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欅坂46と櫻坂46、二度目の思春期のその先⑤

20代後半、私はのたうち回っていた。
それまで猛烈に忙しかった仕事が急に暇になった時期だった。
がむしゃらに進んでいた人生に、いきなり急ブレーキがかかった。
周りの友人が次々と結婚したり仕事で成果を上げるなか、
自分だけ足踏みしているような気がしていた。
とにかく苦しくて、それを口にしてしまう自分がいやだった。

当時、よく遊んでいたのが年上の友人Bだった。
心が安定していて、聞き上手で、共通の友人も多かった。
お互い独身で仕事も暇だったので、よく一緒に飲んでいた。
ある日、いつものように私の話を静かに聞いていた彼が、唐突に言った。

「そうやって悩んでるあなたは素敵だよ。
『生きてる!』って感じがするもん。
なんか、羨ましいよ」。

びっくりした。
「何言ってるんだこの人は」と思った。
「意味わかんない。何それ」と返ししたけれど、
本当はBの言葉に救われていた。

欅坂にハマり、がむしゃらな姿の美しさが人の心を揺さぶることを知った時、
私が思い出したのは、友人Bのあの言葉だった。
いつも凪のように心が安定していた彼は、
私を通して、苦しさや喜びといった心の揺れを体感していたのかもしれない。

Bと飲み歩いていた日々からずいぶんと時が経ち、私も大人になった。
その間にお互い結婚をして、私はお酒をきっぱりやめて、
Bと飲みに行くことも無くなった。

私は仕事にも慣れて、自分の感情を飼い慣らすことにも慣れて
毎日平穏に暮らせるようになった反面、
自分が自分の作った「型」にはまっている気がした。
それは快適だけど、ちょっと物足りなくて。
中学時代の友人と集まった時、そんなことを話すと、
「わかる」と頷いた人が多いのにびっくりした。
型通りに過ごせば省エネできるし、そうでなければ仕事も生活も長続きはしない。
大人になるって、こういうことなのかもしれない。

だからこそ。
型にハマっていない欅坂は、私にあの頃の自分を思い出させた。

だからこそ。
型にハマっていない欅坂に、眠っていた思春期の自分を揺り起こされた気がした。
欅坂は、眩しいほどの生命力の塊で、光そのものだった。
もしかしたら、彼女たちは自分たちが
それほどまでに眩い光を放っていることに気づいていないかもしれない。
もし同世代だったら、眩しすぎて直視できなかった気がする。
今だから、今の私だから、彼女たちの放つ光を直視できたのかもしれない。


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