モーニングペーパー

通勤まで時間があったためこのページを書いている。起きた瞬間に一番創造性が高まるというからとりあえずページを全部埋めろという手法だった。やりたいことをやりなさいという本で紹介されていて、それを滝本竜彦も紹介していた記憶がある。自動筆記はもともと無意識的なものを引き出すものとしてシュウルレアリストとかブルトンとかがやっていた。バロウズもか。自己抑制と自己判断をなくせ! っていうのが自動筆記の効果で普段自分によってかかった規制をほどくのが重要になる。こうしちゃだめ、こういう風に書くのが常識、こういうのはよくない。そういったものを全部ごちゃまぜにして出してしまう。綺麗に整理なんてされてなくていい。綺麗に整理されているということは混沌したものから雑味をとっているわけだから、見えないけれど失われていくものがある。純度100%を求めるならそういう雑味も重要なのか?それとも完成度を高めたすえのものがいいのかはよくわからない。10分間書き続けるということを目標にこの文章を書いている。時間制限があるほうが文章は書ける。なぜ書いているのかよくわからなくなるが、別にわからなくたっていい。キーボードを叩いている音が気持ちいいとか。文章を書いているのは無から有を生み出す行為に最も近いものだとか考える。何かを手に入れるために書いているのか、それとも誰かに伝えたいために書いているのか。こういう風に書いている時全く他者というものは見えない。自分が知っている前提だけで文章を書いているから自分には十全に伝わるから、自分としては納得のある文章が書けている場合がある。自己満足文は気持ちいいというやつだ。そういう気持ちよさで吐き出していくことで自分の中のテーマや本当にしたいことが見つかるといいなぁなどと考えている。自分の文章はいままでのすべてでできていると考えると、すべての経験が愛おしく思える。そういう誇大妄想さえ許されているのが文章だ。

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