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「一葉(いちよう)」(江戸川乱歩「押絵と旅する男」の二次創作)

(補足:ようは写真や葉書を数える時の単位)

 大正時代に建てられた山間のホテルは、重厚な佇まいと丁寧な接客で知られている。
 一人旅をして写真を撮るのが趣味の紗江子は、かねてより行きたいと思っていたそのホテルに宿をとり、早起きをして山の朝を愉しんでいた。
 露を含んだ芝生を踏みながら霧の中を歩くと、ベンチに人影があるのに気づいた。老人である。
 遠目にも品の良さそうなその男性は、隣に写真立てを置いていた。
 仔細有り気な様を見ていると老人と目が合い、互いに会釈をした。
 視線を交わしたまま歩み寄る。
「おはようございます」
「おはようございます」
 老人が写真立てを膝に移す。空いた場所へ紗江子が座る。
「失礼ですがご家族ですか」
「いえ・・・この写真はね、昔の恋人なんです」
 老人は言った。

「若い頃好きになった人でね・・・結婚したかったんですが、親に反対されて別れたんですよ・・・その人が、一度このホテルに来たいと言っていたんです」
 写真の中では若い女性が椅子に座り、男性は傍に立って女性の肩に手を添えている。モノクロの世界が山の霧に馴染む。
「相手の方とはそれきりですか。連絡とかは」
「ええ。それが」
 老人は目を伏せた。
 仲を割かれてすぐ、老人は親の勧める相手と結婚が決まり、恋した女性は町を出て行ったという。
「その妻は数年前に亡くなりました。私はまぁ、思い出を巡る旅をしているのです」
 紗江子は老人と写真をじっと見た。
「このお写真、触っていいでしょうか」
 紗江子はスマートフォンで写真を撮影した。老人は何事かと見ている。
「今、アプリで加工してみました。写真を元に年齢を重ねた姿が作れるんです。あくまで予想ですけど、この女性は今こういう感じじゃないでしょうか」 
 老人はほお、と感心して紗栄子の手元を見る。
「良かったら送信しますよ。スマートフォンはお持ちですか?」
「では、折角ですので」
 老人の代わりに紗江子が操作した。
「どうもご親切に。年寄りの昔話に付き合わせてしまって・・」
「いいえ。いいお話をありがとうございました」
 微笑みながらベンチを立つ。
「それじゃ、お邪魔虫は失礼しますね。ごゆっくり」

 旅を終えた紗江子は一枚の写真を手に、一人暮らしをしている母を訪ねた。
「これ、望遠で撮ったその人の写真。どう?」
「そうねぇ・・・多分あの人ね」
「やっぱり」
 紗江子の母は老眼鏡を外すとふっとため息をついた。
 アプリで加工した写真を見た紗江子は、母ではないかとすぐに気がついた。
「お母さんに昔話を聞いたことがあったから。・・・実はね、スマートフォンを操作した時にその人の電話番号も見たの。写真の裏にメモしておいたわ。いるでしょう?」
 母はほろ苦く笑う。
「いらないわよ」と。
「私に遠慮してる?」
「違うわ」

 母は遠い目をして語り始める。
「あの頃は好きだったわよ。いいとこのお坊ちゃんでね。おっとりとして優しくて・・・でも、結局は親の言いなり。私が町を出る時に見送りにも来なかった」
「事情があったかも知れないじゃない」
「それにね」
 母は続ける。
「私があちらの親御さんに好かれなかったのは、家が貧しかったのもあるけど、子どもを産めない体だったから。そこへ良いところのお嬢さんで健康な方を紹介されて、正直ぐらっと来たんでしょう。優しいけど、周囲に流されやすい人だった」
「・・でも、向こうは後悔してるんじゃないの。母さんの写真を持って旅行なんて」
「ねぇ紗江子。あの人、私の年を取った姿を見て嬉しそうだった?」
「え?」
「違うでしょう。あの人はね、若い頃の私が好きなの。もっと言えば、若い頃に恋をしていた自分自身が好きなんじゃない?多分、あなたの親切が嬉しかったから画像を受け取ったのよ。後から見直すなんてしないわ。あの人が見るのは、若い頃の私だけ」
 辛辣な言葉だが、母親は相手を憎んでいるようには見えなかった。
 さっぱりとした笑顔で続けた。
「それに引き換えあなたのお父さんは、子どもが産めなくてもどうでもいいって言って、周りの反対を押し切って私を選んでくれたの。あなたを養子に迎えて、三人仲良く元気に暮らせばそれでいいじゃないかって。大雑把でおっちょこちょいな人だったけど、必死に働いて私たちを守ってくれた。良い旦那さんだったよ」
 二人の視線が仏壇の遺影へ向く。
「その写真、捨てていいわ」
「ごめん・・本当にあの写真がお母さんなら、また恋が始まればいいかと思ったの」
 母親は優しく微笑む。
「有難う。いいのよ。私はね、若い頃の恋は・・・若い頃に置いておく」
 娘は仏壇からマッチを取ると縁側に座った。縁石の上で写真に火を点ける。携帯番号が端から燃えていく。
「・・・あの人、いつまでもお母さんの写真持って旅行するのかな」
「それで幸せなら、いいんじゃない」

 若い頃同じ恋をして、欠片を分かち合った二人。
 一人はいつまでも持ち続け、気まぐれに取り出しては、思い出に酔い続ける。
 一人は宝箱に入れたまま、記憶の海へ沈めた。



 

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