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「夢見るような恋をして」(武者小路実篤「おめでたき人」の二次創作)

*第7回book shorts 1月期に掲載。

 僕は彼女を見ているだけで幸せ。そう、見ているだけで。

 彼女との出会いは中学生の頃。歌動画を配信していた彼女に、僕はひと目で恋をした。生まれた時から地味キャラです、って人生を送っていた僕に突然訪れた初恋。スマホを見ているだけの、僕の恋。
 僕は彼女の私生活を想像する。どんな学校に通ってるんだろう。朝食は何を食べるのかな。放課後は友達と寄り道して、スイーツでも食べるのかな。そして太っちゃったかなって心配しながら、お風呂の前に体重計に乗るのかな。
 僕の見ているだけの恋は高校になってからも続いた。彼女の視聴者が増えるのが嬉しいような悲しいような。僕の心配は当たった。事務所からスカウトされて彼女はデビュー。彼女はスマホを飛び出して、みんなの彼女になってしまった。 
 伸びやかに成長した彼女の体がグラビアを飾った時は何てことしてくれたんだ!とまるで父親のように怒ったけれど、勿論違う目で見る僕もいる。男だもの、仕方ない。付き合ったらこのバディに触れられるのかなぁなんて思ってしまう。
 僕は彼女のS N Sにメッセージを送る。こんなの事務所の人間がやってんだろなと思いながら。
 握手会に行く。僕の時だけコンマ数秒握手が長い気がして有頂天になる。ライブに行く。目が合った気がして有頂天になる。その幸せな勘違いの為に、一体幾ら使っただろう。親から貰った昼食代を節約しながらグッズを買った。早く社会人になりたい。稼いで彼女に貢ぎたい。
 リアルな彼女を作ろうなんて思わない、だって僕には彼女が居るから。その辺のつまらない女の子の機嫌を取ってやっと手を握る位なら、思う存分彼女との妄想に浸りたい。妄想デートなら何百回もしている。色んなパターンをシミュレート済みだ。日曜日、電車に乗ったら偶然彼女が居て、とか。痴漢に遭っている彼女を僕が助けて付き合うことになって、とか。あるいは握手会の後でそっと手を開いたら、連絡先を書いたメモが入ってたとか。何かのきっかけで彼女のS N Sが炎上して、落ち込む彼女を慰めるコメント入れたらメッセージが届くとか。妄想デートの中の彼女との会話、夏は水着に浴衣にキャミソール。冬はお揃いの手袋、バレンタインデーには忙しいスケジュールの合間を縫って彼女が手作りしたチョコレート。妄想最高。
 彼女が恋愛ドラマに出るとする。キスシーンがあったとする。その後彼女が僕に言うんだ。
「あれね、相手があなたと思って演技したの・・・」
「そうなんだ。頑張ったね」
「あのね。演技じゃないの、したいな・・・」
とかさ!何度でも言う妄想最高。きっと毎日芸能人にばっかり囲まれてると、僕みたいな地味な一般人が新鮮だったりするんだよ。

 実は彼女との出会いを求めて、普段立ち寄る先を突き止めようとしたことはある。目撃情報や勝手に撮られた画像を検索して、家はどの辺かなとか。うまくいかなかった。でも突き止めたとしてもなぁ。素顔の彼女が嫌な子だったらどうすんだ。やだキモいとか言われたら泣いちゃうよ。夢は夢のままがいいのかな。
 時々は浮気もした。他のアイドルや、稀にだけどリアルに身の回りに居る女の子に目が行くこともあった。でも、彼女は初恋だからさ。初めて好きになった対象だから、やっぱり彼女に戻っちゃうんだよな。
 ただ最近気になるのは、彼女が段々大人な女性になってきたってこと。あ、気づいたら僕も大学生か。サークル?コンパ?行ってもいいけど、どうせ僕なんて・・・でももし、彼女にそっくりな女の子が居たなら。うん、やっぱり居ないな・・・中学高校大学と彼女は出来なかった。彼女が居るからいいやと思っていた。

 社会人になって仕事が忙しくなると、彼女のことを考える時間が少なくなっていった。仕事で接するうちに女性にも慣れた。裏の顔が見えたり幻滅することもあったけれど、そんなの男もお互い様だ。
 仕事で会う女性は皆しっかりしている。少なくともそう見える。比べるとアイドルの彼女は子どもっぽい。そう振る舞うのが彼女の仕事ではあるけれど。アイドルは偶像って意味だよな確か。そうか、見ている分には楽しい。そういうものか。一歩引いて彼女を観察してみると、女優やアーティストにステップアップするには何か物足りない気がする。十代の頃は広告に出まくっていたのに最近は露出が減った。

