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「腐れた女子と腐らない男」(メアリ・シェリー「フランケンシュタイン」の二次創作)

*book shorts  第7回11月期に掲載。

「いや俺、どないしょ」
 青年は呟く。
「こんなトコで」
 肌を切り裂くような吹雪と氷の大地。橇の上に青年、唯一人。しかし、どれだけ呆然としていても体が凍りつくばかり。青年は荷物を背負い橇から降りた。「あ」
 離れた所から犬が見ている。橇から逃げ出した犬の中の一頭だ。一瞬青年に笑顔が浮かんだが、犬は期待だけさせておいてさっさと走り去った。
「ああ・・・まぁええか。元気でな」
 前後左右、一面の雪原の中を青年は歩き始めた。

「いやー、まさかこんなとこで人に会うとは思いませんでしたわ」
 絶望的な状況で歩き始めた青年だったが、ものの数分後に奇跡的に探検家に出会い、犬橇に拾われた。
「俺もこんなとこでまさか、人を拾うとは思わなかったよ」
 髭面の探検家は鷹揚に笑う。気のいい人物のようだ。
「犬の訓練に来てたんだよ。今日は君も拾ったことだし、家に戻ろう」
「えぇ?家が近いんですか?」
「君、どっちの方向から来たの?まさか雪原の反対側じゃないよね。あんな遠くから来られる訳ないし。まぁ、今からうちにおいで。あったかいシチューでも御馳走するよ」
 青年の顔が輝いた。ただ気がかりが一つ。青年は恐る恐る、
「あの・・・突然僕が行ったら、ご家族に迷惑じゃありませんか」と訊いた。「一人暮らしだよ。女房が居たけど死なれちゃってね。だから気遣いは要らないよ」
 探検家が言うと青年はほっとしたようだ。人見知りなのかな、と探検家は思った。

「う、まぁ〜・・・・」
 冷え切った体に温かいシチューの、何と沁みることか。探検家は小さな村のはずれに住んでいた。シチューが暖炉でくつくつと煮えている。
「いやホントもう恩人です。神様です」
「ははは、どんどん食べなさい。コートとかマフラーは椅子にかけて、雪を溶かすといい」
 探検家が勧めたが、青年は遠慮した。余程内気らしい。
「しかし君、何であんなとこ歩いてたの」
「あの、ちゃんと橇に乗ってたんですよ。そしたら犬が逃げちゃって」
「大変だったねぇ。何処に行く途中だったの」
「いえ・・・」
 青年はスプーンを止めた。
「行くって言うか、生まれた所から逃げて来て・・いえ、あの、別に悪いことした訳じゃないんです。産みの親と問題があって・・・」
 俯く青年に、探検家は優しい眼差しを向けた。
「まぁ、辛い事は無理に話さなくていいよ。言葉、上手だね。外国の人だろう?」
「はぁ。日本の、関西って呼ばれる地域です。大分訛ってるんですけど、外国語だと分からないですよね」
「日本かぁ」
 二人は暖炉の前で語り合った。探検家は自分の冒険譚や、今までの人生を語った。青年は上手く相槌を打ち、質問を挟み、探検家の話と感情を引き出していく。
「君は聞き上手だなぁ」
「僕は、話し相手として生み出されたんで・・・」
「え?」
 青年はハッと息を呑んだ。
「すみません。お酒のせいで、変な事を」
 シチューを食べ終えた二人は、暖炉の前でワインを開けていた。
「謝らなくていいよ。どういう事なんだ。よかったら話してみないか」
「信じてもらえるかどうか・・・」
「おいおい、俺は探検家だよ。信じられないような経験もしてきたさ。話してスッキリしたらどうだい」
「それじゃあ、話してみます。これから言うのは本当のことですが、もし信じられなかったら、酔っ払いの戯言だと思って笑い飛ばしてください。僕も人に話すのは初めてなんです。それは、十一月のとある寒々しい夜のことでした・・・」

