旅戯曲モロッコ編🇲🇦山奥にパスポートを置き忘れた話#3


「もしもああなたの愛した人がイスラム教徒だったら、
あなたもイスラム教徒になる?それともその恋は諦める?」

無事に2泊3日のサハラ砂漠ツアーから帰ってきたわたしは、
パスポートを取りにシェフシャウエンに向かった。
電車に乗っていると、隣に座ったモロッコ人の女性に話しかけられた。

「明らかに観光客だと分かる見た目のアジア人女性が、
どうして1人でこんな電車に乗ってるのか心配になったのよ!」

そう話す彼女にこれまでの経緯を説明した。
さっき会ったばかりのはずなのに、年上の友達とカフェに来た
ぐらいの雰囲気にまで打ち解けて、お互いのことを話した。
冒頭の問いはそのモロッコ人女性、モウナさんから投げかけられたもの。


年末にはクリスマスのイベントがあって、
除夜の鐘を聴いて年越しそばを食べる。
お正月には神社に初詣に行くけど、
親族の法事にはお寺からお坊さんが来てくれる。
日常的にお祈りをする習慣や、食べ物や衣服の制限はない。

強いて言えばうっすら仏教の国ではある気もするけど。
同じ仏教色が強いスリランカに行った時、
現地の人たちは殺生を嫌ってゴキブリさえも殺さなかった。
一方私たちは殺るよね、容赦無く。

改めて考えたらめちゃくちゃな気もするけど、
わたしは特定の宗教を深く信仰してはいない。
だからといって、神様がいないとも思ってはいない。
子供の頃にお腹が痛くて寝れない時に、
「神様お願い!たすけて…!」
なんて半泣きで願った夜もある。

きっとわたしは、いろんな宗教をベースにした行事や習慣が
生活に溶け込んだ世界に生きていて、その行事や習慣の数だけ
神様は無数に点在しているんじゃないかなって思ってる。
そんな前提がある上で、


「ねえ、モウナさん。
だからわたしは今までの人生で恋愛と宗教を結びつけて
考えた事なんてなかったよ。
例えば付き合った人がショートヘアが好きって言っても、
わたしがロングヘアでいたい気分なら、ショートヘアにはしないのよ。
だからわたしがどう思っても、あなたはあなたの好きなスタイルでいてね。とも思う。

だけど宗教となったらどうなるんだろう。
頑張って習慣を変えて、
形式的にその宗教のルールに従うことはできるかもしれない。
だけど本当の意味で信仰するのは難しいかもしれない。
その人を愛することは、その人が信仰する神も愛することになるの?
それとも信仰と愛は切り離して考えるもの?
だめだ。ぜんっぜんわかんないわ。」


わたしが知らない場所を旅するのが好きなのは、
1人旅なのに、こうして時々1人じゃなくなるから。
事前に計画を立てる段階では絶対に組み込めない想定外の出会いが、
わたしが知らない自分をあぶり出してくれる。

信じていた当たり前が音を立てて崩れていく。
世界は広いんだと思い知らされる。
こんな感覚を覚えさせてくれる時間が、
有名な観光地で過ごす時間よりも実は好きだったりして。

結局答えは出なかったけど、
わたしの中の当たり前がまた一つ崩れる音がした。

つづく


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