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#書く術 note 第5回 直塚大成 エッセイNo.2 『きりもち』

こんにちは田中泰延です。

みなさんこんにちは。
田中泰延です。

本年、SBクリエイティブから出版される書籍、『 #書く術 』。

オーディションで選ばれた1名の方にわたくし田中泰延が
ライターとしての技術、心構えを伝授するというこの本。

選ばれた直塚大成さんにはすでに毎週、
「なにか好きなテーマで勝手に書け」
という実に大雑把な指令が出ています。

田中泰延撮影の直塚大成さん。直塚さんと田中は、昨年12月29日にはじめて直接お目にかかりました。

書籍には入りきらない毎週の活動をお伝えするのが
この『#書く術 note』

今後も
『書く術』製作委員会のメンバー

わたくし田中泰延
編集のSBクリエイティブ小倉碧さん
ライターの福島結実子さん

の3名で、
直塚大成さんのエッセイを選んで紹介し、
編集的な観点で添削したり、時には技術的な批評を加える様子を
お伝えしていきたいと思います。

今回はその第2回です。
直塚さんから届けられたエッセイの題名は『きりもち』。

題名となんにも関係もない書評です。

それも2005年に刊行された平野啓一郎氏責任編集の
『PUBLIC・SPACE』というムック本のなかの
同志社大学の村田晃嗣氏の一文について思うところあったようです。

直塚さんの『きりもち』は、たまたま目にした文章に対する
違和感を自身で「切り分けようとする営為」であり、
特定の書き手や編集者に対する誹謗や非難ではないと田中は考えますが。
今回は、その原文をそのまま掲載します。

皆さんはどう感じるでしょうか?
是非、読んでいただき、Twitterなどで感想をくださるとありがたく思います。

批評も歓迎です。
そもそも直塚さんはひとつの文章に対して
批評を試みたわけです。
何か意見を書くといいうことは、
無視されるか、何か意見をされる、
その2つしかなく、
それもライターとして生きていく最初の洗礼だと思います。

あ、やさしめにお願いします。

それでは、直塚さん、どうぞ。



『きりもち』

直塚大成

暗い話題でもちきりなので、きりもちを買いました。

おいしいです。




……これでもう満足なんですが、2行で終わるわけにもいかないのでなにか書きます。文章を読んでいて思うのですが「うまいことを言ったぜ!」という気持ちが透けて見えるものと、「うまいこと言われたなあ」とこちらが思ってしまうものがあります。余計な一言で炎上したり、余計な一言で論全体が陳腐になる。これは人間関係にも言えるでしょうが、一旦文章に絞ります。いろいろ言うのもあれなので、実例を引きますね。資料はこちら。

X-Knowledge HOME特別編集 No.6 
平野啓一郎責任編集 PUBLIC・SPACE

これは株式会社エクスナレッジから2005年12月10日に発行されたムック本です。なかでも「PUBLIC SPACE」は当時「X-Knowledge HOME」で連載を持っていた平野啓一郎先生の責任編集という形で作られた特別号です。この本の中で「うまいこと」判定が難しい文章を書いたのは同志社大学の村田晃嗣先生。タイトルは「国際政治の性的な空間」。永世中立国スイスのシェルター事情についての論です。全文は長いので審議の箇所だけ抜き出します。めちゃくちゃ恣意的ですが許してください。

まずこちら。

そこで、賢しらな「深読み」をしてみよう。
国際政治では、国土を荒廃させる戦争が何度も繰り返されてきたし、地球を滅ぼすような戦争の可能性すらあった。死への衝動(タナトス)である。それでも人は生き延びようとする。生への衝動(エロス)である。両者は表裏一体であり、シェルターはその産物なのであった。

エロスとタナトス。

僕はこういう話に疎いのですが、死への衝動と生への衝動と書かれているので論理は成り立っているように感じます。個人的にはエロスとタナトスが無くても大丈夫だと思いますが、建築に疎く、エロスとタナトスに詳しい人に説明することを想定すれば書く意味もわかります。平野氏も編集後記で「建築雑誌として可能なギリギリの地点まで思いきって射程を広げることにした」と書いていました。そうすると、審議結果は「うまいこと」になるでしょうか。

