フリーライティング

とりあえずなんでも書けばいいのがフリーライティングの効用。なんでもかんでも評価されちゃったりして、簡単に書いたり出せなくなるのが現代の評価経済で、プロもごろごろ同一の場所に転がってるから、相対的に自分の不出来さも際立つ。
しかしだ、フリーライティングならただ何も考えずにバーっと書いているならば、それはまぁ思考の垂れ流しだし、大したこと書いてなくても仕方なくない?
と諦めがつくのでさらっと公開もできる。
文章を書くのって楽しい。なぜ書いてるのか忘れてたけど、楽しいってこと思い出した。誰かに話してるみたいな言葉が、こう書き連ねていくと、誰かの声みたいになるの面白いじゃん。こういうのを村上春樹はボイスって言ってる、一般的には文体とか言うんだろうけど。東京の生活史とか、スヴェトラーナ アレクシエーヴィチの作品のインタビュー集を読むのが好きだ。その人の喋り方を聞いているうちに人物の輪郭ができてくるのが好きだ。私は元々こういうふうに語るのが好きだったんだ。語っているのを読むのが好きだったんだ。だからすごい物語を読みたいと思いながら、ほんとはそんなものはどうでもよくて誰かが語っている言葉を聞きたかった。三人称に入り込むのが苦手なのはそれが語りではないからだ。一人称の語りに完全に一致すると視点人物にダイブしている気分になって没頭できる。舞城王太郎、滝本竜彦、のりしろゆうすけが好きだ。石川博品が好きだ。一人称の饒舌文体が好きだ。

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