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境界線

ある日の昼下がり。
海が見える公園の近くのベンチにひとり腰掛け、ぼんやりと海や空を眺めていた。
360°見渡しても曇天でしかない空。
お世辞にも美しいとは言えない海。
ともに理想とかけ離れていながらも、水平線の向こうでは境界が曖昧と化してあたかも繋がっているように映った。

社会人になって1か月が経とうとする現在、自身の仕事とプライベートも、あの日の空と海のように双方が侵食し合い区別がつきづらくなりつつある。
職場での失敗や反省も、元々あまり得意でない集団行動も、なるべく勤務時間内に消化すると割り切る。職場から一歩外に出た瞬間、自分だけの空間を楽しんだり気を許せる人達との時間を過ごしたりする。それが自分の理想とする在り方だ。 
むろん現実はそうはいかない。「今日もこれができなかった」という反省は居酒屋の喧騒や強いお酒によって薄まることはなく、むしろ日付が回る頃には擦っても取れないフライパンの油汚れのごとく自分の心にこびりつく。そんな調子でいる手前、職場の人達と付き合いで飲みに行っても純粋に楽しむことのできない自分がいる。ひとりひとりに対しては何の苦手意識も感じないのに集団の中に放り込まれるとどうしてこうも居心地の悪さを感じてしまうのだろうと思い詰めながら、アルコールのペース配分を間違えて早々に酔いが回った素振りをしながら虚無の笑顔と相槌を振り撒く自分がいる。

先日、高校の先輩とおよそ10年ぶりに食事する機会ができ、ふいにGoogle Driveで当時の写真や資料などを見返してみた。
あの頃は楽しかったなあとノスタルジーに浸るかと思いきや、むしろ辛い記憶を呼び覚ますこととなった。
すっかり忘れかけていたのだが、ちょうど10年前の高校2年生で、初めて自分の目に映る世界から色が薄れかかる感覚に襲われた。
詳細は避けるが精神的に追い込まれた出来事がいくつか重なり、何をやっても上手くいかない自分に絶望し、他者からの心ない言葉に傷つき信じたい人に対してすら疑念を抱くようになった。対人関係が苦手になったターニングポイントの時期でもある。
食べることが人生一番の楽しみといっても過言でないのに心から味わうことができなくなっていたし、明日を迎えるのに嫌気がさしてなかなか寝付けなかった記憶がある。駅のホームで先頭に立って電車を待っていても、常にぼんやりとしていて何気なく見ている街並みも燻んで見え、ここからどこまで堕ちてゆくのだろうか、その前に自らとどめを刺すのだろうかという恐怖と共存していた。

あれから今日に至るまでの10年間、数多くの小さな絶望とごく僅かの大きな希望の境界線を行ったり来たりして心のリストカットを繰り返しながらなんとか生きてきた。
自分の人生の中でも確実に分岐点に立っているであろう現在を起点として、これから10年間も途方に暮れるほど激しい起伏と付き合って生きていかなければならないのだろう。
世間で"生きづらさ"とラベリングされるであろう自分の性格を、いつか武器に変えて纏い生きていくことのできる時は来るのだろうか。そんなことを漠然と考えながら、重い腰を上げて作り置きのおかずを弁当に詰め、今にも開きそうな心の傷口に応急処置をしながら職場へ赴く日々を生きていく。

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