見出し画像

ⅤRに興味のある方にすすめるSFリスト

 VR・AR界隈では「xR界隈の履修科目リスト」という有名なリストがあります。この記事では、そこに記載されていないような、直接xRに関わらないものの重要な作品も含めてご紹介していきますので、どうぞよろしくお願いいたしします。

スタニスワフ・レム「ソラリス」

 まずは、スタニスワフ・レム/沼野充義訳「ソラリス」(ハヤカワ文庫SF)です。この作品のテーマは「知性とは何か」。「ホモ・サピエンス」の学名の通り、人類は知性をもって活動する生物ですが、その「知性」というものに対して、レムは「知性」をもって問いかけます。
 この作品は、2014年発表のSFマガジン700号記念の人気投票にて、数々の名作を抑え、海外長篇部門第一位を獲得した不朽の名作です。
以降、内容の紹介に移ります。

 意思をもった知性体である「海」に覆われた惑星ソラリス。人類はこの惑星の謎を解明するために、ソラリス上空に軌道ステーションを作り、3人の科学者を送り込みました。しかし、あるとき、ステーションでなんらかの異常が発生し、その解明のために主人公の心理学者ケルヴィンが送り込まれることになったのです。
 ケルヴィンは、荒廃したステーションで、変わり果てた科学者たちを見つけました。ひとりは死に、ひとりはひどく脅えた様子でまともな受け答えが出来ず、もうひとりは部屋に閉じこもって出てきません。そして、科学者たちは、ステーション内にいるはずのない「人」がいるとケルヴィンに訴えたのです。
 ケルヴィンは、科学者たちが発狂したのだと考えましたが、ついに、ケルヴィン自身もステーション内でいるはずのない「人」を目撃します。ケルヴィンは自身の発狂を疑い、計算機を使って自らを試すのですが、結果は「正気」でした。ということは、「人」は実在の人間だったということになります。
 そしてケルヴィンの前に、過去に自殺してしまったはずの恋人、ハリーが姿を現します。ステーション以外、すなわち人類以外の知性が、なんらかの意図をもって「人」を出現させている。その知性こそ、ソラリスの「海」にほかなりません。この「海」は、なんのためにこんなことをするのだろうか......。

 と、こんな感じで「ソラリス」の物語がはじまります。SF屈指の名作と聞いて身構える方もいらっしゃるかもしれませんが、導入部は非常にサスペンスチックで、ハラハラドキドキの作品です。そうやって話に没入したところで、科学、哲学、更には神学を問い直す壮大な議論に物語は昇華していきます。

 この作品は「ファーストコンタクト」という、人類と未知なる知性との接触を描いたSFの古典的テーマの集大成となる作品です。「知性」は「全く異質な知性」とコミュニケーションをとれるだろうか、このことを、レムは科学・哲学・神学の修正を要求しながら、知性をもって議論していきます。
 この問題は、「人類」と「AI」という構図に置き換えられますが、その結論も同等のものとなると思います。シンギュラリティやAIの問題など、半世紀以上前に発表されたこの「ソラリス」を見ればいいじゃないか、ということになるいうことです。それだけ「ソラリス」は素晴らしい作品なのです。

アイザック・アシモフ『われはロボット』

 つづいて、アイザック・アシモフ/小尾芙佐訳『われはロボット』(ハヤカワ文庫SF)です。有名な「ロボット三原則」を題材としたSFミステリなのでミステリファンにもおすすめですし、聴いたことのある方も多いのではないかと思います。それでは早速紹介していきます。

 まず、ロボット三原則を引用しておきます。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、事故をまもらなければならない。

 この「完璧な」条項のもと、なぜか発生してしまったトラブルの原因を推理し、解決していくのが『われはロボット』を代表とするアシモフの「ロボットもの」のテーマです。

 先ほどは完璧と言いましたが、どう考えてもこれ、穴だらけの条文なんですよね。例えば成功率50%の手術の執刀をする手術用ロボットは、確実に機能停止します。第一条と第二条のジレンマで思考停止して何も出来なくなるということです。
 そういう事例を短篇集の形式で沢山詰め込んだのが『われはロボット』です。大学教授を務めたアシモフならではの、執筆当時の最先端の知識を活かした描写もあり、半世紀以上前の技術と現在の技術の差を実感して楽しむ、なんてことも出来ます。(例:セレンを用いた太陽電池)

