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伝えたかった「ありがとう」

車椅子を押しながらホームの厨房へやってくるゲンさんは、いつも笑顔だった。

「美味しかったよ〜!帰り気をつけてね〜」
「いい味だったよ〜」

カラオケが大好きなゲンさんはよく通るいい声をしていて、
新米厨房スタッフのわたしは、食卓から聞こえてくる声にいつも励まされていた。

ゲンさんは周りの人へ自作の詩を贈るのが趣味だった。贈る人に向けた言葉を考えて時には深夜まで創作にふけり、こんを詰めすぎて体調をくずすこともあったらしい。
なかには相手の名前を変えただけで同じ内容のこともあったが、そんなのはご愛嬌。贈るひとを喜ばせたい一心なのだ。
大腿骨を骨折して車椅子生活になってしまったとき、入院した病院の師長さんにアドバイスされて書き始めたのだそうだ。

「こういうのをもらって、怒る人はいないでしょ?」
感謝を伝えると、眼鏡の奥の目を細めて照れたように笑っていた。

わたしの誕生日が近いと知ると、
「ちょっと、一筆考えるわ。すこし時間ちょうだい。」
厨房カウンターの向こうに覗いた横顔をキリッとさせて去っていくゲンさんは、なんだか凛々しく見えた。

ゲンさんから受け取った詩の手紙は、厨房ノートにレシピメモと一緒に残らず貼り付けられ、季節が変わったり記念日を迎えるたびに分厚くなっていった。

厨房ノートが2冊めに入ろうという頃、ゲンさんは体調をくずした。
腰痛がひどく食欲は落ち、食卓から戻ってくるお盆には手つかずのおかずが目立つようになった。
そんななかでも力をふりしぼって車椅子を押して来て、
「もう(詩を)書けないかもしれない…」
と寂しそうな顔で渡された紙には、震える字で、いつもの作品とは違う言葉があった。

いつもいつも
美味しい物をありがとう
深くお礼致します

これにはさすがにまいってしまい、顔を見られないようにしてお礼を伝えるのが精一杯だった。

それから入院したゲンさんはついに食事が喉を通らなくなり、誰にも見守られることがないまま、独りあっけなく旅立ってしまった。
子どもがいたはずのゲンさんに、看取ってくれる家族がいないと知ったのはそのずっと後のことだ。
わけあって家族と絶縁したと聞いたが、本当のことを知る由もない。

90歳の誕生日にふたり一緒に撮った写真には、スーツ姿でめかしこんだゲンさんが真顔で写っている。
91歳には笑顔で撮ろうね、と笑い合った約束もそのままになってしまった。

今でも厨房でカレーを仕込んでいると
「カレー大好きなんだよね〜」
と嬉しそうに言っていた笑顔が浮かんでは消える。
今ごろ天国でまた詩作にふけっているかもしれない。
ありがとう、ゲンさん。安らかに。

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