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なぜ私は周りに流されない人間に育ったのか?私が受けた周りと同じでないことに慣れさせる教育法

こんにちは!Urakoです!

私は高校生の時から「日本の教育は同じような人間を大量生産するシステムである」と強く感じていた。これには多くの人が共感できることだろう。

小学生の頃持っていた好奇心や個性は年齢を重ねるに連れどんどん削がれていき、高校を卒業するまでには殆どの生徒が言われたことを言われたとおりにやり、敷かれたレールのとおりの人生を歩む常識人間になってしまっている。

しかし、そんな同質化傾向が強い日本の教育を受けてきたにもかかわらず「なぜ私は周りに流されない異質(いい意味で)な存在になれたのか?」私なりに考えたその理由をこの記事では紹介しようと思う。

結論、理由

結論から言うと、私が周りに流されない異質な存在になれた理由は、私が「みんなと違うことに慣れさせる教育」を受けたからだと思う。両親に聞いてみたが意図なく行っていたことらしい。

具体的にどういう事を受けたかというと、

流行りの靴を履かせなかったり、みんなが持ってるものを買ってあげなかったりすることである。

我が家の場合、経済的に困窮しており買う余裕がなかったということでもあるのだが、、、

私は、靴や服、縄跳びからリュックまで子供ウケの良い流行っているものではなく、本当に質の良いものを買ってもらっていた。

例えば、小学生の時周りの男の子は皆「俊足」を履いていた。足の早い子やクラスの人気者は必ずと言っていいほどに俊足に足を通し校庭を駆けていた。

いわずもがな、当時の私は俊足を両親にねだったのであるが、しかし買ってもらったのはエナメルで真っ赤っかのニューバランスである。

学校でそんな靴を履いている人など一人もいなかったわけで、クラスで村八分にされること、馬鹿にされることを、まだ一人でいる勇気と力のない小学生の私は恐れた。

しかし、私の予想とは裏腹に周りの友達は特に気にもとめず、あろうことか先生にいたっては褒めてくれたのである。

まだ、イエと学校だけが全世界だと思っている当時の私にとって周りと違うことが許されることはまさに「パラダイムシフト」であったのだ。

それ以来、私は次の靴もその次もそのニューバランスを買ってもらった。

いつしかそれが私の象徴になり、アイデンティティとなった、と同時に私は周りと違うことはだめなことではないと子供ながらに理解したのである。

他にも、上履きは必ず姉のお下がりで、稀にピンクの上履きを履かされたこともあった。その時、絵のうまかった父は当時私の好きだったウルトラマンとバルタン星人を描いてくれた。男が履くようなものでない異物から唯一無二の上履きに変えてくれたのであった。

これらの経験から私は唯一無二であること、周りと違うことに慣れ、またそれは決して駄目なことではないことを理解し、自分の中で周りに流されない確固たる自分を形成していった。

加えて、「本当にいいもの」、「本質的に良いもの」が必ずしも流行っていいるものとは限らないことも徐々に理解していった。

もちろん、この教育法が必ずしもすべての人に適するということはないだろうし、これだけが私が異質になり得た理由ではないと思う。

しかし、私の知る限りでは小さい頃から必ず周りと同じものを身につけてきた人たちは、みんな今好きなこともなくバイトして遊んで飲んでを繰り返すただの大学生になっている。

まとめ

私が異質な人間になれたのは、周りと同じでないことになれたからである。


これはすべての人に当てはまるとは限らないですが、一つの教育法として参考に、また何かの役に立てれば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。もし、ご自身で体験された他の教育法があればコメント欄で共有していただけると幸いです。

また、その他感想お待ちしてます。

~Urako~

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