書きたいもの 2024.5.20

書きたいものを書かなかった学生時代でした。当時理想としていた「書く」は、小説や脚本の作品を完成させる、というものです。目指すゴールは商業的なものでした。普段目につくのはそれらで、それ以外にどんな選択肢があるのか知りませんでした。
壁が高くて、どこから始めたら良いかわからなかったし、創作本を読んでもぴんとこなくて取りかかれませんでした。そして、自分がそういうものを作れるとも思っていませんでした。自信がなかったというよりは、同時代のコンテンツにあまり触れていなかったからです。馴染みのないものを書けるとか書きたいとか思わないのはきっと当然です。つまり、何かを書きたいとは感じつつも、何を書きたいかがわからない、という状態だったのだと思います。

書く上での明確な理想はいまでもわかっていません。
ただ、毎日投稿をしてみて、書いてみたいこと、これはあんまりということ、書けること書けないこと、実力不足、いま足りないもの、これから求めるもの、が以前よりはよく見えました。継続的に投稿しようとしてはじめて浮かびあがるものばかりでした。びっくりしています。たくさん見つかった課題は、ひとつずつ越えていけたらと思っています。

また、いまも、人に共感される、もしくは良いと思ってもらえるものは自分には書けないのではないか、と感じます。文章の技術はいつか身につけばと思いますが、経験や思想の面においてです。たとえば最近、現代小説を読んでいて、「飲み会でビールがぬるくなる」描写に出会いました。知らない、と衝撃を受けました。飲み会には数えるほどしか行ったことがないし、お酒はほとんど飲まないからです。でも、知らないのにリアルな感じがしました。そして、絶対に書けない、とショックを受けました。
私には会社のことや飲み会のことや学校での人間関係のことは書けないかもしれません。当事者だという実感を持ってその場にいたことがほとんどないからです。いや、当事者でなくても、想像や調査によって書くのが創作であるならば、私はそれらを描くことは重要視していない、ということだと思います。ただ、世の中にはそういう場で生活している人が多いと思っているし、日頃目にする話題のコンテンツもそういうものが多いと感じます。
思想のほうは自分の半生を掘ることになるので省略しますが、そんなこんなで、「書いて生きていけたら」とは感じつつも、自分が書くことと社会や経済とが頭の中でうまく結びつかないのだと思います。

けれど、誰にも1年に1回はあるかもしれない、道端の小石に目がとまったり、川面がきらきら光っているのをぼーっと見つめたり、咲いてる花を良いなと思えたり、そういうひとときを掬うことは私にもできるかもしれないし、そうできたらどんなに良いだろう、と感じています。現代社会の一員にはなれなくても、地球や人間の歴史の一部ではありたい、という思いは抱えているのです。
「芸術は役に立たない」とか言われている世の中ですし、文化芸術を愛する人にとっても売れるならつくるし売れないならつくらないのが経済でしょうし、書いて生きるために何をどうしていくのか、まったく見当もついていません。書く仕事も作品づくりの幅も、想像以上に多様だと知ったいまでも、自分の気持ちの落ち着けどころ、何を選びたいか、自分にとって現実的かどうか、が何も定まっていないのです。その他諸々も含めて、さてどうしようと思っているところです。
ただ、心から書きたいと思える”何か”が、うっすらと輪郭をあらわしはじめた気がして、今後どこで何を書いてどう生きるとしても、それだけは良かったと思っています。

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