 もちろん、三原則ものだけでなく、ロボットと人間の交流を描いた「ロビイ」などの作品も収録されていますので、こちらも楽しめます。この「ロビイ」は、手塚治虫さんの名作『火の鳥』「復活編」のモデルとされており、両作の相違点を比較して楽しむ、なんてことも出来ますよ。

 すこし物語は古びてはいますが、それでもなおその面白さはなんら薄れることなく、むしろ現代科学に与えた影響の大きさを背景に、これからますます楽しめる作品だと思います。不朽の名作というに相応しい作品です。

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「接続された女」

 さて、次はジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/浅倉久志訳の「接続された女」(ハヤカワ文庫SF『愛はさだめ、さだめは死』または河出文庫『20世紀SF4』収録)です。サイバーパンクの先駆的作品として、xR界隈でも有名な作品でないかと思います。

 舞台は広告の禁止された近未来。主人公は人が見れば卒倒するようなブス(ブスは原文ママ)で、自殺未遂を起こして病院に搬送されることになります。そして搬送先で、「広告用美少女」の「中の人」としてスカウトされ、体に端子を埋め込まれて美少女型義体の操縦者の仕事に就くことになります。
 その仕事の実態は、その美少女の生活を全世界に生配信して、その生活の中で美少女が使う製品をそれとなく画面にうつしこむことで「広告」を合法的に行おうというものでした。主人公は天才的な義体の操縦者で、瞬く間に全世界から多大な人気を集めることになります。
 そんななか、美少女に恋をしてしまった男が現れます。そして逢瀬を重ねるうちに、男は美少女が「接続された女」であることに気づいてしまい......。
そして物語は終局へと向かうのですが、ここからは実際に読んで頂きたいですね。流石はティプトリー、徹底的に男らしいです。

 この「接続された女」は半世紀近く前に発表された作品なのですが、有名人のステマ騒動、YouTuberの登場、バ美肉、そしてガチ恋勢の登場と、ここ数年のインターネットをまるっきり予言したかのような作品になっていることに大変驚かされます。これが20世紀最高のSF作家ティプトリーの想像力です。実際にVtuberとして活動されている方々、特に実際に身体をトラッキングして3Dモデルを動かしている方々は、この「接続された女」というフレーズがとてもしっくりくるのではないでしょうか。頭から何本もケーブルを伸ばし、非実在の「義体」を操る......。それをまさに表現した、短篇SFの名作です。

 先ほどティプトリーについて、私は「男らしい」と表現しましたが、実はティプトリーは女性です。「もっとも男らしいSF作家」と呼ばれた女性作家、そして20世紀最高のSF作家、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア。その想像力を、体験してみませんか?

 ティプトリーの「男らしさ」を一番楽しめる作品は、やはり「たったひとつの冴えたやりかた」(ハヤカワ文庫SFの同名作品集収録)だと思います。詳しくはあえて語りませんが、面白かったら同テーマのトム・ゴドウィンの歴史的名作「冷たい方程式」(ハヤカワ文庫SFの同名作品集収録)もどうぞ。

ウィリアム・ギブスン「冬のマーケット」

 Twitterでは紹介を忘れていたのが、このウィリアム・ギブスン/黒丸尚訳の「冬のマーケット」(ハヤカワ文庫SF『クローム襲撃』または河出文庫『20世紀SF5』収録)。サイバーパンクの体現者ギブスンの短篇の中でも、最高傑作とされる作品です。

 「自らの体験を売る」職業に就く男を主人公とした作品で、身体感覚をデジタル化して他人と共有する技術が実用化された世界が舞台です。この設定だけでも十分にVRっぽいのですが、私が紹介したいのはほかの部分。
 それは、この作品の中で提示される「技術革新が潜在的な芸術家を呼び覚ます」という概念です。いつの時代にも潜在的芸術家はいたけれども、その芸術的感覚を適切に表現するためメディアがこの世界になく、幾多の才能が発揮されることなく埋もれていきました。その才能たちが、技術革新によって活躍しだした、そんな時代がこの時代なのではないでしょうか。

