「白い花」(太宰治「フォスフォレッスセンス」の二次創作②:死)
透明のアクリル板を挟んで男女が向かい合っている。
灰色の箱のように殺風景な部屋だ。
スーツ姿の男が口を開いた。
「ご主人との馴れ初めを伺ってもよろしいですか」
女は少し戸惑う様子だった。
何故そんなことを訊くのだろうと。暫く考えたのちに
「・・・あの人と、前の奥様の話からになりますが・・・」
女はゆっくりと話し始めた。
「あの人」には妻が居た。誰もが羨む仲の良い夫婦であった。
ある日その妻が死んでしまった。
誰からも好かれる妻を誰よりも愛していた男は悲嘆に暮れ、食事も睡眠もとらずに痩せこけた。周囲は心配したが、男は突然変貌を遂げる。
人を飲みに誘い、人の相談に乗り、閉ざされていた心が一気に弾けたかのように積極的になった。
周囲は戸惑った。というのも以前の彼は人嫌いで偏屈で、それを愛嬌のある妻が補っているような夫婦だったからだ。しかし
「立ち直ったなら良いことだ。新しい人生を送る気になったのだろう」
と、変貌した彼を温かく迎え入れた。
女は話す。まるで、スーツの男ではなくアクリル板に向かって話すように。
「私は一人でバーで飲んでいる時に彼と出会いました。仕事で失敗して落ち込んでいた私の話を聞いてくれて・・・時々会ううちに好きになりました。私の中での彼は、親切でお節介で少し不器用な人でした。昔の彼は知りませんでした」
「昔のご主人については、誰かから聞いたのですか」
「いいえ。彼が最後に話してくれました」
もう一度言い直す。
「いいえ。話してくれたから、最後になりました」
「どういう意味でしょう」
女の焦点が男に移る。
相手に聞く覚悟があるのか確かめるように。
「彼は最初の結婚をしてまもなく、奥様を病気で亡くしました。まだ恋人同士のような幸せの絶頂の時に。手を尽くせばもう少し延命は出来たそうですが、奥様は拒否しました。彼が1秒でも長生きして欲しいと懇願しても聞いてくれずに亡くなってしまった。彼は悩みました。どうして最後まで病気と戦わずに自分を置いていってしまったのかと。けれど・・・」
「けれど?」
「悲しみの果てに彼は理解しました。愛されて惜しまれて若く美しく幸せの絶頂のままに死ぬことを、彼女は望んだのだと。自分の悲しみが彼女の幸せを演出したことを。理解した彼は最愛の妻と同じ道を選んだ。彼女を愛していたから、彼女と同じ死を願った。誰にでも好かれ誰かに心から愛され、その幸せの絶頂での死。彼は仮面を被り愛想を振り撒いて周囲に好かれるようにした。私という妻も得た。あとは老いる前に死ぬだけ。ただ、彼の体は健康そのものだった。だから私は協力したんです」
スーツの男は厳しい声で言った。
「あなたのやったことは殺人です」
女はため息をついた。
ため息は、アクリル板の穴越しに男へ届いた。
穴は規則正しく円形に開いている。
男のスーツの襟には弁護士のバッジが光っている。バッジに彫られた天秤も戸惑っていることだろう。
愛と罪の曖昧な境目をどう裁けば良いのか。
「でも私、幸せです。彼と同じ境遇にはなれませんでしたけど」
「何故」
「私の罪に彼の名が刻まれますから」
女は愛を捧げて烙印を得た。
罪深いのは病気と戦わずに死んだ妻か。
その後を追った愚かな夫か。
彼らの業に巻き込まれた女か。
接見を終えて帰る弁護士に女が頼んだ。
「彼のお墓に花をお願いします」
弁護士は振り向いた。
「ご主人と前の奥様が同じお墓で、あなたは平気なんですか」
「彼の望みでしたもの」
女は微笑む。
「白い花をお願いします。二人が好きな花を」
女はもう一度微笑んだ。
弁護士はドアを閉める。
弁護士は思った。
彼女は、花を捧げる人だ。
自分は花弁のひとひらも与えられないまま、他人に花を捧げる。身を切るように愛を撒く。
何故かは分からないが、彼女の先は長くない気がした。
生気の薄い声をしていた。
(もしも彼女が、死んだなら・・・)
せめて自分だけは彼女に花を捧げようと思った。
抱えきれない位の、白い花束を。
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