 僕は見知らぬ部屋で目を覚ましました。見知らぬ、以上に変な感覚でした。生まれてから目覚めるまでの記憶が皆無だったんです。まるで何も無い空虚の中から生まれたような。僕は、生まれた瞬間から二十七歳の男性でした。あぁ、変な目で見ないでください。話はまだ続きます。
 目覚めた時、真っ暗な部屋に一人きりでした。起きあがろうとすると体の節々がやけに痛みました。手探りで電気のスイッチを見つけて明かりをつけるまでに、色んな物にぶつかった気がします。明るくなった室内を見て、僕はますます訳が分からなくなりました。そこは寝室ではなく実験室。僕が寝ていたのはビニールで覆われた硬い台で、見下ろせば自分は全裸でした。何か手術を受けたにしても、シーツの一枚位は掛けていそうなものですが。
 自分の姿に恥ずかしさを覚えた僕は着るものを探しました。クローゼットを開けると男性の衣服が一揃い並んでいたので、誰のか知りませんが身に付けました。ドアは鍵が掛かっていて出られません。状況が何一つ分からず、僕は途方に暮れました。
 その部屋を実験室と思ったのは、色んな機材や薬品が所狭しと並んでいたからです。ホルマリン漬けにされた内臓のようなものもありました。

 青年はマフラーの下でモゴモゴと話し続ける。

 どれ位時間が経ったでしょう。ドアの外から足音が近づき、鍵が開いて人が入ってきたのです。その人は、僕を見て悲鳴を上げました。僕も思わず後退りました。女の人でした。棒立ちになって僕を見つめ、やがておずおずと近づいて話しかけてきました。何を言ったのか分かりません。僕はその時、自分が人の言葉を理解出来ない事を知りました。
 女の人の態度から敵意が無い事は分かりました。自分は味方だ、安心しなさいと言っているようでした。その人が産みの親だと知ったのは、随分後になってからです。
 その人は僕の身の回りの世話をして、教養を授けてくれました。驚いた事に実験室を一歩出ると、家の中には僕が快適に暮らせる環境がすっかり整えてありました。それを見て、自分はここに居ていいんだと思うと嬉しくなりました。博士と・・産みの親のことです。博士と僕の生活はとても穏やかなものでしたが、暫くすると酷く怪しい、不均衡なものになっていきました。産みの親の筈なのに、博士は僕に恋をしているようでした。それも熱烈な恋でした。
 博士は多分、二十代から四十代といった年齢だったと思います。僕の母親というには若すぎる。しかし僕は産みの親だと思ってましたから、急に恋人として振る舞われて戸惑いました。会話や軽いスキンシップ程度ならいいのですが、博士はそれ以上を望んでいるようでしたから・・・拒むと無理強いはしませんでしたが、悲しそうでした。
 知識が増えるにつれ、僕は外の世界を知りたくなりました。博士は、始めは反対しましたが、僕の度重なる要求に根負けしてついに外へ出してくれる事になりました。ただし今のように服や帽子やマフラーで全身を覆い、姿を見えなくするならば、と・・・僕は後にその理由を知るのです。外の世界の人たちは、僕とまるで違う。僕は、自分が異形である事を知り悲しくなりました。それであの家に閉じ込められているのだと・・・消沈して帰った僕を、博士は優しく慰めてくれました。人と違っても落ち込む事は無い、貴方は私にとってかけがえの無い存在なのだと。そして打ち明けてくれました。博士も寂しかったのです。孤独を癒す相手が欲しくて、僕を産んだ。貴方を愛している、側に居て欲しい・・・僕らは寄り添うように愛し合いました。冬籠りする獣たちのような愛でした。
 しかし、突然博士は逮捕されたのです。博士は、僕を産み出す為に法を犯していました。僕は普通の人間とは違う。博士が創造した人造人間なのです。僕も捕まるところでしたが、博士が逃してくれました。博士は獄中で死に、僕は天涯孤独になりました・・・

 青年は大きくため息をついた。

 僕は街から街へと彷徨いました。人造人間の僕は飲み食いをしなくても平気です。今のように食事をいただけば美味しいとは感じますが、飢えや渇きで死ぬことはありません。だから社会と交わらなくとも生きていける筈ですが、孤独です。博士に存分に愛されて暮らした僕は、やはり人の愛が欲しいのです。何処かで誰かが受け入れてはくれないだろうか。そう思って彷徨い続けていたのです。でも・・・

 青年はまた、ため息をついた。

 山中で、僕は親切な猟師の一家と出会いました。漁師とその妻、娘さんとその夫が暮らしていました。僕は彼らとすっかり打ち解け、思い切って自分の姿を晒したのです。とても優しい人たちでしたから。ところが・・・僕の姿を見るなり、妻と娘は悲鳴を上げ、猟師と娘婿は銃を手に僕を追いたてました。以来、人に僕の姿を見せた事はありません。

