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「many happy returns of the day」(佐藤春夫「或る女の幻想」の二次創作)



「あのねぇ、遊園地行きたいの。あとピクニックも。みんなでママの作ったお弁当食べたいの」
「楽しそうね。でも、パパのお仕事が」
「だいじょうぶ。ちちんぷいぷい!ほらね」
「まあ、パパのお仕事がお休みになったわ。じゃあみんなで行きましょうね」
「あたしお弁当作るのお手伝いするー!」
 うふふふ・・・何がいい?サンドイッチ?おにぎり?両方!あらあら、両方ね・・・
〈ザザッ〉
「ハッピーバースデー、トゥーユゥー、ハッピーバースデー、トゥーユゥー」
「美優ちゃん、お歌はママ達が歌うのよ。美優ちゃんのお誕生日だもの」
「六歳おめでとう美優。来年は小学生だなぁ」
「ランドセルは何色がいいかしらね」
「みんなで買いに行こうね!その後はみんなでご飯食べるの。あとね、あとね」
「早く火を消せよ美優。蝋燭が溶けちゃうだろ」
「はぁいお兄ちゃん。ふー!」
「消えてないじゃん。俺がふーしようか」
「だぁめ、美優がするの」
 うふふ、あはははは・・・
〈ザザッ〉
 夢の中の少女は踊り続ける。月夜のメリーゴーラウンドのように回り続ける。目眩く、目眩く・・・少女は髪を靡かせて飛び跳ねる。幾つもの優しい手が伸びて、この宝物を守ろうとする。
「・・美優ちゃん!」
 幻が破れた。
 女性がベッドに横たわり、その手は宙を抱いていた。指の隙間から夢が逃げてゆく。女性は目を覆うていたゴーグルを外した。隠れていた瞳から泉のように涙が溢れ枕を濡らした。
 寝室のドアが開き、一人の男性が入って来た。女性を苦々しく見る。
「また夢を見ていたのか」
 女性は答えない。
「もうやめなさい。幻想投影機は暫く私が預かる」
「やめて!」
 女性は恐ろしい勢いでベッドから跳ね起きた。
「私から美優を奪わないで」
 ゴーグルを抱きかかえる。乱れた髪の間から夫を睨み、
「貴方はいつもそう。私たちのことなんてどうでもいいんだわ。美優が何を夢見てたと思う?パパとママとお兄ちゃんと、楽しく一緒に遊ぶ休日よ。そんな何処にでもある幸せがあの子には無かった。平日は仕事、週末は仕事仲間とのお付き合い。お誕生日だって、家族が揃ったことなんて無かった。あの子は・・可哀想なあの子はこんな機械で家族の団欒の夢を見ていたのよ。たった六歳の子が・・」
 ベッドの脇のテーブルは少女の写真と弔いの花で埋め尽くされている。
 夫はベッドの隅に腰掛ける。
「そんな機械を与えるんじゃなかったな」
「そういう問題じゃないわ。出て行って・・私と美優を二人きりにして」
 夫は苦い顔のまま立ち上がった。
「また、紅茶しか飲んでいないんだな。食事を取らないなら栄養剤だけでも飲め。これでも、私はお前の体を心配して」
 夫の言葉は届かなかった。妻はベッドに潜り込みゴーグルを装着していた。

