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それぞれの愛と食卓
「恋」という名前を当てはめたその瞬間から、私のこのすきという気持ちは端っこからゆっくりと燃えていくのだ。ぷすぷすと黒く細い煙をあげながら、わたしのすきは灰になっていく。
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恋に終わりはつきものだけど、
わたしのこの日向みたいな愛はずっときみをあたたかく照らすだろうと思う。
わたしは、みんなを愛してる。
同じくらい、違う仕方で。
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さいきんはとっても社交的で、いろんな人とご飯を作って食卓を囲んだりしている。
どの食事も、それぞれ美味しく、それぞれ楽しい。
大きな声で乾杯する食卓もあるし、
静かにもくもくと食べる食卓もある。
どんな時間もその瞬間にしかない愛しさがあって、それはそのまま、一緒にご飯を食べてくれているその人への愛しさとして私の中に蓄積する。
すきだなあ、きみたちのこと。
みんなそれぞれ愛しく、あたたかい。
私が抱くぬくもりはきっと、ひとりひとりに対して少しづつ違うだろうと思う。同じくらい、違う仕方ですきなのだ。
だから私は、この個人的な心持ちをわかりやすい言葉で示してしまいたくない。
恋愛とか性欲、独占欲、そんな単純明快な言葉で割り切ってしまいたくはないのだ。
この心持ちは、もっと凪のように穏やかであるはずだし、それは私と君との極々せまい世界のなかで積み上げられるものなのだから。
だからパブリックで伝わりやすい言葉は、きっとここには必要ないのだと思う。
よく知りもしない大多数の誰かに向けて言い訳しなくってもいいよ、と思う。そうしたことを、自分に許す。
私は、この世にいる他の誰もが愛なんて知らなくて、自分一人がその気持ちを知っているというぐらいの、それくらいの心もとなさで、本当はいたい
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