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「霧の夜」(萩原朔太郎詩集「青猫」の二次創作)

「青い背広・・・。さぁ、そう仰られましても」
「顧客の事は口外しないというのは分かってるんだがね」
「こんな所まで人探しとは、探偵さんですか?」
 テーラーの店主は逆に問い返す。
「そうじゃないが。どうだ、手がかりだけでも教えてくれないか。金は払うよ」
「隠しているわけではございません。ただ青い背広と仰っても、ご注文が多い色ですので」
「普通の紺色や藍色じゃない。まるで星空を切り取ったような不思議な色だと、見た人はそう言うんだ。そんなもの絶対にオーダーだろうと思って片っ端から仕立て屋を回っているんだがね」
「収穫はございましたか」
「誰も何も教えちゃくれないよ。お宅もそうかい」
「お役に立てず申し訳ありません」
 男は諦めて店を出て行った。

 男は街を彷徨う。
「柄に鳥の彫刻があるステッキを持った男なんだが」
 ステッキの専門店。
「背広と同じ星空の色の帽子を被っている」
 帽子誂の店。
「珍しい青い革靴を履いた紳士で」
 オーダーの靴屋。
 尋ね人の欠片を広げては仕舞う。その繰り返し。
「青い帯の葉巻を咥えているそうだが」
 だがシガーバーの店主も
「知らないねぇ」
と首を傾げた。すると
「そりゃあ、探せば探す程見つからない相手だよ」
 カウンターの客が煙を吐きながら言った。
「あんた、知っているのか?」
 男が食い付く。
 客はふぅと煙を吐く。
「噂をね」
 今度はふぅとため息をつく。
「まぁ紹介出来る程じゃない。裏の路地を歩いてみな」
「う、裏って何処の」
「サァ忘れたね・・とにかく裏は裏さ」
 客は笑って、煙の中に顔を隠した。

 時はもう真夜中である。

 男は路地を歩いた。路地から路地へ裏から裏へとぐるぐるぐる。
 探せば探す程見つからないとの言葉を思い出す。相手を思わずにどう探すのか。目的を消す想念を消す。
 ぐる、ぐる、ぐる。
「駄目か・・・」
 男は路地へ座り込んだ。石畳が体に沁みた。
(自分でやるしかないのか)
 霧が漂ってきた。
(え?ここは川の近くだったか?)
 そんな辺りを歩いた覚えはない。路地を何本も何遍も回った挙句迷ったのだろうか。
 飲食店の灯りが霧に滲む。
 人影は幻のように行き過ぎる。
 尤も男には違和感が無かった。散々な目に遭って以来、世界は色褪せ人は皆影法師。誰の言葉も木魂のようで心に響かない。来し方行く末の分からない日々は霧の中と同じだ。
(・・・俺は一体、何を・・・)
 コツリ。
 座り込んだ目の前に靴先が一揃い。男はアッと叫んだ。
「お静かに」
 青い革手袋の人差し指を口にあてる。
「霧が晴れてしまう」
「う、噂通りの姿。あんただな、探したぞ。依頼をしたい。この女を殺してくれ」
 男は次々と写真や走り書きを取り出した。
「服装や髪型は変えているかも知れない。名前と、これが最近まで居た住所。これが行きつけの店。あと」
 手袋の指がスッと伸びる。
「お前さん、何か勘違いしているようだ」
「えっ・・・?」
「私ゃ殺し屋じャアありませんよ」
 男は唖然とした。
「う、噂で聞いたんだ。青服の紳士が居て・・・証拠も何も残さずに相手を消してくれると・・・」
「さァて」
 くるりとステッキを回す。
「たまさか私の側で人が死んだからってねェ。何方がそんな話をお作りになったやら。大体私は人間と馴れ合わないタチでして」
「そ、そんな」
「ちょっと拝見」ひらりと写真を取る。
「なかなかの美人だ。何があったんです」
「詐欺だよ」
と男は吐き捨てた。
「哀れな苦学生のフリをして俺から散々金を毟り取って、その金を他の男に貢いでいやがった。俺は親から継いだ土地まで売って彼女に金を渡したんだ。それがある日デートで迎えに行くとアパートは空っぽさ。結婚式場を予約して会社の上司に仲人まで頼んでたってのに」
「ほほう」
「同期にバカにされて気まずいから会社も辞めちまった。ところが再就職も上手くいかなくて。全部あいつのせいだ」
「殺す程の事ですか?」
「俺は!何よりも自分の誠意が踏み躙られたのが堪らないんだ。初めてあんなに女に惚れたってのに」
「苦学生を演じてたとすると、お相手は二十代?ところでお前さんはお幾つで」
「よ、四十二だ。悪いか・・」
「楽しかったなら良いではありませんか」
 青服の紳士は両手を広げてくるりと回った。
「摩天楼の下、花瓦斯の影。この都会にどれだけの女性がいる事でしょう。俯いていても星は見えない。復讐をしても新たな恋の足しにはなりません」
 また一回転。
「ま、悪いことは言いません」
 紳士はするりと男の脇をすり抜けながら
「お忘れなさい」と囁いた。
 瞬間、男は棒立ちになった。紳士の靴音は霧の中へ消えていった。
 