「・・・様。旦那様・・・」
 遠くからの呼び掛けに男はやっと気づいた。
「・・ああ、君か・・・」
 メイドが静かに歩み寄る。
「朝の珈琲をお持ちしました」
 メイドは主人に珈琲を差し出し、ベッドの脇のテーブルに紅茶を置いた。テーブルは女性の写真と弔いの花で埋め尽くされている。主人はゴーグルを外し、指先で目頭を揉んだ。
「良い思い出だけを見ればいいんだが・・結局は最後に会った場面で終わる。あの時仕事に行かずに、家に留まっていれば」
「旦那様のせいではありません。家に居た私どもの方こそ」
「君らを責めるつもりはないんだ。あれは体が弱かったからな。心も・・・」
 主人は珈琲を啜る。寝る時も外さない腕時計を見て、
「朝食は書斎に運んでくれ。書類に目を通してから会社に行く。迎えの車は定時でいい」
 感傷を振り切ろうとする主人にメイドが言った。
「旦那様。もう、奥様の夢をご覧になるのはおやめください」
「何だ急に」
 主人は驚いた顔でメイドを見た。
「奥様は素晴らしい方でした。美しくてお優しくて。けれど最後に過ちを犯した。貴方を夢に引き摺り込んだ」
「おい、私にそんな口を」
「言わせてください、最後ですから」
「ああそうか。今日で君は退職だったな。しかし妻を悪く言うな」
「悪く・・でも事実です。居もしない娘の夢を作り上げて心を病んでしまわれた」
「女の子が欲しいと言い続けていたんだ。だから私は」
「幻想投影機を贈った。それが誤りだったんです」
「生意気を言うな!」
「こんな物があるから!」
 メイドは幻想投影機を掴んで床に叩きつけた。
「何をする!」
 慌てた主人はベッドから転がり落ちた。壊れた機械の破片を拾いながら
「な、何を・・ああ。修理に出さねば。データさえ無事なら何とかなる」
「修理は出来ませんよ。十年前の機械ですから」
 主人は立ち上がろうとして足が縺れた。テーブルの妻の写真を見る。若々しく髪豊かで、優しく微笑む妻。その写真立のガラスに映る白髪混じりの自分の姿。
「もういい加減、夢と仕事の往復でご自分を誤魔化すのはおやめ下さい」
 主人は悄然とベッドの隅に腰掛けた。枕の方を見る。まるでそこに妻が横たわっているように。
「私の家は貧しかった」
 ぽつりと言った。
「家族には何不自由無い暮らしをさせようと頑張ってきた。それで皆満足だと思っていた」
「そういうご自身の心の内を、お話しになればよかったのです」
「男が弱みを見せられるか」
「そんな時代じゃございませんよ」
「時代か・・」
 壊れた機械をテーブルに乗せた。
「それともう一つ」とメイドが言った。
「坊っちゃまと向き合って下さい」
 主人は痛い所を突かれた顔をした。
「あれは私を嫌っている。何を今更」
「大切な人と話せる機会というのは、とても少ないものなのです。お願いです、坊っちゃまが家を出られる前に一度だけでも」
 主人は改めてメイドの顔を見た。自分と同じ距離で老いてきたその顔を。妻が病に臥した時息子はまだ赤ん坊だった。双方の為に雇った人間だが、こんなに長く仕えてくれるとは思わなかった。
「私より君の方が息子のことを分かっているだろうに。今更私など」
「旦那様を待っていらっしゃいます。父親から歩み寄ってくれる時を、ずっと待っていらっしゃるんです」
 その熱心さは最早他人のものとは思えなかった。部屋の電話が鳴り迎えの車の到着を知らせた。主人は受話器を手に少し考え、
「悪いが帰ってもらえ。急用が出来た。社には私から別に連絡を入れておく」
 一本の電話を入れてメイドに向き合った。
「有難う」と一言。そして息子の部屋へ向かった。
 メイドは主人を見送ったままの姿勢で暫く佇んでいた。やがていつもと変わらぬ動作でベッドのシーツを取り替え部屋を出ようとした。その前に一度だけ、畳んだシーツをそっと撫でた。疲れた人の背中を労るのと同じ優しい仕草だった。唇がさようなら、と仄かに呟いた。

 ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・
「先生、記憶画像撮れましたか」
「撮れたよ。割と鮮明に」
 ベッドには老婆が横たわり、頭を機械が覆い配線が伸びている。
「身元確認の為にこの装置を使うなんて。今時個人識別チップが入ってない人なんて居るんですね」
「この年代の人だと珍しくないよ」
「今はチップが入ってないと出生届が受理されませんからね。身元は分かりましたか」
「私は、たま子さんと呼んでいた」
「先生?」
 看護師が顔を上げた。
「本当は顔を見た時に分かっていた。面影があったから。うちに居たお手伝いさんでね。彼女が父と私を和解させてくれた。彼女が居なかったら私は自暴自棄のまま留学先で朽ち果てていたかも知れない」
 医師は長い溜息をついた。
「こんな、身元不明の遺体として再会するなんて」
「せ、先生あの・・聞かなかったことにしますね。本当なら身元が分かった対象にこの装置を使うのは違法ですよ。先生ならご存知でしょう。何故」
「私は、彼女が実の母親じゃないかと疑いを持っていた」
 看護師は黙った。
「うちの親は政略結婚みたいなものでね。子どもの私から見て、仲の良い夫婦には見えなかった。内に篭りがちな母と家に居ない父と。たま子さんの方が余程父と親しく見えて」
 医師は笑った。
「違ったよ。あれでも父は母を愛していたらしい。六年間も夢と現を彷徨い続けていた母をね」
「それで、この・・たま子さんはどうします」
「確か身寄りが無い筈なんだ。私が弔わせてもらうよ。どうだいたま子さん、また親父達と一緒の墓だが、いいかな」
 医師はそっと遺体の手を握った。

