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わたしのすきな図書館は

老朽化していた図書館が地域の憩いの場となるよう明るく開放的な雰囲気に生まれ変わってリニューアルオープンしました、というニュースを見かけて「うわぁ」と思った。

うわぁ、また『明るく開放』されてしまった、と思った。

どうしてこうどこもかしこも『明るく開放』してしまうのか、と私は思う。

明るくて開放的で地域の人が憩える場所、という理念には悪い要素なんてひとつもないのだけど、私は暗くてじめりとしてどこか人を寄せつけない雰囲気の図書館に惹かれる。

たぶんその感覚は森に近いと思う。

以前その図書館は当初設置された書架では足りなくて都度増やしたと思われる毛色の異なる本棚が壁という壁を埋め尽くしてた場所で、横も上も下もどこを見ても本がぎゅうぎゅうに置いてあった。その物量は訪れる者にたいしてあまりにも圧倒的で、『知』の膨大さや底知れなさに襲われる感覚があった。

本が、本の持つ生命力みたいなものではびこる場所に、おそるおそる踏み入るような。入った瞬間に思わず息を潜めてしまうような。畏怖を抱かせる場所だった。

そういうのは、機械によって適切に空調管理された明るく開放的で見やすい書架では、きっと得られない感覚だと思う。

本を状態良く保管するという意味ではいまのほうがもちろんいいのだろうけれど。それは疑いようがないのだけど。

積み上げられてきた知というものを、「見やすく」「わかりやすく」「手に取りやすく」管理できるなんて、ちょっと驕りではないかと思ったりする。一般的で読み心地の良いものばかりが顔を出すような恣意的な場所に、なってしまわないかと思ったりする。

いやきっとそうはならないんだろうと思うけど。司書さんたちはきっと真剣に本と情報に向き合ってくださるのだと思うけど。見てくれの良いものはもう、なんだか少し信用ならないんだよ、このごろ。

本の森の中で1冊1冊泥くさく希望を探すような場所が、私は恋しい。


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