「朝ごはん」

Twitterでいくつかテーマをいただいたので、そこから頂戴して書いてみようと思います。まず「朝ごはん」。

「朝ごはん」と言われていろいろ思いを巡らしていると、ある古い記憶と結びついた。ぼくには忘れられない朝ごはんがある。それは幼い頃におばあちゃんの家で食べた朝ごはんだ。

ぼくは新潟出身の両親の間に生まれ、幼少期は父の実家である新潟市内に暮らしていた。そこから車で小一時間ほど走った五泉市というところが、母の実家だった。単線の列車が走る長閑で小さな町で、水道水が驚くほど美味しかったことを覚えている。

夏休みや連休には家族で五泉へ行き、泊まってくることがよくあった。うちの家族が泊まる大部屋には能面が飾られており、ぼくがそれをひどく怖がったので、到着するとまず祖母がその能面を隠してくれるのが毎度の儀式となっていた。

五泉で食べる朝ごはんは、祖母か伯母が作ってくれた。朝起きると、うちの家族用に4人分の朝食が食卓に用意されて、今ではあまり見なくなった蝿除けのドーム型のネットが被せてあった。白いご飯と、お味噌汁と、丸いナスの漬物。それと、紙の牛乳パックに作った麦茶。そしてそこに必ず伯母が冷蔵庫から出してくれたのが「すじこ」だった。ぼくはすじこが大好きだった。暖かいごはんの上に豪快に一房乗せ、少しずつ潰しながら食べる。天下の米どころ、当然お米もおいしい。すじこはもちろんだが、すじこの汁が滲み出て少し赤くなったごはんも大好きだった。五泉のおばあちゃんの家にはいつもすじこがある。そう思っていたが、きっとぼくや姉が喜ぶから特別に用意してくれていたのだろう。他にもすじこを食べる機会はあったが、ぼくにとって五泉の「おばあちゃんの家で食べるすじこ」は特別なものだったのだ。

そして時は流れ、ぼくは大人になった。実家を離れて暮らすようになったぼくは、スーパーですじこを見つけて驚いた。高い。大人になったとは言え、それは売れないバンドマンが気軽に買えるような値段ではなかった。何も知らずに、当たり前のように豪快に食べていた少年の自分に会いに行き、説教をしたくなった。もっとありがたくいただけ、と。お前のすじことごはんのバランス、贅沢すぎるぞ、と。そして、今ではもう言えないぼくの代わりに、おばあちゃんに心を込めて「ありがとう」を言えと。

今でもすじこはぼくにとって特別な食べ物だ。魚屋やスーパーでは買いもしないのに必ずチェックだけはする。そして時々気が大きくなった時にだけ、自分へのご褒美にと何か都合のいい理由をつけて買う。そして白いごはんではなく、大根おろしをちょっと添えてつまみにして酒を飲んだ瞬間に、「ああ、ぼくは大人になったな」と思うのである。

どこまでも続く水田と、美しい山々。祖父の自転車の後ろに乗ってホタルを見に行った夏の夜。「鉄オタ」という言葉が生まれる遥か昔から筋金入りの鉄オタだった従兄弟が大切に持っていた時刻表。蛇口に口をつけてガブガブ飲んだおいしい水。まさにリアル「ぼくの夏休み」だった五泉での記憶。そんな断片的な美しい思い出とも相まって、あの時食べたすじこごはんは、ぼくの人生の「朝ごはん」の中に燦然と輝く記憶として、堂々と殿堂入りを果たしているのである。

もう五泉にはずいぶん長いこと行っていない。数年前にツアーで新潟へ行き、共演した新潟のバンドマンの中に五泉の人がいた。嬉しくて五泉の話をした。ぼくの懐かしい思い出話に一通り耳を傾けてくれた後でそのバンドマンは、「久しぶりに五泉来てくださいよ。キャバクラ行きましょう」と言った。おい、なんてことを言うんだ。ぼくの少年時代の美しい五泉の思い出は…どうなる。すじこを初めて酒のつまみで食べた時とまた違った意味で、「ああ、ぼくは大人になったな」と思った。

久しぶりに五泉に行きたい。キャバクラには、行かない。

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