 カチリとタイマーが切れた。
「教授、時間制限です。起きてください」
 教授と呼ばれた女性が眩しそうに目を開けた。
「ふぅ・・」
「お疲れ様です。珈琲淹れますよ」
「有難う。犯罪心理学も体力勝負ね。深層へ潜ると疲れるわ」
「動機は掴めそうですか」
「まだよ。『少女』『母親』『父親』『医師及び少女の兄』。凄まじい想像力ね」
「途中で『メイド』を介したのは何か意味があるんでしょうか」
「分からない。でも惜しいわ。IQもずば抜けて高い。きちんと教育を受けていればひと角の人間に成れたでしょうね」
「ネグレクトを受けてたんですよね」
「ええ。ゴミ捨て場で拾ったデバイスひとつが心の拠り所だった。何のガードも掛かっていない生肉のような情報を無制限に浴び続けて膨大な知識を得、精神の均衡を失った。結果があの無差別殺人。こんな、六歳の少女が」
 教授と助手の見守る中、研究室のベッドに一人の少女が横たわっている。
「夢で現実との折り合いを付けてたんでしょう。自分には本当はちゃんとした家族が居るけど、事情があってその一員には入れない。じゃあ、その事情は何かという壁に当たって、夢に夢を重ねていった。それが何処かで破綻したのね」
 助手が差し出した珈琲の香りを嗅ぐ。現実へ戻ろうとするように。
「夢の端々に彼女の意識が垣間見えるの。誰かに愛されたい、認められたい、誰かの役に立ちたい・・悲しいわね」
 助手が冷蔵庫を開け、
「疲れた時は甘いものですよ」とケーキを差し出した。教授はそれも悲しそうに見る。
「この子は、お誕生日をお祝いされたことはあったのかしら・・」
 甘い匂いか、それとも二人の会話が彼女の意識を刺激したのか。少女は唇を窄め、幸せそうな表情で、ふー・・・と。夢の中の蝋燭を吹き消した。

「あら、まだ帰らないの?」
 教授が着替えて研究室を後にしようとすると、助手がパソコンを開く所だった。
「ええ、レポート書き足してから帰ります」
 教授が心配そうに見る。
「貴方大丈夫?最近眠れてる?」
「え?」
「この研究してると不眠症になる人多いのよ。夢と現実が混ざるのを恐れるみたいに」
「僕は大丈夫ですよ。すぐに帰りますからご心配なく」
 教授を見送り、助手はもう一度コーヒーメーカーをセットする。
「確かに、それはあるかなぁ・・」と呟いた。
 無差別殺人を犯した六歳の少女は研究対象として犯罪心理学の権威である教授の元へ保護された。助手は教授と共に少女の深層心理を探ってきた。
 その中でふと、不安に襲われるのだ。
 自分は、自分か?少女の妄想の中の登場人物ではないのか?
 コギト・エルゴ・スム。我思う故に。
 俺は俺を俺だと思っているが、この俺は本当に俺なのか。頬を抓れば痛い。その痛みすら幻想かも知れない。全ての記憶が少女の妄想で、その中のたった一つの欠片が彼女の現実と繋がるのかも知れない。教授だって、彼女にも海外留学の経験はある。もしも少女が、自分が相応の教育を受けて留学することを夢見ていたとしたら?
「馬鹿な。考え過ぎだよな」
 助手は打ち消すように苦笑した。熱い珈琲に息を吹きかける。
「ふー」
 もう一度。
「ふー」

                        (了)

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