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ウラニーノ「中年花火」MVについて

ミュージックビデオ「中年花火」公開から1週間、たくさんの人に見ていただけて嬉しいです。少し長くなりますが、この作品について書いておきたいと思います。

この曲は2年前に作りました。作った時から映像化したいなぁとは漠然と思っていたのですが、あるきっかけがあって本格的に動き始めました。それは2018年の夏の終わり、旧友と久しぶりの再会を果たしたことでした。

大学の同級生のつとむくんと、当時彼を介して知り合った佐野くん。たまたま別件で久しぶりに3人で会うことになり、実に10年以上の歳月を経ての再会となりました。待ち合わせた北千住の駅に現れた2人の姿を見た瞬間に、ぼくは完全に閃きました。「マーベラス!この2人で撮りたい!」と。おっさんを見てテンション上がるってのもかなり変態的ですが、2人はそれぞれの人生で着実に歳を重ね、実に味のあるいい具合のおっさんと化していたのであります。2人の醸し出すよく言えば渋さ、悪く言えばくたびれた感じが(失礼)、ぼくの中でこの作品の世界観にピタリと重なったのであります。

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文句なしのビジュアルです。これがMV「中年花火」の原点です。


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さて、次に一番大事な問題。誰に撮ってもらうか。ぼくは昔事務所が一緒だったASIAN2のフロントマンTWENTY"20"こと光雄さんに、これまた10年ぶりくらいに連絡をしました。光雄さんは当時から映像クリエイターとしての顔を持ち、共演した時や六本木で飲んだ時(謎にバブリーだった)に、「いつか撮らせてよ」と言ってくれてました。その言葉を10年以上覚えていたのですから、ぼくも執念深い男です。光雄さんが当時からウラニーノのよき理解者だったこと、そして単純にぼくがASIAN2のファンだったことも決め手でした。二つ返事で快諾してくれた光雄さん。監督が決まりました。

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監督すみません、写真拾ってきました。監督が出演した方がいいんじゃない?ってくらいかっこいいんですTWENTY"20"。余談ですがぼくがラップっぽいものに憧れて時々やっちゃうのはこの人の影響です。

さて、次は撮影場所。どこで撮るか。監督と相談して日本家屋的なロケーションで撮ろうということになり、最初は小倉家実家という線で進みました。しかし演出上、夜中に打ち上げ花火をぶっ放します。「小倉さんちの長男がこの歳になって急に非行に走っている」とご近所で噂になっては小倉家に迷惑がかかる。そこでぼくはまた10年ぶり、いや15年ぶりにある場所にコンタクトを取ります。

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埼玉県深谷市の円能寺。

ウラニーノにとって本当の意味で「聖地」なんです、ここ。このお寺の三男坊ミツハナさんがウラニーノのインディーズ時代のレコーディングエンジニアさんでして、レコーディング中に「お前らは修行が足りん」と言われたかどうかは忘れましたが、なぜかミツハナさんの実家のお寺で修行という名の合宿をさせてもらうことに。5日間ほど本堂で寝泊まりをし、朝は一応座禅を組み、昼はひたすら曲作り、夜は住職を交えて酒盛りと、果たしてこれは修行なのだろうか?という内容の楽しい合宿でした。

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円能寺にあった、合宿時の秘蔵写真(2004年)

久しぶりにミツハナさんに連絡をして、円能寺をロケ地に使わせてもらえないかとお願いしたところ、住職から「友引の日ならOK」という非常にお寺らしいスケジュールをいただきました。ロケ地が決まりました。

続いて監督からの提案は、「子供を出演させたい」というもの。ここが本作の肝でございました。おっさんはキャスティングできても子供はなかなかハードルが高い。ここでひとつの偶然、というか奇跡が。バンド仲間且つバイトの同僚という、文字通り公私共にお世話になっているtopazのイダパイセン(後輩)の実家が、なんと円能寺のすぐご近所。パイセンに相談したら、「ああ、じゃあ探してみまっす!」と爽やかな返事と共に、なんと地元の先輩のお子さんとそのお友達5人を、鮮やかにブッキングしてくれたのであります。

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今回のMV制作の功労者、topazイダパイセン(後輩)

窓口になってくれたパイセン(後輩)の先輩(ややこしい)が大変協力的で、スケジュール調整や撮影後の連絡など本当に親身になってくださり、大変お世話になりました。子供たちのシーンは、撮影している時点ですでに大人たちが泣いてしまうほど、奇跡のようなシーンの連続でございました。

撮影なんて言われたら子供たち緊張しちゃうかなと心配しましたが、

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元気すぎて大変でした。

そして喪服の女性の後ろ姿を撮りたいという要望にも、イダパイセンは自らの親戚の叔母さんをブッキングしてくれて、こちらも見事フィックス!こうしてキャストは揃いました。


あ!おっさんあと2人忘れてた!おっさん探さなきゃ!

…と言うとパパ活を始めた女子大生みたいですが、探さなくてもいたんです。最初から決まっていたかのような、完璧なキャストが。

「ミツハナさん、役者みたいでかっこいいですよね?出てくれません?」

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「…出てやるよ!」

そして、「MV撮影楽しそう〜見に行こうかな〜」と言っていたので、

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「伊藤くん、じゃあ出てよ」と。

この曲は追悼の歌です。在りし日の青春を歌った歌です。しかし、撮影当日様々なハプニングを乗り越え、大切な仲間のおっさんたちと力を合わせて作品を作り上げる時間は、ぼくにとってまさに青春そのものでした。大学時代〜バンド活動初期〜現在。ウラニーノが歩んできた18年の中でそれぞれの大切な時間を共に過ごした大切な仲間たちが、このタイミングで再びウラニーノのところに集まって、この作品を作り上げてくれました。この作品は、ウラニーノが歩んできた歴史そのものです。

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改めて、この作品に力を貸してくれたすべての人に、仲間たちに、観てくれた皆さんに、そしてこの曲を作らせてくれた、星になった「あいつ」に、心から感謝を。

ぼくらは今はメジャーのような宣伝費もありませんが、大切な人に「こんなのあるよ」とお薦めしていただけたら、それが何よりも力になります。ちょっとだけ力を貸してください。ぼくらも、この作品が一人でも多くの人に届くようにがんばろうと思います。「これがウラニーノなんです。18年やってきたんです」。そう胸を張って言える作品になりました。どうか、届きますように。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

ウラニーノ
山岸賢介


追記

監督が自身のサイトで紹介してくださっています。照明の森山さんもありがとうございました!
https://gnucreatives.com/?p=687






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