 残された男は暫く固まっていたが、
「あれ・・・俺は一体どうしたんだ」
 夢から覚めたように辺りを見回す。
「ここは何処だ。向こうから人が来る、聞いてみよう」
 声を掛けた男はかつての同期だった。相手は以前男をバカにしたことを謝罪し、よかったら親戚の会社を紹介しようと思い探していたと言った。
「そりゃ有難い」
 恨みを忘れた男は素直に話を受けた。相手が飲みに誘い、二人は連れ立って裏の路地を抜けていった。

 青服の紳士が路地を歩けば方々から声が掛かる。
「おや久しぶり。今夜はこの路地かい」
「冷えるわねぇ。うふふ、暖めてあげましょうか」
 紳士はちょいとステッキを振ったりチラと流し目をくれながら優雅に歩み去る。若い女が紳士の腕を掴み
「ねぇ。あたしのとこに来て」と目に涙を浮かべた。紳士は
「悪いが先約があるんでね」
と腕を振り解いた。
「ねぇお願い」
 女が駄々をこねる。それを冷たい目で
「順を決めるのァお前さんじゃない」と突き放す。
「待って。ねぇ待ってよ・・」
 女は霧の中に打ち捨てられた。

 紳士は空を見上げ
「良い夜だ」
と呟いた。

 何時の間にかすっかり霧は晴れていた。
 靴先を夜露に濡らしながら公園を抜け、紳士はある屋敷の敷地に入っていく。石造の立派な洋館だ。紳士は灯りのついた窓の下に立つと、少し居住まいを正した。

「あら・・・」
 気づいた屋敷の老婦人が窓を開けた。
「どうしたの、そんな所で」
 老婦人に促されて紳士は屋敷に入る。
「来てくれて嬉しいわ」
 老婦人は満面の笑みを浮かべた。紳士は老婦人を優しく抱き締めた。
「・・・あなた、暖かいわねぇ」
「今夜もお話を伺いに参りました」
「有難う。何処まで話したかしら・・・駄目ねぇ、もうボケちゃって」
「貴女のお話なら何度でも」
「優しいわね。でも時間がないの」
「私は何を致しましょう。貴女の為なら何でもします」
 霧の中で会った男や腕を振り払った女とは、まるで逆の態度である。
 老婦人は嬉しそうに微笑んだ。
「少し、側に居てくださる・・?」
「では、空の星が消えるまで」
 紳士の青服がきらりと輝いた。

 随分長いこと二人は寄り添っていた。
 老婦人は時折、思い出したように昔話をした。

 夫には苦労したの。でも、先に死なれちゃうとやっぱり寂しいわね・・・
 子どもは出来なかったわ。居たならまた人生が違ったかしら・・・
 贅沢を言っちゃあいけないわね。こうして不自由のない暮らしが出来たのだから。寂しいなんて、我儘よね・・
「今は私が居ます」
 老婦人は顔をくしゃくしゃにして笑い、そして泣いた。紳士が涙をそっと拭った。
「有難う。もう少しだけ側に居て・・・」
「ええ。私でよければ」

