸説あるのかもしれないが、次のようなことが言われている。

次の記事には、脳の発達(発育か?)についてわかりやすく書いてある。いい子が育ちそうだ。きっと、義務教育で教えたらいい。

0歳では、ニューロン同士の繋がりはほとんどないと言っている。
2歳のときに、刺激をどんどん受け入れるとのことで、この時期に沢山刺激を受けることが、写真の場合は、大人になってからのセンスとか感性につながるのだろうと思う。

才能がとやかく言われがちな分野というものがあると思う。芸術とか。
幼児が芸術的な事物に接して、大人顔負けのことを成し遂げたら、この子は才能があるんじゃないか、天才じゃないかと思うことがあると思う。生まれつき何か持っていると。
しかし、どうだろう。最新?の脳科学によると、生まれたての脳は白紙のようなものらしい。そして、成長過程での良い刺激によって素晴らしく育つもののように言っている。つまり、天賦の才能などではなく、生まれてから身につけるものと言えると思う。
凡人は、というか昔の人は、そのような脳科学的なことは想像できなかったわけで、生まれつきと思ってしまうことは、仕方のないことだったと思う。

脳科学は、「天才は存在しない」と言っている。

という結論に達した。

とまあ、ここまでは、遺伝のことを全く考えていなかったのである。

遺伝子。

自分は、遺伝子というものは、人間なら人間の設計図を、親から子へ渡すための手段でしかないと思っていた。が、最近、遺伝子が活性化する、とかいうことを耳にした。

遺伝子が活性化するとはどういうことか。

ああ、そうか。

脳細胞は、その中で、なんらかの神経活動によって特定の遺伝子が活性化する。途中の話のタンパク質産生どうこうののあたりはよくわからないが、そのことが学習や記憶につながるということだ。

学習や記憶は、才能や感性につながるものと思う。

もしかしたら、遺伝的に特定の遺伝子が活性化しやすいとかいうことがあって、生まれながらにして何か持っているということはあるのかなとも思う。

次の記事。
研究結果が正しいかどうかは疑問だが、ざっくり言って遺伝半分、環境半分という話だ。ある研究によると、60パーセント。何をもってその数字を導き出したかはわからない。そして、この数字が天才のものとは言っていないので、どうでも良い話だったかもしれない。

茂木健一郎氏が天才は遺伝しないと言っているので、その記事へのリンクを貼る。この話を信じるかは、あなた次第。


結論とも違うが、まとめ。
子供が生まれたらぜひとも脳に良い刺激を与えると良いと思う。それから我慢強い子に育てること。10000時間の練習には、我慢も必要と思うのだ。どうしたら我慢強い子になるかは知らない。子供を甘やかす親が多いと感じる今日この頃だが、そのような風潮が我慢できない子を大量生産し、その結果が今の日本の弱さに現れているのではないだろうか。もちろん、原因はそれだけではないだろうけど。

脳科学の発展によって、「生まれながら」と思われていたことが変わっていくと思う。生まれながらというものの存在は過去のものになり、生まれながらに対する人々の意識も変わって行くだろう、そんな風に思う。

t.koba

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