 この数年間で急激に発達したVRという技術、そしてこれから実現されていく未知の技術。それらによって、この世界はどのような芸術で満たされていくのでしょうか。
 私も、VRという技術によってはじめて表現する手段を手に入れた芸術家です(おこがましいですが)。そのような表現者のひとりとして、この「冬のマーケット」という作品が、SFという枠を超えていろんな”潜在的芸術家”に読んでいただけたら、と思います。

 ちなみに、この「冬のマーケット」、伊藤計劃さんは「短編では「クローム襲撃」収録の「冬のマーケット」がとてもきれいだ」と評しています。

士郎正宗『攻殻機動隊』

 続いてご紹介するのは士郎正宗さんの『攻殻機動隊』(講談社)です。これは、xR界隈では最早説明不要でしょうか。サイバーパンクの代表的な作品ですね。この作品を読むたびに、やはり、サイバーパンクは視覚的な面白さ、かっこよさが重要だなとおもいます。

 この作品、紹介しようにもなかなか難しい作品ですので、ここはすぱっと諦めて、Vの者としての視点から、この作品についてお話していこうかなと思います。ということで、私がお話しするのは「私が私であるための条件」についてです。

 『攻殻機動隊』の作中で、電脳犯罪の犠牲者や、義体の高度化によってアイデンティティの喪失を起こす事例が何度も出てきます。作中では生命と非生命を隔てるものとして「ゴースト」の有無が決定的な条件とされています。しかし、これは現実的、もしくは科学的ではありません。
 科学的でないというのは、ポパー的な「科学的反証性が確保出来ない」という意味です。仮にゴーストなるものがあるとして、私たちゴーストはどのようにしてゴーストをゴーストと判定すればよいのでしょうか。より厳密に言えば、ゴーストはゴーストでないものを判別できないと考えられるということです。そもそも私たちのゴーストの連続性を担保できない時点で、ゴーストという科学的アプローチをとることを否定するべきだと考えられます。そこで、私は「私たちの身体こそが意識の根源的要請である」と考えます。私の意識は、私の身体に依るからこそ私の意識なのだという立場です。
 この立場では、義体に没入した時は義体としての「私」であり、素の状態では素の「私」であると考えます。Vtuberとして活動している方々には、この主張を支持していただけるのではないでしょうか。同様の議論は円城塔さんも行っており、この議論の解決こそ、現代SFのひとつの目標だと思っています。
 例えば、右腕を失ったらそれまでの意識と同一だと言えるでしょうか? 例えば、中腕を取り付けられたらそれまでの意識と同一だと言えるでしょうか? 私はいずれの場合も意識は変化すると考えます。これを物語の中で展開していくのがSFです。そういうSFに出会えることを、期待しています。
 結論です。「我々の意識は身体に基づき、身体が変化すれば意識が変化する」

 意識を扱うSFは近年数多くありますが、まだまだ議論が尽くされていません。もっともっと面白く、もっともっと根底から揺さぶられるようなSFと出会いたいな、と思っています。

小川一水「幸せになる箱庭」

 次は小川一水さんの「幸せになる箱庭」(ハヤカワ文庫JA『老ヴォールの惑星』収録)です。この作品のテーマは、ずばり「VRと人類」。xR界隈ではあまり知られていないようなので、この紹介を機に読んで頂けたらと思います。短篇ですから読みやすいですよ。
 私の紹介がちょっとネタバレになってしまうような気もするのですが、この小説はアイデアだけで終わってしまうような薄い作品ではないので、内容に少し踏み込んで紹介していきますね。自分で楽しみたいな、というかたはこの先を読まないようにしてください。