続いてはこちら。

ミサイル防衛(MD)の源流は、レーガン政権が推進した戦略防衛構想(SDI)にある。当時は「スターウォーズ計画」と揶揄された。SDIはあるいは、シェルターに着想を得たものかもしれない。MDやSDIとシェルターに通底するのは、「子宮回帰願望」である。

子宮回帰願望。

最後のワンフレーズに全部持っていかれました。途中の「スターウォーズ計画」は「SFチックで実現不可能」だと推測できるレトリックですが、子宮回帰願望は僕がその分野に疎いのでいまいちピンときません。しかし建築に疎く、子宮回帰願望に詳しい人に説明することを想定すれば書く意味もわかります。平野氏も編集後記で「建築雑誌として可能なギリギリの地点まで思いきって射程を広げることにした」と書いています。そうすると、審議結果は再び「うまいこと」になるでしょう。どんどん進みます。サスペンスみたく進めば謎が解けるかもしれません。

シェルターでの生活は、人から読書や音楽や観劇の喜びを大幅に奪う。もちろん、密閉空間でも、同じ書物を繰り返し読み、同じ音楽を繰り返し聞くことは可能ではある。だが、それに深い喜びを感じられるものは、あくまで少数であろう。
 とすれば、残された確実な喜びは、性交だろうか。金属製の「人工子宮」の中で性交に耽る——ここまで来ると、「深読み」どころか猥雑な妄想かもしれない。

残された確実な喜びは、性交

もうなにがなんだかわかりません。これではおっぱいおっぱい言う方がまだ健全ですよ。僕たちの確実な喜びが性交だけなんて猥雑な妄想以外ねーだろバカ野郎と言いたいところですが、ここまでくると流石に褒めるほかありません。読者をここまで理解不能な「深読み」に引き込んだにも関わらず、最後にそれを自嘲気味に語ることで「いや……自覚してるならこっちからは強く言えねえよ」的な雰囲気にさせられているではありませんか。そうすると「うまいこと」に決まっています。はい。ここから、村田先生はかなり強引なドライブをかけます。

それがこちら。上の続きです。

だが、スタンリー・キューブリック監督の往年の映画『博士の異常な愛情』(1964)でも、米ソ核戦争後の地下生活での一夫多妻の性生活が妄想されていた。国際政治、とりわけ安全保障が最もダイナミックな人間の営為である以上、それが性的なものと無縁でないことは、自明である。
 かくて、シェルターについて一文を寄せよとの編者のお誘いから、日頃はジェンダー・ポリティックスなどに無頓着な筆者は、国際政治の性的な空間に迷い込んでしまった。

性的なものと無縁でないことは、自明。

これでおしまいです。性的なものと無縁でないからと言ってシェルターが子宮であるのは無理あるやろと思うのですが、力強い筆致によってなんとなく納得させられてしまいます。「うまいこと」の力です。これは先生の筆力の賜物なのか、それとも華麗なレトリックの罠にかかっているだけなのか、まだわかりません。とにかく性的な話に持っていこうとする熱意には脱帽しました。この論調を参考にすると『男はちんぽこがついているからゾウ科である』くらいの飛躍ができる気がします。文章の可能性が広がりました。平野氏が編集後記で「建築雑誌として可能なギリギリの地点まで思いきって射程を広げることにした」と書いていたのはこのことだったのかもしれません。あと、名作っぽい映画を引用されると反論しづらいです。見てないので。

——と、実例を引いてしょうもないレトリックを小馬鹿にしようという試みだったのですが、最後まで読むとしょうもないレトリックと揶揄していいのかわからなくなりました。村田先生の文章はなかなかにめちゃくちゃですが、言いたいことの筋は通っています。たぶん。もう混乱してきました。「うまいこと」を読み取るにはこちらの教養も必要なのでしょう。

今回はこれといった結論が出なかったのですが、一応実例を引いて書きましたので、各々の創作活動の物差しにしていただけると幸いです。ではまた。



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