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映画『DUNE/デューン 砂の惑星』レビュー

【圧巻のビジョンがリンチ版を取り込んで傑作と思わせる】

 1985年3月の劇場公開時に観ているにも関わらず、いくら記憶をひっくり返しても、デヴィッド・リンチ監督による映画『デューン/砂の惑星』についてどういった感想を抱いたかが、まるで思い出せない。

 大好きだったポリスのスティングが出演していて、特徴的なデザインのボディスーツを着たスタイルで、手にナイフを持って決闘したシーンは何となく覚えていて、その顔立ちに相応しい悪役ぶりを見せて見せてくれたといった記憶はある。それから後に『ツイン・ピークス』でブレイクするカイル・マクラクランが演じているポール・アトレイデスが、砂虫(サンドワーム)の上に乗ってロデオみたいなことをしながら敵に攻撃を仕掛け、なぎ倒していくシーンがあったような記憶が浮かぶ程度だったりする。

 観る前には、SFの歴史に残るフランク・ハーバートの『デューン』が、いよいよ実写になって登場するという興奮があって、そしてあの『エレファントマン』のデヴィッド・リンチが監督をするといった期待があった。

 結果として、それらしい映画が観られたといった了解は得られたように思う。砂にまみれた星で繰り広げられる戦いがあって、それにヤツメウナギを巨大にしたような砂虫(サンドワーム)が絡んでくるといった、ぼんやりとつかんでいたストーリーなり世界観が、そのまま映像化されていた。

 決定的につまらなかったという記憶もないけれど、徹底的に面白かったといった印象にも乏しい映画だったリンチ版『デューン/砂の惑星』。そうした記憶を持って、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による『DUNE/デューン 砂の惑星』を観たことで、起こったのはヴィルヌーヴ監督によるスタイリッシュな砂の惑星の描写や、クールな登場人物たちによるドラマが、カイル・マクラクランやスティングが出演していたリンチ版と混ざり合って、リンチ版もとてもスタイリッシュでクールな傑作だったのではと思えてきたことだ。

 醜悪だけれどどっしりとした雰囲気をまとったハルコンネン男爵に、端正で体格も整ったカイル・マクラクラン演じるポール・アトレイデスが水を循環させるスーツに身を包み、フレメンと呼ばれる砂漠に暮らす民たちを率い、砂虫を駆って反攻に乗りだしアトレイデス家を追いやったハルコンネン男爵たちを討ち取る復讐譚が、しっかりと描かれた映画だったのではなかったか。そんな気持ちが浮かんでいる。

 それくらい、ヴィルヌーヴ版『DUNE/デューン 砂の惑星』は静かだけれど確実なディテールを持った映像によって、『デューン』という物語に綴られていた世界を描きあげていた。リンチ版の映像を塗り替えるというより取り込むようにして、砂の世界で起こる苛烈な闘争であり、過酷な生存のための競争をビジョンとして感じさせるものにしてしまった。

 どうしてだろう。考えるならヴィルヌーヴ版は記憶に強く残るシーンがあるという訳ではなく、心に突き刺さるドラマティックな展開があったとも言えないからかもしれない。ただ淡々と、小説の世界を、現実味を感じさせるルックによって巨大なスクリーンの上に再現し、観る人をそこに引きずり込んでのけた。そんな映画だった。

 ティモシー・シャラメという役者も、カイル・マクラクランほどの濃さを持っていないからだろうか、美青年としての印象は残しながらも強い意志をもって父親の復讐を誓い、アトレイデス家の再興を願い、フレメンの自立を画策するリーダーといった強烈な存在感をあまり示せていない。もちろん物語が未だ前半戦で、ようやくフレメンにポールが受け入れられたところで終わっているのも、印象の薄さに拍車をかけているところがある。

 ここでカイル・マクラクランと同じように、ティモシー・シャラメも砂虫の上に乗ってロデオのように砂上を駆け回り、それこそビームでも発射するようにして力を振るって向かってくるハルコンネン家の軍勢を蹴散らせば、強烈な印象をもたらしてくれたかもしれない。そうなる前に終わってしまった映画だけに、続く展開が描かれた時、前半でもたらされた淡泊といった印象がどう変わるかに、今から興味が浮かぶ。

 役者ではほかに、ヴィルヌーヴ版では剣士のダンカン・アイダホを演じたジェイソン・モモアが、ひところのスティーヴン・セガールのような濃さと強さを見せてくれて、リンチ版のスティングのように作品の上に存在を刻んだ気がする。役柄としてはいったんの退場となったものの、原作の上では手塚治虫の『火の鳥』に登場する猿田彦のように、歴史の証人ともなるキャラクターらしいので、後編があればさらに続編でも登場して活躍してくれるだろう。

 その像編が作られるかは、今作の入りにかかってくるだろうけれど、決して広く知られた訳ではない古典SF小説を、2時間半もの長大さで圧倒的なスペクタクルもないまま描いていながら、それなりの観客を集めていて、観て退屈したといった話になっていないことから、世界的に好評をもって受け入れられる気がする。その上で作られる後編こそが、決闘もあれば砂虫ロデオもあってもしかしたら超能力バトルもふんだんに描かれ、これぞ『デューン』だといった印象を改めて植え付けてくれるかもしれない。

 それによってようやく、リンチ版『デューン/砂の惑星』の太ったハルコンネン男爵が空中を飛び回り、スティングが外連味たっぷりの演技でカイル・マクラクランとバトルを演じ、そして砂虫のロデオをしながらポールが敵をなぎ倒していくビジョンこそが『デューン』であるというイメージを、塗り替えられるのだ。

 多分きっと。(タニグチリウイチ)


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