 あれ、そう言えば・・・

 俺は気づいた。社会人になって稼いだら彼女に貢ぎたいと思っていたが、就職して以来何のグッズも買っていないしイベントにも参加していない。実家を出て一人暮らしを始めたら色々と物入りで、金銭的な余裕が無かった。仕事を覚えるのに必死で、彼女の妄想に浸る精神的余裕も無かった。いや違うな。
(そうか。俺はいつの間にか彼女を卒業してたのか)
 実家の俺の部屋は物置になっていると母親が言っていた。その押し入れに埋まっている、彼女のグッズを詰めた俺の封印箱。あれ、どうにかしないとな。
 彼女には申し訳ないが、今までありがとう。地味な俺の地味な少年時代に咲いた一輪の花。
 俺はずっと夢を見ていた。彼女という存在に女性への憧れを全て背負わせて、都合の良い夢を見続けていた。社会に出て少しは分かったつもりだ。男が夢見る女性は所詮幻想なんだって。
 俺はずっと夢を見ていた・・・俺は、目覚めた。

「あ、目ぇ覚めた?」
「痛っ」
 身動きをすると頭に痛みが走った。側に立っていた男の人が動くな、と手で制止する。
「頭のケーブルを外すまで動かないで。最初にそう言ったでしょう。忘れちゃったかな」
「え、何・・?」
 体がだるく頭はぼんやりとしている。男は構わず話し続けた。
「十年分のデータを2時間のダイジェストで見たから疲れたでしょ。まぁこれマイルドな方だからね。ガチのドルオタのデータだともっと重いよ。熱量が違うから」
「あの、何の話だか」
「あぁやっぱり忘れてる。君は今、頭に直でケーブル繋いで夢を見てたの。アイドルにハマったファンのデータの平均値をね。十年ハマって健全に社会復帰。割と楽しかったでしょう。目覚めも良い筈だけど」
 訳が分からない。
「あの、何のためにそんな」
「仕事だよ、仕事」
 頭をゆっくりと回転させる。アイドル育成ゲームの制作会社とかそんな感じだろうか。え、ちょっと待て。
「あのっ、じゃあアイドルのミキュミキュって夢のキャラなんですか?」
 俺の十年の恋・・・男は呆れた顔で俺を見下ろした。
「やばいな。頭大丈夫?」鏡を差し出す。
「え!?」
「自分のことじゃん。ホント大丈夫?ミキュちゃん」

 ・・・えーっと・・・

「ケーブル外したから起きていいよ」
 そう言われ、俺はゆっくりとベッドから体を起こす。俺にくっついてるしなやかな手足と柔らかな胸。鏡の中には見慣れた童顔が。
「ミキュミキュ?」
「もーしっかりしてよー。ちゃんと説明したでしょ。アイドル路線が落ち目だから今後どう売り出そうかって話で、君の従来のファンの心理を分析しようって。分かった?君が十代だった頃のファンはもう離れていってんの。いつまでも昔の可愛い路線じゃダメなんだって。スタイルはいいんだから濡れ場で体張るとか、何かしらニッチな知識付けるとか芸風変えてかないとさぁ。どうよ、男目線で見た自分の市場価値、ちょっとは分かった?」
 呆然と鏡の中を見る。確かにこれはアイドルのミキュミキュ。いやもう二十代だけど。
「えーっとつまり今までのあたしは、夢見る十代の少年の妄想彼女?」
 脳内をフル回転。思い出せ、夢の中の俺。今の俺が好きになるとしたら。
「その世代がさぁ、今は社会人になって二、三年ってとこよね。あのタイプが惹かれるのはちょっと知的でちょいセクシー、自立しているけど困っていたら助けてあげたい、新人の女子アナみたいな感じよ。いきなりエロに振らない方がいいし、おバカキャラも違うわね」
 隣で男がうんうんと頷く。思い出した、こいつマネージャーだわ。あたしは長い髪をかき上げた。
「このふわふわパーマやめてストレートにしましょう。芸名も変えて。事務所に帰って作戦練らなきゃ。昔のファンを掘り起こして新規のファンを掴んで、男どもに夢と希望を与えて金を搾り取るわよ。どうせあたしなんて賞味期限短いんだから」
「よく言ったミキュちゃん」
 マネージャーのサムズアップ。
「心配してたんだよー、君がいつまでも夢見る少女のようで。もう大丈夫だね」「あら、夢見る少年は嫌いじゃないわよ。見ているだけで恋心を募らせるなんて可愛いじゃない。いいコだったわ、実在するなら会ってもいいわね。成長してお金持ちになってるとか」
「あっはっは、そう都合良く行かないさ。まぁお仕事頑張ろうよ、君ならいい人捕まえられるって」
 ミキュミキュはピョンとベッドから飛び降りて、軽やかにヒールで闊歩する。後ろ姿には自分を商品と割り切った覚悟とプライドが輝いていた。純真無垢なアイドルはもう居ない。
 マネージャーはV Rサービスセンターの会計をする。
「データの入ったチップはお持ち帰りされますか?」
 受付の女性が訊いた。
「いや、処分で」
 女性がカウンターに設置されたディスポーザーにチップを放り込むと、小さな破砕音がした。
「待ってよミキュちゃん、タクシー呼ぶから」
 地味な風貌のマネージャーが彼女の後を追う。一瞬だけ振り返る。破砕音が胸に響く。

 さよなら俺の十年の恋。


                           (了)

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