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「わたくしは猫かしら」(元にした作品:夏目漱石『吾輩は猫である』)

 猫?わたくしは女神で天使でしょ。毎日そう呼ばれてるもの。わたくしの美しい三色の毛並みを撫でながら下僕がこう言うの。
「まるで上質の鼈甲べっこうのよう」
 そりゃあもうウットリと目を細めながら。哀れねェ、このツルンツルンの生き物。早くお前の肉座布団を寄越しなさいよ、全く気が利かないわ。え?出かけるの?
 まぁぁぁ・・・呆れちゃう。わたくしを愛でるより大事なことがこの世の何処にあるって言うの。仕方がないわね、行ってもいいけどその前に・・あら、またおんなじおやつ?芸が無いわねぇ。これさえ出せば喜ぶって思ってるんだから、全く。ペロペロペロ・・
 あら、行っちゃった。
 
 わたくし?名前は何かしら。昔はカワイイってのが名前だと思っていたの。だってそう呼ばれるんですもの。でも色々呼ばれ過ぎて分かんなくなっちゃった。あ、あれは嫌だったわ。
「シッシッ!失せろこの野良猫!」
って下品で臭い生き物がわたくしを追っ払ったのよ。失礼ねぇ、頭頂部までツルンツルンで胴体はダルンダルンの見るも哀れな生き物だったわ。
 そう、わたくし昔はヤンチャでね。アウトドアライフを満喫してたの。
 でもある日いきなり人間に捕まって、ケージとかいう網籠に入れられて、あっちこっち連れ回されて。
 まぁなんとかかんとか、今の住処に落ち着いた訳。ふぅ。
 
 わたくし語学は堪能ですのよ。人間の言葉も分かりますの。
 ホゴダンタイとかいう人間たちは同族が入った網籠をたくさん持っていたわ。
 ある日人間のつがいとメスの子どもが来てね。子どもがわたくしを一目見て
「カワイイ!」
ってお決まりのセリフ。他の網籠に目もくれずまっしぐら。ま、褒めてあげてもいいわ。見る目があるわねって。
 そうしてわたくしは暖かいマンションとかいう住処を手に入れたの。
 三匹の下僕付きでね。
 
 それがもう、大変。
 下僕どもがわたくしをチヤホヤチヤホヤと五月蝿くって。
 寝てもカワイイ、起きてもカワイイ、わぁ抱っこさせてくれたぁ(座布団にしただけよ)、とね。
 観察してると、オスメスのつがいは毎朝出掛けてね。子どもはずっとわたくしと一緒。アウトドア時代の知見では、この大きさの子どもは毎日ガッコウとやらに行く筈だけど、この個体は行ってなかったわ。わたくしを愛でるのが仕事だったようね。
 そんな暮らしは2年続いたかしら。そのうち子どもも朝出掛けるようになったわ。セイフクっていう偽物の毛皮を着てね。ツルンツルン達は可哀想ねぇ、偽の毛皮を毎日着るんだから。
 ああそう、あなたご存知?人間の謎の生態。あれ、何かしら。わたくしのお腹に顔を埋めて深呼吸するの。
 顔を上げるとウットリして、
「いい匂い〜」
って。ど変態ね。自分が同じことされたらどう思うって話。
 ま、あんまり嬉しそうだからやらせてあげるわ。
 優しいでしょ?
 
 子どもは大きくなって、巣立って行ったと思ったらたまには帰って来るわ。その度に歓声を上げて飛び掛かるように襲って来るから、逃げるのが大変。捕まったらもみくちゃにされちゃうの。
 カワイイって罪ね!
 
 下僕たちを観察しているとまぁまぁ面白いわ。
 大きなオスは朝出かけると一番遅く帰って来るわね。こいつは
「ペットを飼うのは初めてだ」
とか言って(ペットって何かしら)わたくしを珍しそうに見るの。ナデナデも抱っこも下手っぴぃで、ちょっと爪を立てて教育的指導をしただけでビビってるの。ふん、舐めんじゃないわよ。
 大きなメスは早く起きて出かけて、帰って来ると遅くまでチョコマカと動いてるわ。ご飯やおやつを用意してくれるから、一番役に立つわね。
 でもこいつ、一番の変態よ。あの・・教えるのもはばかられるけど・・コホン。わたくしのアレ。その・・体からお砂のトイレに出すアレをね・・・袋に入れて集めてるのーーーー!信じられない!
 わたくし、どう反応すればいいのかしら・・・
 メスの子どもは無害ね。ひたすらわたくしを愛でて崇拝してる。
 と、こんな様子。ただ、オスと子どもは気づいていないのかしら。大きなメスが少しずつ痩せていって、よく寝るようになったわ。わたくし観察力はある方ですの。良くない兆候ね。雲行きが怪しいわ・・・
 
「なぁ、猫ってなんで天井の隅っこをじーっと見るんだろう」
「あれは、人間に聞こえない音を聞いてるんですって」
 オスの質問にメスが答えた。ふん、違うわよ。人間に見えないものを見ているに決まってるじゃないの。
 深夜、わたくしは天井の黒い靄に話しかけたわ。
『ちょいと、あのメスのお迎え?』
<まだ下見ですがね>
『あいつ便利なのよ。どうにかなんない?』
<いやぁ。こちとらも雇われの身なんで>
『フン。とにかくまだなんでしょ。辛気臭いから姿をお消し』
 シャーッと威嚇すると黒い靄は消えたわ。
 靄は消せたけど、決まっていることはわたくしにも変えられない。
 大きなメスは居なくなった。 
 