 青年が顔を伏せた。帽子とマフラーの隙間から涙が零れた。
「顔、見せてみなよ」
 探検家が言った。
「俺は探検家だよ。ちょっとやそっとじゃ驚かない。話を聞いていて、君が悪い奴じゃないって事は分かる。良ければ、ずっとうちに居るといい」
「そんな、僕みたいな異形の者を」
 探検家はニッコリ笑った。
「探検の相棒が欲しかったところさ。一緒に世界中を回ろうじゃないか」
 突然の、人からの愛。青年は心を揺り動かされた。
「じゃあ、思い切って見せます。嫌だったら言ってください・・・」
 青年はまずコートを脱いだ。そして帽子とマフラーを。するとバタンとドアが開き、
「おとうさーん、じゃがいも穫れたから持ってきたんだけどー」
 能天気な声。若い娘がカゴを片手に立っている。
「きゃあああああああああ!!」
「馬鹿、急に開けるな!すまん、うちの娘だ。近所に嫁いだんだが」
 探検家が娘に近づく。その父親を娘が突き飛ばした。
「ウソ誰何このイケメン、神!眼福!目から鼻血出るぅぅ!!」
 丁度青年が素顔を晒した所だった。
「す、すみませんお嬢さん」
 青年の声にまた悲鳴が上がる。
「やだもぉ、声優の○○にそっくりー!お願い何か囁いてー!」
「はぁ?」と探検家が振り向く。目の前には軽くウェーブがかかった黒髪に、日本人とは思えない端正な目鼻立ち、毛穴ひとつ無い美肌、厚着で蒸れていた首筋からはなんかいい匂い。はにかんだ表情がまた可愛いの何の。
「異形てそっちかよ!!」
 とんでもない美形。娘はイケボとか二次元が蠢いてるとか、よく分からない表現で喚いている。娘が嫁ぐ前に日本文化に精通していたのを思い出した。こんな男を創造した女博士とは一体・・・確か日本語には腐女子という言葉がなかったか。
「もー、存在が罪!」
「ああ、やはり僕はここに居てはいけない。さようなら」
「いや誤解すんな!」
「行かないで、旦那とは別れるから!」
 猟師の一家に追われた理由がよく分かる。
「所詮僕は不老不死の人造人間。普通の社会に入ってはいけないんだ」
 不幸慣れした美青年は、自分が称賛されていることに気付いていない。
「劣化しないなんて最高、永遠にここに居て!」
「落ち着け、とにかく二人とも落ち着いてくれ!」
 立ち去ろうとする青年とすがり付く娘とそれを抑える探検家。娘は青年が何という作品の誰々にそっくり、と騒いでいる。女博士が犯した法とは著作権侵害か。興奮した娘に服を半分剥ぎ取られ、青年は外へ出て行ってしまった。
 探検家は茫然と見送るしかなかった。足元では娘が、青年の服の端切れを聖布のように崇めている。
 騒ぎを聞きつけて村の住民が駆けつけて来た。
「部屋が荒らされてるじゃないか。強盗か?」
 娘が暴れたからだ。
「足跡がある、追いかけよう!」
 勇敢な村の若者を、探検家は制止した。
「待ってくれ!何も盗られてないし、悪い奴じゃない。それに・・」
 探検家は考えた。猟師一家の悲劇を繰り返さない為にも。
「追ってはいけない。とても恐ろしい形相の怪人なんだ。醜くて見るに耐えない。悪夢に出るような」
 普段から誠実な探検家の言葉は効果があった。騒がずに帰って欲しいと言うと、村人たちは大人しく引き上げて行った。娘が顔を上げる。
「お父さん、あの人は・・・」
「行ってしまった。これでいいんだ」
 探検家は青年の幸せを祈らずに居られなかった。何処か遠くて外見など気にしない人に出会い、ひっそりと幸せになってくれ。俺は君の秘密を生涯かけて守ろう。誰も君を追わないように、恐ろしい怪人の話を広めよう。探検の果てに出会った怪奇譚として本にしたらどうだろう。出だしはこうだ。それは、十一月のとある寒々しい夜のことでした・・・
 そこへ外から絹を裂くような悲鳴が響く。
「あっ、いかん。あんな美青年が半裸で歩いてたらどうなるか」
 探検家は着る物を抱えて外へ出た。

「結局、一緒に世界中を回る事になったなぁ」
「ホンマ俺どないしょって感じなんですけど」
「あはは。君の日本語の関西弁も分かるようになったよ」
 美青年はカリスマモデル、探検家はマネージャーとして幸せに暮らしましたとさ。



                     (了)

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