「夢ばかりなる手枕に」(原作:川端康成『片腕』)
身体中の痛みと共に響子は目を覚ました。
「・・・お父さん・・?」
目の前に居た父親は
「良かった。もう大丈夫だ」
と安堵の表情を浮かべた。
「お父さん、彼は」
娘の問いに父親は目を伏せる。
「圭一君は・・・」
それだけで娘は察したようだった。眦から涙が零れた。
「回復したら全て話そう。もう少しおやすみ」
父親は娘の腕に注射をする。娘は深い眠りに就く。
眠りの底から浮かび上がる間際、響子は夢を見た。
隣には婚約者の圭一が居る。爽やかな横顔に微笑みかける響子。
次の瞬間。衝撃、激しい痛み、鳴りっぱなしのクラクション・・・
「あ・・・」
目が覚めた。
父から聞いた話は響子の記憶と一致していた。
ドライブ中に反対車線のトラックが暴走して、二人の車に突っ込んできたのだ。運転していた圭一は助手席の響子を庇おうと覆い被さった。
「写真を見たが酷い事故だった・・お前は車と崖に挟まれて、左腕が潰されてしまった」
「え・・・?」
ベッドに横たわったまま、首を左側へ向ける。
「でもお父さん。腕があるわ」
響子はハッとする。見覚えのある、手の甲の痣。
「圭一君の腕だよ。最後までお前を抱いていた」
響子の左肩には圭一の腕が移植されていた。
響子は圭一と共に生きることになった。
細身だった圭一の腕は響子の体にも馴染むように見えたが、やはり筋肉のつき方が違う。長さも違う。人形の腕をつけ間違えたような違和感がある。
それでも響子は嬉しそうだった。怪我の治療を根気良く続け、リハビリを経て腕を自在に動かせるようになった。
「ねぇ見て、お箸も使えるわ。うふふ。圭一さん左利きだったものね」
手の甲の痣に優しくキスをする。
移植した父親は複雑な表情だ。
「元気になってくれたのは嬉しいが・・それはもうお前の腕だ。圭一君の腕じゃない。辛いだろうが、彼はもう死んだんだ」
「やだなぁ先生、何を仰るんです」
「・・え?」
沈黙が落ちる。
「あら、どうかした?お父さん」
「いや・・・」
聞き違いだろうか?
響子の父親は病院の院長をしている。圭一はその病院に勤務する医師で、響子が女子大を卒業したら結婚する予定だった。
響子の母親は早くに亡くなり、父娘は丘の上の広い屋敷で二人で暮らしていた。家事は通いの家政婦に任せて響子はのんびりおっとりと育った。
ところがその響子が、らしからぬ振る舞いを見せ始めた。
難しい医学書を読む。免許を持っていないのに運転をしたがる。
かと思うと後ろから急に父親に抱きつき、
「バア!あはは、びっくりしました?」
と朗らかに笑う。抱き締める力が右と左で違うことに父親はゾッとした。
次の瞬間に振り返るのは、紛れもなく娘の笑顔だ。
しかし、さっきの口調は娘ではない。娘の異変は続いた。背が高くなった。着る服が変わった。肩までの髪をバッサリとショートにして別人のようになった。響子でもない、圭一でもない。
「誰だ」
父親は呟く。
「誰でもいいでしょう」
誰かが答える。
「誰でもいいでしょう?あなたを愛しているのだから」
誰かが微笑む。
父親は沈黙する。
「先生。あなた、僕を愛して下さったでしょう。愛しているから、愛する娘さんと娶せようと思ったのでしょう。正々堂々と僕を愛する為に。ね、そうでしょう」
誰かが両手を広げる。
「違う。私はただ・・・」
「事故で僕は半身を失った」
「私は左腕を」
「パズルのように組み合わせたんだ、あなたは」
「私は構わないわ。結婚よりも素敵。自分で自分を抱き締めるの」
「ああ響子さん。君のその柔軟なところは好きだな」
「うふふ。ねぇ。愛する人と一緒になるってとても素敵。だからお父さん」
「ねぇ先生」
「「あなたも(お父さんも)加わりましょうよ。僕(私)たちに」」
そして今。
丘の上の広い屋敷には、仲の良い家族が、たったひとりで暮らしている。
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