ウラニーノ
はじめに 山岸さんの新曲「神様と東京ウォーク」をyoutubeで3回続けて聴いて、ずっと書きたかったことをまとめようと思い立ちました。山岸さんとは同い年。はじめてウラニーノの曲を聴いたときから不思議な共有感がありました。同じ時間線を生きている感覚。私の一方的な片思いのようなものかもしれませんが、出会ってから二十年近く、それは続いています。山岸さんも大好きな文学を媒体にしながら、私がウラニーノに何を見てきたのか、考えてみようと思います。 1、届かない場所への語りかけ ウ
「私、炭酸飲めないの」と言いながら、彼女は3杯目くらいのビールをおいしそうに飲んでいた。 初めてビールをおいしいと思った時はいつだったろうか。人が初めてビールを体験するのは、だいたい小さい頃の親戚の集まりと相場が決まっている。酔っ払った親戚のおじさんあたりにグラスにちょっと注いだビールを勧められて、舐めるように飲むのだ。そして「苦い!」と言って渋い顔をして、座の笑いを取る。日本全国で年間何万回とリピートされているであろう、お決まりの家族の微笑ましい光景である。ここで被験者と
傷彦さん、お元気でしょうか。傷彦さんが二月に二度目の脳の手術を受けてからまだ会えていませんが、調子はどうですか?あなたがお休みに入ったのを待っていたかのように新型コロナウィルスが流行り始め、世の中は大変なことになりました。終わりは見えませんが、「これはもしかしたら傷彦が帰ってくるタイミングで収束するのでは…」と片山さんと話しています。相変わらず持っていますね。 「また手術を受けることになったよ」と知らせてくれた時、やはりショックでした。でも今回は主治医の先生も心配ないと言っ
Twitterでいくつかテーマをいただいたので、そこから頂戴して書いてみようと思います。まず「朝ごはん」。 「朝ごはん」と言われていろいろ思いを巡らしていると、ある古い記憶と結びついた。ぼくには忘れられない朝ごはんがある。それは幼い頃におばあちゃんの家で食べた朝ごはんだ。 ぼくは新潟出身の両親の間に生まれ、幼少期は父の実家である新潟市内に暮らしていた。そこから車で小一時間ほど走った五泉市というところが、母の実家だった。単線の列車が走る長閑で小さな町で、水道水が驚く
エフエム高知にて毎週木曜日放送中のレギュラー番組「ウラニーノ青春スピーカー」、2020年3月12日の放送が山岸の編集ミスによりトークの途中で唐突に終了するという重大な事故が発生!パーソナリティー岡本さんのフォローにより事なきを得た(?)放送でしたが、お詫びに本来放送予定だった完全版をアップいたしました。誠に申し訳ございませんでした!エフエム高知さん、ラジコで全国で聞けるようになりました!ぜひ聞いてください!
無事にツアーファイナルも終わりました。で、書こうかどうしようか迷っていたんですが、書き残しておきます。 お正月にウラニーノHPにメールをいただきました。悲しいお知らせでした。よくライブに来てくれていたお客さん(Kさん)が、年末に亡くなったという報せでした。 Kさんはもうずいぶん前からウラニーノのライブに来てくれて、東京だけでなく地方もたくさん来てくれました。本当にライブハウスが好きな人で、いろんなバンドのライブに通っていました。ぼくも自分のライブではなく、見に行ったライブ
「ウラニーノ大感謝祭」というワンマンライブ。ワチャワチャしてとっ散らかるけど、最終的になんとなくまとまって終わってみたら謎の多幸感。そんな年末っぽいイベントにしようと思って昨年から始めました。というのは建前で、去年やってみたらたまたまそうなったので、今年もやってみようと。 小倉画伯、こんな立派なバックドロップを作成。 しかも確信犯的に「2019」を書かなかったと。これで来年も再来年も使えるわけです。それどころか「ウラニーノ」も入ってないので、会社やサークル等で「大感謝
ミュージックビデオ「中年花火」公開から1週間、たくさんの人に見ていただけて嬉しいです。少し長くなりますが、この作品について書いておきたいと思います。 この曲は2年前に作りました。作った時から映像化したいなぁとは漠然と思っていたのですが、あるきっかけがあって本格的に動き始めました。それは2018年の夏の終わり、旧友と久しぶりの再会を果たしたことでした。 大学の同級生のつとむくんと、当時彼を介して知り合った佐野くん。たまたま別件で久しぶりに3人で会うことになり、実に10年以上