カテゴライズの話


先日とあるLGBTQに関するツイートを見ていた時に、引用リプや返信で「カテゴライズが複雑でわからない」「カテゴライズされてうれしい?」
「カテゴライズがあることで配慮しないといけないことが増えて大変、関わりづらくなる」という意見を見た。
どれも言いたいことはわかるし、私自身も一度は考えたことだった。
ここでは私なりのそれらの理由とそれに対する考えをまとめる。

■LGBTQのカテゴライズに興味を持った話
そもそもなぜLGBTQのカテゴライズに興味を持ったのか?
私は今までの人付き合いのなかで「他の人とは違うな」と思ったことがあった。
しかしそれ自体が自然なことだと長く思っていたために、具体的に何がどう違うのか説明することができなかった。
ただ大人になるにつれてその違いが少しずつ自分の中でやっと線引きのようなものができてきた。
そのうえでごく親しい人に話したり、その考えのもと接していくと「あなたの人付き合いは普通じゃない」「変だ」と言われたことがあった。
違いがあるとはわかっていたがそれを否定されるとは思ってはいなかったため、ショックを受けた。
そこで私は自分のこの人付き合いの仕方になにか名前があるのか、それはどんな名前で他とどんな違いがあって、どこが変なのか(または変じゃないのか)、どれだけの人が共感しているのか、といったことが知りたくなった。
とりあえず何かしらの名前があれば解決する問題もあるかもしれないし、第一自分自身が落ち着く気がした。
あと人への説明も楽になるかなと思ったりもした。
ただ用語もわからなければそれを表現する言葉が抽象的でも具体的でも思いつかない。
そのためたまたまツイッターで見つけたLGBTQのアカウントを眺めてそれらしいコラムや発信を待つのみだった。

■カテゴライズされたかもしれない話
ある日、私はいつも通りそのアカウントのツイートを眺めていた。
その中で何か自分の中に引っかかるコラムを見つけた。
読んでいくうちに今まで感じていた自分の人付き合いの経験や感覚に共感した。
それを読んで今までで一番答えに近い気がした。
ただ近い気がしただけで、正解だなとは思っていない。
名前があることと、似たような感覚を持つ人が存在すること、そのコラムの中ではその人は上手に向き合えるようになっていたこと、に私は救われ居場所らしいところを見つけた気がした。
ただ読み進めていくうちに複数のカテゴリーで共感している自分がいた。
つまりAという部分はaのカテゴリーに共感し、Bという部分はbというカテゴリーと共感し……といったようにカテゴリーをまたいでいるような存在なのではないかと思うようになった。

■カテゴリーをまたぐ、ということは
ただでさえ浸透していないカテゴリーワードなのにそれを複数個またいでいるように感じた。
自分は一番自分のことをわかっているようで、分かっていなかったんだと思った。
そしてその複雑であることを他人に伝えなければならなくなったとき、どうすればいいかわからなかった。
というか今もわかっていない。
正しく簡単に伝えるにはどうしたらいいのか、言葉を慎重に選ばないといけないなと思うようになった。
そして「人付き合い」も時と場合によっては我慢したり強く出たりと状況を判断して接していかなければならないなと思うようになった。

■それでも「カテゴライズされる」ということは
それでも「カテゴライズされる」ということで今まで分からなかったことや曖昧にしていた部分を明確にしてくれた。
明確になったからこそ自分に対する鮮明度が高まり、より自分が自分を大切にできるようになった気がした。
だから「カテゴライズされる」ということはたとえ複雑になったとしてもある程度は必要だと思う。
もちろん単純明快であればそれに越したことはない。
しかし人はその個体ごとに手足があり心臓があり脳がある。
意志も違うし経験してきたことやそこから感じ取り学ぶことも違う。
だからこそ単純明快にできない物事が生まれてしまう。
ただそれは本人が一番わかっていればいいと思うし、周囲も必要以上におびえたり構えたりする必要はないと思う。
そのカテゴリーすべてを知る必要もないし、許容しろとも思わない。
ただそういった存在があってもおかしくはないだろう、という可能性を残しておいてくれればいいと思う。
そして本当にそのカテゴライズに自分自身や周りにいる人や大切な人が直面したときに、その知識や可能性を「守る」ときに活かしてほしいなと思う。
カテゴライズは攻撃するものでもないし、過保護や過干渉にするものでもない。
守ることであると私は思う。

一方で、「カテゴライズとか面倒、私は私」だという意見もあるだろう。
私もその意見に同意である、すべてにカテゴライズはいらないと思う。
必要な時に必要な人がカテゴライズをうまく使えるようになれたらいいなと思う。

■余談ですが
ちなみに私は何のカテゴリーに引っかかった(気がした)のかというと
・ノンセクシュアル
・Aセクシュアル です。
私自身、まだしっかりと名乗るにはそのセクシュアルに対する理解と自分自身への理解が足りていない気がするために明言はしません。
しかし、なんとなく「近いものはあるなぁ」と親近感があることは事実です。

今回のnoteではセクシュアルをカテゴライズという表現をしましたが、書きながらその表現に疑問を持つこともありました。難しいですね、けれども難しいからと言って避けてはならないことだなとも考えました。
うまく言葉にできなくて申し訳ございません。いい表現を見つけることができたときにまたこの話題ができたらなと思います。

カテゴライズに関してはさらに差別と区別の話とかいろいろと考えをまとめたい関連事があります。それはまたどこかで……。

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