 ひと夜が開けた。
 老婦人はソファに背中を預けたまま、冷えて動かなくなっていた。
 膝の上には一匹の猫。猫はゆっくりと目を開けて、ふいと窓から出て行った。

 屋敷の塀を歩く猫を女子高生の二人連れが目に留めた。
「見た?綺麗な猫!」
「あれロシアンブルーって種類よ。このお家の猫かなぁ」
 一人が門の外から屋敷内を覗く。
「あ、おばあさんが居る。寒いのに窓開けてて大丈夫かな」
「・・・何か変じゃない?動かないよ?」
「本当だ!やばい、行ってみよう!」
 二人が門を開けて屋敷へ走る。猫はそれを見届けて去って行った。

 今宵も紳士が路地を歩く。また若い女が声を掛ける。
「捕まえたわ、今夜こそあたしを選んでよ」
「お前さんも誤解してるね。人違い神違い、私ゃ死神じゃない」
「違っちゃったのはあたしの気よ。男に狂って捨てられて」
「おやこっちもか。次の相手をお探しよ」
「もう恋なんて。生きているのが辛いのよ」
 紳士は葉巻を口から離してフゥッと煙を吐くと、女の鼻先に軽くコツンと鼻を当てた。
「きゃっ!?」
 女は慌てて後ずさる。胸を押さえて頬を上気させたのを見て紳士が笑う。
「接吻を期待するようじゃあまだ死ねないね」
 女は平手打ちを喰らわそうとしたが、紳士はするりと避けた。
「何よこの女ったらし!馬鹿!嘘つき!」
「嘘で結構。俺の住所はビルの森星の下区。路地裏通りの霧番地さ」
「ねぇ待ってってば!」
「全く贅沢な迷子たちだ。俺でさえ滅多に会えないってのに、あの御方は」
 紳士は軽くステップを踏んで霧を歩く。
 茫洋とした人影が幾つも行き過ぎる。或いは啜り泣き或いは談笑しながら、男女も分からぬ影が霧から出て霧へと消える。

 紳士が鼻先をひくりと動かせた。
 白檀の香りが漂う。
「噂をすれば」と独り言つ。
 現れたのはロングドレスに毛皮のコート、高いヒールにレースの手袋、花飾りの付いた帽子まで全てが真っ白の美しい婦人である。肌も大理石のように白い。雪原に咲く薔薇のように口紅だけが真紅に灯っている。
「今、余計なことをなさったでしょ」
「何でしょう」
「近頃騒いでいる若い女がいるから、面倒だけど迎えに来たのよ。でも貴方がこの世に引き留めちゃった」
「面倒が減って宜しいでしょう?」
「甘ちゃんねぇ。だから何時迄もこんな服着てるのよ」
 婦人は白孔雀の扇の先で、つんと紳士の胸を小突いた。
「貴方は甘ちゃんで卑怯者よ。死を与えずに寄り添うだけ。責任はみぃんな私に押し付けて。嫌な人。大っ嫌い」
「ぶるぶる、おお怖い。私の命を吸わないで下さいよ」
「ふん」
 青服の紳士が天を仰ぐと花火が上がった。

 ぼぼぼぼん!

「麗しきla vie!死は日常です。そして人生の終着駅!果ての無い人生など嗚呼、震えが止まらない。一等の客も居りましょう。三等の客も居りましょう。貴女は全ての乗客をその柔らかな胸に抱き迎えるのです」
 紳士はくるりと舞う。
「何時でも何処かに霧の夜がある。寂しい人間は路地裏を歩く。しかし寂しさの無い人生なぞ何になりましょう。貴女はまるで、すべての女性を煮詰めて精製した香水のようなひと。まさに聖女。女性の中の女性」
 花火の欠片は銀の粒子となって降り注ぐ。茫洋とした人影は粒子が触れると消えてしまった。
「私を煙に巻くつもり?」
「いや正直ね、死神こそ女性であるべきとそう思うのですよ。ちなみに私根っからの女性好きですが」
「くだらない。私帰るわ。送りなさい」
「では国境の手前まで」
「越えなさいよ。筋一本の隣でしょ」
「貴女と一線を越える勇気がありません」
「意気地なし。怖がりの甘えん坊」
「そうなんです。では御手を」

 青服の紳士が手を伸ばす。青い革手袋に白いレースの手袋が重なる。
 葉巻の煙と白檀の香りは霧の中を漂い、消えていった。

                           (了)


 



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