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逃げた私と逃げない彼の涙

幼い頃は自分と同じ年の子達に比べて体が大きかった私。
背の順ではいつも後ろ。
だからだろうか、私は運動神経が良かった。特に、長距離走が得意だった。

いや、得意だと思っていた。

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人生初めての長距離走は小学校1年生の時、寒い真冬に1年に1度行われる、ロードレースだった。
1.2年生は小学校内に作られたルートを走り、3年生からは学校から少し歩いた先にある田んぼ道を走る私が1番嫌いな行事だった。

寒いのに、半袖短パンの体操服に身を包み皆ガクガクと震えながらスタートを待った。

私の通っていた学校はマンモス校で1クラス40人弱の5クラスで走るので200人。男女分かれて半分にしたとして100人弱が競う長距離走だった。

その初めての長距離走で2位になった。
先生に手作りの賞状とメダルをもらって、自分で自分が誇らしくて嬉しかった記憶がある。1位じゃないのはちょっと悔しかったかもしれないが、悔しいよりも2位という事実が嬉しかった。

私って運動神経いいんだ。長距離走得意なんだ。そう、信じてしまう結果だった。

2年生での長距離走はまさかの1位だった。
校内を走り最後にグラウンドでゴールテープが張られている。走っているグラウンドにはまだ私だけ。
ぶっちぎりの1位だったと記憶している。
しかし、ゴールした後に見えた見学席には昨年の1位だった子がいた。
今度はちょっと悔しかった。
「あの子が見学で、不参加だったから今回私は1位になれたんだ」と。みんなもきっとそう思っているだろうと。

3年生で初めての田んぼでの長距離走。
田んぼまでの道のりが遠くて田んぼに着く頃には既に疲れている。今から走るなんて。
しかし、私は長距離走が得意なのだ。そう言い聞かせて走った。
3年生ではまたも2位だった。1年生の時と同じ記録だ。1位の子もあの時の子だった。

4年生くらいからだろうか、みんなもそこそこに成長して、私の背の順は少しずつ前に前に、後ろに何人かが並ぶようになった。

そんな4年生での結果は4位だった。
悔しかった。ただただ、悔しかった。正直走る事なんて全く好きじゃないからどうでもいいっちゃどうでもいいけれど悔しかった。

そして、5年生。
19位だった。
ゴールした順番に番号の紙が渡されるそこに「19」という文字が書かれていた。
私はその番号を見つめた。
みんなは走り終わってワイワイ話す中、そんな元気もなくただただその数字を見つめた。

私は引退するアスリートの気持ちを知った気がした。
優秀な人たちがわんさか出てきて、どんどん追い越されていく。惨めな気分だった。
私は運動神経が良かったんじゃない。たまたま他の子より成長が早かっただけの事だ。そう悟った。

そして6年生のロードレース。
私は逃げた。
その戦いから逃げたのだ。

走らなくとも自分でもわかった。もっと後ろの順位になる事が。そう思うだけで辛かったし嫌で嫌で仕方なかった。
私は親に頼んで風邪で休んだ。(実際嫌すぎてしんどかったはしんどかったのだけれど)

それからの私は競う事を嫌い、逃げることを覚えた。

塾に行くか行かないかという話でも、私の中で塾は成績順を壁に貼られるというイメージがあったので塾には行かないと決め込んで学校の授業だけで高校受験をしたし、部活動では競うことのない吹奏楽部を選んだ。
吹奏楽部もコンクールはあるけれども、吹奏楽の一番の目的は聴いてくれた人を楽しませる事だと思っていたから。
と言いつつ、強豪校でコンクールメンバーをオーディションで決めるような高校は避けた。
全員出場、仲良く頑張ろう!と言う雰囲気の高校にした。
大学受験だってこわくて、必ず入れる専門学校にした。

運動やスポーツに限らず、ずっと嫌なことは避けて避けて避け続けた学生生活だった。


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就職してから高校野球に関する仕事をする事があった。

高校野球どころか野球があまり好きではない。
野球とはテレビっ子の私にとっては延長でドラマを遅らせる困ったスポーツだったからだ。

そんな私が仕事で高校野球の聖地甲子園に何度か通った。
いろんなユニフォームを着た高校球児達が、汗水流して試合をしていた。
客席の熱気も熱かった。スポーツを観戦した経験がほとんどないので、初めての異空間といった感じだった。

試合を見ながら私は熱くなることもなく「それにしてもすごいなぁ、皆よくやるなぁ」なんて彼らより少し歳上の私は感心して見ていた。

そんな中バックヤードに入って、取材を受ける選手達を見た。

そこにいたのは屈強そうな丸坊主の学生。
その彼が涙を流していた。
私はその見た目とのギャップに驚いた。

負けたんだろうか、きっとそうなんだろう。
彼は戦いに負けて泣いている。
私にはない経験だった。そう彼を見ながら思った。

なぜなら、私は今まで逃げ続けたから。
必死にやって負けて泣いた事なんて無かった。

逃げなかった者たちにしか流せない涙を。
彼は悔しさという感情に任せてただただ泣いていた。

私はあの時、私もあんな涙を学生時代に流したかった。
スポーツに限らず何か真剣に取り組んで、喜びや悔しさを全力で分かち合いたかった。
そう遅すぎる後悔をした。

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今も逃げていないかと言われればわからない。
そもそも環境の変化がほとんどないので逃げ出そうとする機会すら大人になると無いものだ。
それに何かを始めないとスタートしないと、逃げる選択肢すら生まれない。

「やりたくない」「嫌だ」「頑張ったって仕方ない」そんな言葉はもう言いたくない。難しい事だけど、本当に難しいけど。


高校野球の季節が巡るたび私はあの時の丸坊主の青年をふと思い出す。

私もしっかりしなきゃなって今でも思わせてくれる。


あの時参加しなかった最後のロードレース。

スポーツに限らず、1位じゃなくても何番だっていい。今度はちゃんとゴールして、悔しかったら泣こう。

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