 ・・・この辺の話は、いくら下僕のことでも面白く無いわねェ。
 大きなオスとメスの子どもが黒い服を着てね。
 大きなメスは写真立ての中に入っちゃった。あのお線香ってのの匂いは苦手だけど、下僕どものあんな顔を見ちゃあね。特にオスときたら一気にしょぼくれて老け込んじゃった。わたくし賢いから、ちょっとは人間の情も理解出来るわ。
 だから、最初は大目に見てあげたんだけど。
 困ったことになっちゃったのよ。
 家の中がどんどん荒れていくの。わたくしのベッドは毛だらけで埃が溜まるし、アレを集めてくれないからおトイレは汚れるし。カリカリご飯が出てくるマシーンは空っぽになるし。

 ああもう!
 わたくしは天井に話しかけたわ。
『ねぇチョイと!そこから見てる位なら片付けなさいよ!』
『あ、あら。やっぱり見えるんですか』
『見えるから言ってんでしょ。全く、アンタが動かないと家ン中滅茶苦茶じゃない!』
『で、でも・・・』
 隅っこから白い靄がヒョロリと降りてきた。
『やりたくっても道具に触れないんです』
 わたくしは苛々しながら教えてやったわ。
『近頃の人間は幽霊の成り方も知らないの?意識を集中して生前の姿を思い出しなさい』
 そう、白い靄はメスの魂よ。
 だけど、わたくしがどんなに教えても正しい幽霊には成れなくて。
『使えないわねぇ・・・』
『すみません』
 靄と幽霊の中間位の変な塊になっちゃったわ。
 きちんと幽霊に成れたら現世の道具にも触れるのに。
『全く。子どももオスも霊感ゼロで、声も聞こえないみたいだし。せっかくアンタの魂を死神から奪い返したのに』
『あれは凄かったです・・・猫ってそんなに偉いんですか』
『ハン?』
 わたくしが優雅に尻尾を振ると先がパカリと割れた。
『アンタは火車も知らないのかい。罪人を地獄へ運ぶ火の車、または墓場の死体を喰らう妖怪のことなんだけどね。あれはアタシら猫の一族さ。アタシらはあの世との縁は深いんだ、覚えときな』
 やだわ、ちょっと地金が出ちゃった。ウフフ。
『流石に閻魔様に言いつけられると困るけど、チョイと脅しておいたから。それはいいんだけど、さて困った。アンタらがこうも使えないとは。となると・・・』
 メスの変な塊をジロリと見る。
『ところでアンタ、猫に九生有りって言葉を知ってるかい』
 塊は首を横に振った(無いけどね、首)。
『普通は猫はしぶといって意味で使われるんだけど、違う意味もあるのさ。チョイとアンタ、今の変な塊から魂に戻ってご覧な。そして念じて、小さく小さく小さい珠にお成り』
 塊は魂に、そして珠になるとコロンと床に転がった。
『あれ猫様、何を』
 ごっくん。
 珠をひと飲み。
『猫はね、胎内に魂を九つまで入れられるんだ。アンタはあたしに溶けちまいな』
『あ〜〜〜れ〜〜〜・・・・』
 
「にゃあ!にゃあ!」
「なんだよ、今探し物を。あ、ここか!俺のスマホ」
「にゃーーーーっ!」
「こら皿をひっくり返すな!あ、餌が切れてるな」
 ペシ!
「尻尾で叩くなって。今度は何だ・・うん?臭いな、トイレか。掃除するよ。猫砂を買わなきゃな」
 カリカリカリカリ。
「ぎゃーー、押入れの襖で爪を研ぐな!ってああ、中に猫砂があった」
 はぁ、はぁ。
 
『チョイとアンタ!生前からオスを躾けておきなさいよ、何も出来ないじゃない!』
 わたくしは胎内に話し掛ける。
『す、すみません。仕事は出来る人なんですが』
『生活面はダメダメじゃないの』
『本当にすみません。あの、ところでお猫様。今朝も例のアレを』
『はぁ、めんどくっさ』
 毎朝のルーティーン。メスの写真の前でしょぼくれるオスの膝にチョンと手を乗せ
「にゃん」
と可愛く見上げる。
 オスが泣きべそ顔を和らげてわたくしを撫でる。
『ちょいと。なんでわたくしがこいつのメンタルケアまでしなきゃなのよ』
『でも、この人が落ち込み続けて仕事が出来なくなったら、このマンションにも住めない訳で・・』
 全く、面倒くさい魂を呑んじゃったわ。
 オスは毎朝メスの写真を見つめてお経を上げる。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 そんなことしたって、あんたのメスはここに居るわよ、魂だけど。
 メスの代役をするようになってから、オスが感心してこう言うの。
「お前は本当に賢い猫だなぁ」
 
 猫?わたくしは天使で女神でしょ。
 そして火車の一族、おまけに今となっては九分の一はアンタの嫁よ。
 まぁったく、世話が焼けるわ。

「にゃあ」

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