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「スケッチ」(夏目漱石「草枕」の二次創作:人生)

 はぁ、はぁ、はぁ。
 青年は山を登っている。
 頭上の木々が窓を開け、空が明るくなった。
「はー・・やばいな」
 青年はたった一人。
 汗を拭いながら周囲を見回すと、小屋を見つけた。青年は喜色を浮かべ足を早める。

「す、すみません!ちょっと、お尋ねします!」
 息を切らせて小屋の住人に話しかける。
「おや、どうしました」
「あのっ・・・皆んなとはぐれちゃって。先生と学生の団体見ませんでしたか、10人位の」
「はてねぇ・・・ま、とにかくお上がんなさい。冷たい湧水で淹れた、水出しの茶でもどうかね」
「はぁ、どうも・・・」
 青年は息を吐く。小屋の老人の好意に甘えて中へ入った。

「すみません・・・」
 老人は冷たいおしぼりで汗を拭えと言い、香りの良いお茶を出し、餡子の乗った団子まで出してくれた。
「ほう、学生さんねぇ。サークルってのは部活動みたいなもんかね」
「ええまぁ。美術部みたいなものです。山の風景を見に来たんです」
「ほうほう。それでスケッチブックをお持ちなんですなぁ」
「カメラも持ってます。他の奴は山の音を録音するって言ってましたし、割と自由なんですよ」
 老人は何を生業にしているのか、小屋の中は簡素で、それでも冷蔵庫などの家電もあるし、何より老人の頬の血色の良いこと。物言いも柔らかで、仙人のようだ。
「綺麗な山鳥に見惚れていたらいつの間にかはぐれちゃいまして・・」
「山登りの届け出は出しているのかい」
「はい」
「そうかい。まぁちっと休憩してなさい。お仲間もさぞ心配してお前さんを探しておるだろうし」
「・・は、はは・・・それはないかと・・・」
 青年は自嘲気味に苦笑いする。
「僕、周りから浮いてるんですよね」
と頭を掻いた。

「不器用なんですよ。変な所で厄介な人に同情してトラブルに巻き込まれたり、妙に理屈っぽい事言って彼女に振られたり。周りが盛り上がってんのに真面目な話をして場を白けさせたり・・・あっスミマセン。知らない人に唐突にこんな事言うのも変ですよね」
と、また頭を掻く。
 老人はニコニコと聞いている。
「いや構わんよ。人と話すのは久しぶりじゃからなぁ。何を聞いても楽しいわい」
 老人はひょいと立つと自家製の漬物を小皿に盛り、温かい茶を入れ直してくれた。団子で口が甘くなっていた青年に丁度良かった。
 気づけば汗は引いている。小屋は薄暗い。老人は電気を点けていなかった。大きく開いた間口から必要なだけの外光が入り、十分用は足りた。
(日本人は電気を点け過ぎるって、聞いたことがあるなぁ)
 薄暗さとは心地良いものだと青年は感じた。

「お若いの。不器用だと仰ったが、絵を拝見しても良いかな」
「え。あ、はぁ。本当に下手ですよ」
 素直にスケッチブックを差し出す。いつもの躊躇いが老人に対しては出なかった。
「良い絵ではないですか」
「いやぁ・・アングルも無難だし、特に技術もないし」
 山道の枯葉、木漏れ日・・・
「その人なりで良いでしょう、絵なのだから。ご商売で描くとなると色々と注文があるのでしょうが。そちらの方面へ進まれるので?」
 青年は少し黙った。
「・・分かりません。僕は、自分の進路が分からないんです。今日の迷子と同じです」
 そして、また黙った。初対面の人に泣き言をこぼした後悔と、言い訳をしたくても言葉が選べないもどかしさが顔に出ていて、本当にこの青年は不器用なのだなと、誰もが分かる顔をしていた。

 老人はぼんやりと間口から差し掛かる外光を見ているようでいて、
「人間は、日々の暮らしを生きているだけでも大変偉いことでしょう」
と言い
「悪ささえしなければ良い。人を悲しませなければ」
「でも僕、今日も迷子で周りに迷惑をかけています」
 ふぁっ、ふぁっと老人は笑った。
「わざと迷子になった訳じゃなし。少しばかり道を見失ったとて、何のことがございましょうや」
 老人も頭を掻いた。
「・・・とは申せ、この年寄も若い頃は色々とやらかしましてのう。生き方を迷うのは、結局、理想の姿に自らが追いつかないもどかしさでしょうな。しかしな、お若いの」
 少し笑う。
「下手な絵でも、描きたければお描きなさい。迷いながらも歩きなされ。立ち止まっても迷っても良いのです。根っこさえしっかりしておれば」
「根っことは」
「自らを知ることです。その自らが、理想通りでなくとも良いのです。感性が鋭敏でなくとも、手先が器用でなくとも良いのです」
「・・・・」

 カナカナカナ・・・・遠くでひぐらしが鳴いている。

 老人の言葉は、何時か何処かで聞いた気がした。

「どうも、お世話になりました」
 青年は礼を言って小屋を出た。振り返ると老人が見送ってくれていた。

「・・・オイ。オイ谷中、起きろって」
「ん、ううん・・・えあっ!?」
「すげぇ寝てたな。行くぞ」
 目の前にサークル仲間の顔がある。
 青年はぽかんと周りを見回した。
(あ、何だ・・・)
 記憶はすぐに蘇り、サークル仲間と昼食休憩をとったこと、その後木に背中を預けて寝てしまったことが分かった。
(夢か)
 周りは皆腰を上げて歩き始めている。青年も慌てて後を追った。

 それから、青年が気づくには数日掛かった。
 スケッチブックの最後のページに、描いた覚えのない自分の似顔絵が描かれていた。木にもたれてうたた寝をしている姿。決して上手とは言えないが、穏やかなタッチで丁寧に描かれている。

 青年はあの老人が描いた絵のように、そして老人はあの木だったように思えてならなかった。

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