![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/100970852/rectangle_large_type_2_d859285f3e1354b9a78f8f26b7c677b9.png?width=1200)
Z世代=タイパ PR的な「カテゴライズ」と「多様性」のジレンマ
先日、とある企業のリクルーティングサイトを見ていたとき、新卒入社後のキャリアステップのイメージを解説するページがありました。
「確かに今の若い世代は、理想とするキャリア像を描きながら就活だろうなぁ(想像)」と思って覗いてみると、
5年目にもなると、一人前として中核を担う存在に。企画立案や、企画した内容の実行指揮、変則的な状況での対応力や判断力が身についている。
10年目頃には、規模の大きなプロジェクトのメイン担当として活躍するようになる。
また、後輩のトレーナー役として指導する立場になってくる。
この年次までに社内の複数の部署の経験を積み、一流となっていることを目指す。
上記のような表現を見かけてふと思いました。
「うーむ、この会社だと一人前になるのに少なくとも5年だし、一流になるなら10年かかるのかぁ・・・。」
少し道のりの長さを想像してしまうとともに、Z世代はこの表現を見て、本当に入りたいと思えるのだろうか?と疑問が湧いたのです。
「石の上にも三年」
古くからこんなことわざがあるように、どんなに大変なことでも3年耐え忍ぶことで、何かを成し遂げられるということを信じて、3年間は物事に打ち込むのが美学とされましたよね。
その反面、なんで3年も我慢しなくちゃいけないのだ?とこれに異を唱える声も出始めてきている実感があります。
それに呼応するようにコストパフォーマンスならぬ、タイムパフォーマンス=「タイパ」というキーワードがZ世代の主流の価値観である。と表現されることも多いように思います
では、果たして「タイパ」はZ世代共通の価値観なのでしょうか。
私が抱いた違和感と疑問は、正しい観点だったのだろうか...。
結論から申し上げると、「タイパ」への考え方と価値観はZ世代に共通するというよりも「人それぞれ」だと考えました。
そもそも、世間一般に言われる「タイパ」には中期や長期、年単位でどう?ということまで見られていないように思います。
その多くは、倍速視聴や、スキマ時間の活用、移動の無駄を省きたいなど、瞬間瞬間での時間の削減・効率化のことを指すことが多いと思うのですが、これはZ世代に限ったことではなく、少なくともミレニアル世代の私も同じような思考を持っています。
テクノロジーの進化によって、世の中のありとあらゆるサービスが人の可処分時間を奪い合っている現在、より多くの体験ができる方法にサービス側の進化があり、人がそれをに合わせるように、
人とサービスとの間でより長く・より多く・より効率的に時間を消費することを、どのように実現させるのかを模索し続けている結果にすぎないのではないだろうか。
という仮説を持ちました。
Twitterアンケートの結果では意見が割れる
さらに気になった私は、働く上でのタイパをZ世代向けに問うてみるテストをしてみました。
純粋な興味。同業種で内容もほぼ同じ。今の就活生はどっちの会社に入りたい欲が強いのだろう。(前提条件に無理があったらすみません)
— ウラタコウジ | PRプランナー (@ura_cy) March 2, 2023
結果を見ていただくとわかるようにほぼ半々でした。もちろんTwitterの匿名アンケートなので、回答者にはZ世代ではない人も含まれているかもしれませんが、それでも見事に意見が割れました。
一般的には、残業時間など日常的に奪われる時間が少なくより稼げる方をタイパに優れていると判定することの方が多いと思いつつも、一人前になるまでの期間が短い方がタイパに優れていると見る説もあるのではと仮説を持ったのですが、案の定人それぞれだったのです。
このテストから見えてくるのは、どこか一方向にカテゴライズされる属性など存在しないという考え方です。
ひとえに「Z世代はタイパ」といっても、中長期で見ると意見が分かれることから、多少ハードでも多くの経験が得られることを求めるタイパ思考の人もいれば、今自分が発揮できる能力に効率よく金銭価値をつけて欲しいというタイパ思考の人もいるということなのではないでしょうか。
そうなると、Z世代はこれだ!なんて安直にカテゴリに当て嵌めるのは、そもそも危険な考え方なのではないか、とすらも思っています。
人やメディアは何か新しい現象を見つけ、カテゴライズすることを好みます。まだ見ぬ属性に名前をつけることで潜在的な現象にハイライトが当たり、新たなクラスターが生み出されます。
太陽族、ロハス、草食男子、ゆとり世代
潜在的な現象に名前をつけるやり方は、PRの手法としても王道です。意図的に作られた属性・カテゴリは、ペルソナとしてマーケティングの機能に組み込まれ、消費されていきます。そして作られたカテゴリは、「ゆとり世代だから〇〇ができないだろう」といった、あらゆるステレオタイプを生み出します。
一方で、これだけ価値観が多様化して、趣味嗜好や未来像がバラバラになった今、生まれた年代や住んでいる地域、キャリアの変遷だけを切り取って、「〇〇世代」などと区切るのは、遅かれ早かれ通用しなくなってくるかも知れないとも思います。
統計的な傾向があることは否定しませんが、何かを一方的に勝手に決めつけることで、無理やりに価値を生み出そうとすること自体に、価値が無くなる未来がやがて訪れるかも知れません。
よろしければサポートをお願いします🥺