 時は人類が火星軌道上までその生存圏を拡大させたころ。「ビーズ」と呼ばれる異星人による構造物が木星の大赤斑で発見された。ビーズによる木星の公転軌道の改変、ひいては地球の公転軌道の改変を阻止するべく、ビーズの製作者「クインビー」の母星「ビーハイヴ」へと人類は向かったのでした。ビーハイヴに向かう宇宙船には外交官や言語学者、エンジニアやオブザーバー役の学生などが乗りこんでいましたが、ビーハイヴに到着したその瞬間、真っ白な光に包まれて全員意識を失ってしまいました。気がつくと、宇宙船はビーハイヴ周回軌道上の人工島に上陸していたのでした。
 その人工島の環境は極めて安全でした。外交官や言語学者は7種の原住生物と対話を重ね、エンジニアは対岸の島へ渡る船を作り、そしてパイロットはこの人工島を支える機械の解析を行う。だれもが自分の力を最大限に発揮していましたが、それはあまりに理想的過ぎる環境でした。
 そう、この人工島での出来事は、すべて人類よりもはるかに進歩した科学技術を持つクインビーの見せていたVRの夢に過ぎなかったのです。あまりに精密なVRだったために、人類には現実と区別がついていなかっただけのことだったのです......。

 VRを体験したことのある方は、ぜひ、一番最初のVR体験を思い出してみてください。ゴーグルを着けたときの驚き、そして外したときの驚き。もし、VR空間が現実空間と同程度の「現実感」だったら、みなさんはVRと現実との見分けがつきますか?

 たった数年で、VR技術は目覚ましい進歩を遂げました。その進歩のペースに、人類は着いていけるのでしょうか。私には、まだちょっと早いような気がします。でも、それを補う「想像力」を現実の私たちに与えてくれるのが、SFなのです。

 残念ながら、まだそのようなSFに私は出会えていませんが、もしかしたら、もうすぐ出会えるのかもしれませんし、もしかしたら皆さんのうちの誰かが、さらにもしかすると私が、これを乗り越える「想像力」を形にしていくのかもしれません。現実を軽々と乗り越えてしまう想像力を、私は待っています。

アーサー・C・クラーク「幼年期の終り」

 さて、最後はアーサー・C・クラーク/福島正実訳「幼年期の終り」(ハヤカワ文庫SF)です。ハヤカワ文庫版の他にも、創元SF文庫版(地球幼年期の終わり)や光文社新訳文庫版(幼年期の終わり)など、訳が違う版がありますので、読みやすい版で読むといいと思います。

 「これをなんでxR界隈に薦めるの?」という疑問はあると思いますが、とりあえず、この作品はSF屈指の名作、古典中の古典と言っても全く差し支えない素晴らしい作品ですので、ぜひ読んでみてくださいね。三島由紀夫さんも絶賛の超名作ですよ。ということで、以後、紹介に移ります。

 東西冷戦の緊張が高まる中、「上帝(オーヴァーロード)」が突如地球上空に現れた。上帝は絶対的な力の差を背景に、国家を解体し、核兵器を廃絶し、地球を平和裏に統一しました。そして、上帝のリーダーは50年後に自らの姿を人類に公開することを約束したのでした。
 時は流れて50年後。人類は永遠の平和を背景に、人類史上最高の黄金期を迎えていました。そしてついに上帝がその異形を人類に晒しますが、50年という長い年月を経た人類はその奇怪な姿を受け入れ、人類と上帝の豊かな共存生活が営まれることになりました。
 しかし、こうした人類の「変化」に批判的な集団もまた存在し、太平洋の島でコミュニティを形成していました。しかし、そのコミュニティの子供たちにある奇妙な「変化」が起こりはじめていました......。

 ということで、本作のテーマは「人類の変容」です。なぜ、私がxR界隈の方に向けてこの作品を薦めるのか。それは、今現在、xR技術によって人類がまさに変容しようとしているからです。「幼年期」を終えようとしている私たちには、この想像力こそが必要なのではないでしょうか。
 これまでに紹介した「接続された女」や『われはロボット』など、既に現実に軽く凌駕されてしまったSFは確かにあります。そして、「ソラリス」や「幸せになる箱庭」、『攻殻機動隊』など、人類が未だ対面していない問題に取り組むSFもあります。過去の数々の作家たちが理性によって築きあげた想像力こそ、これから直面することになる未知なる世界に必要なものではないでしょうか。SFは、決して空想に留まりません。SFとなりつつある世界を生きるみなさんに、ちょっと先の未来を覗いてみるような気持ちで、気軽にSFを楽しんでほしいなと思っています。



 この記事は、もともとTwitterに投稿した、VRに興味のある方向けのSFリストをまとめ、補足したものです。Twitterの元投稿はこちらです。

#Vtuber #VR #AR #SF #読書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?