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オールオーケーになるよ、春だし

あの日の横着や、積み重ねた怠惰によって錆びついてしまっている自分の可動域というものが誰しもあって、他の人たちが苦しみながら何かを獲得していた時期に、しずかに座っていることしかできないような時間が必然的に大きな穴をつくる。

たとえば自転車の乗り方や、国語辞典の引き方、身近な植物や山、道の名前を覚えること。それに、ふたり分のご飯の作り方とか。
人との健康的な距離の保ち方、あるいは、人とまっすぐ真剣に向き合う仕方みたいなもの。

かつてなんとなく楽をしていたことが、大きな欠落となって、ゆく先に影を落としていく。
いつか皺寄せがやってくるだろうことをずっと知っていて、でも、おそろしくて、鬱陶しくて、見ないふりをしてきた数々の横着が人生の後ろでざわめいている。

代償を払わなくてはいけない、という焦りが、あなたの視界を狭めるのかもしれない。汗が滲む。刃物を向けられているかのような緊迫が、たえず喉元をしめつけるような日々がある。

でもわたしは、あまりに楽観的かもしれないけれど、きっと大丈夫になると思う。きっと、ふとしたとき、たとえば春の中を歩く午後とか、誰かが持ってきた小さな和菓子を一口食べるときとか、暗い海に波が寄せるのを眺める夜なんかに、そういうつらい緊張が気がつかないうちにほどけるようなことがある。

だってかつてのあなたも、ずっと懸命だったから。すこし手を抜くことや、腰掛けて休むことが、ただただ必要だったのだと思う。他の誰かの傷口に絆創膏を貼ってあげたり、音痴を気にする女の子の横で大きな声で歌ってあげたりするために。だから大丈夫だよ、とわたしは思う。

あるべきときに、あるべきように誰かが現れたり、本に出会ったり、風に吹かれたりして、自分の欠落に少しずつ砂がたまって、雨が降って、固まって、そうやって静かに埋まってゆくのに気がつく日がきっと来ると思う。ひとりの人間の人生というものは、ちゃんと辻褄が合うようにできているのだ。だからそれまで、少し苦しいかもしれないけれど、ゆっくり歩いていればいいよ。
ぽっかり空いた穴を、かつてのあなたの懸命の印として撫でてあげることだってしていいと思う。だから、ゆっくり待つことです。きっとね。

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